「激しい感情を頻繁に使う人は強い劣等感を持っていることがわかる。方向性に自信がないから、感情が必要なのだ」
感情は増幅装置
感情は、自分の性格(私的感覚としてのライフスタイル)がコモンセンス(共通感覚)とずれているときに、意思を貫き通すように自分の背中を押す増幅装置です。
例えば、会社の中で自分の意見(自分の性格)が、他の社員から否定されてしまう(コモンセンスとずれている)ので、「何で分かってくれないんだ!」と大きな声を出して、怒りという感情(増幅装置)を使って、意志を貫き通すために自分の背中を押す、ということです。
感情が必要ないとき
もしも、私たちの性格がコモンセンスとずれていなければ、感情は必要ありません。
自分の背中を押さなくても、自分の行動が他の人に受け容れられるため、感情を使う必要がないのです。
その証拠に、普段の行動は感情を使わずに淡々と行っているはずです。
私たちが「常に行っていることは、感情を伴わなくても行える」のです。
朝ご飯を食べない
私は朝ご飯を食べません。
これが著しくコモンセンスとずれていれば、妻はどうしても私に朝ご飯を食べさせようとするでしょう。
そして、朝ご飯を食べたくない私は、妻に抵抗するために感情を使って、自分の背中を押して、朝ご飯を食べないという行為を貫くでしょう。
しかし、朝ご飯を食べない人は一定数存在するため、そこまでコモンセンスとずれているとは言えないと思います。
だから、私は朝ご飯を食べないという行為に感情を使う必要がないのです。
コモンセンスと大きくずれていたら
もし、私たちの性格がコモンセンスと大きくずれていたとしたら「感情によって正当化しようとする」でしょう。
それは、ほとんどの場合は、共同体感覚が低い、ということを意味します。
共同体感覚が低い人は思いやりがなく、自分のことしか考えていません。
人間関係はうまくいかず、不幸な人生を送ることとなります。
そして、激しい劣等感を埋めるために、さらに感情を使って自分の背中を押すのです。
因果関係
このように、激しい感情と劣等感の間には相互の因果関係があります。
激しい感情の根底には強い劣等感が隠れているのです。
激しい感情を頻繁に使うとしたら、強い劣等感があることを自覚しよう。