「自分のことばかり考えてはいないだろうか?奪う人、支配する人、逃げる人、これらの人は幸せになることができないだろう」
アドラーによるタイプ分け
アドラーは1933年に以下のようなタイプ分けを発表しました。
「共同体感覚」が高い人、低い人という軸に、活動性の高い、低いという軸を加え、4つの象限で分類したのです。
どちらも高い人が「社会的に有用な人」である。
このタイプが健全であると考えました。
また、共同体感覚が高くて活動性が低い人はいない、としました。
共同体感覚が高ければ必ず活動を伴うはずであるからです。
共同体感覚が低い人をさらに2つに分けた
一つは活動性が高い人です。
この人は周囲の人を「支配する人」になります。
「相手よりも自分を優先した」活動を「大いに」行う。
まさに支配的な姿が目に浮かんできます。
このままでは周囲から人が離れていき、人生は決してうまくいかないだろうと言われています。
もう一つは共同体感覚も活動性も低いタイプです。
この「相手よりも自分を優先し」「活動をしない」タイプは2種類に細分化されます。
一つは「相手から奪う人」です。
人から何かをしてもらうことを当然と思い、感謝しません。
さらに自分を支援しない人を恨み怒るのです。
このような姿勢では対人関係も人生も上手くいくはずがありません。
もう一つのタイプは、「世の中から逃げている人」です。
共同体感覚の低さゆえに上手くいかない対人関係を面倒に思い、人と会わずに引きこもるのです。
神経症もここに分類されます。
支配による恐怖政治
私は過去に、組織における支配による恐怖政治を体験しました。
今、冷静に考えると明らかに「パワハラ」認定されるでしょうね。
自分の思い通りの仕事をしない職員に対して、その個人を完全否定するような発言を連発して、とことん追い詰めます。
支配されている側は、恐怖や極度のストレスにより、正常な判断能力が奪われ、言われた通りにできない自分が悪いんだ、と思い詰めるようになります。
そうして、支配者以外は思考停止に陥っている組織が生まれるのです。
独裁政治からは悲劇しか生まないことは、これまでの歴史が証明しています。
共同体感覚の高く活動性の高い組織を目指す
今、組織における心理的安全性の必要性が声高に叫ばれています。
安全性を感じられない組織では、働き続けられないということですよね。
個人のキャリア自律について、明確で有効なビジョンを持っていない組織には明るい未来はやってこないでしょう。
組織における心理的安全性が担保された組織にこそ、共同体感覚が高く、活動性の高い「社会的に有用な人」が生まれる可能性が生まれるのです。