多様性を認めないなら #21

今は多様性の時代で、LGBTQみたいな社会問題だけではなくて、みんなが嫌な思いをしないように否定しない雰囲気を作る動きがあるように思える。
この時代は、一見良いように思えて受け入れる側の我慢を強制し、我慢できなかった方が悪いという構図になってしまい生きづらくなった人が増えていることも事実だろう。
だけど自分個人はこの時代に生まれて本当によかったと思う。昔の多様性を認めない時代を想像すると、正しい人間像が世間にあって、それに沿っていないといじられることが普通だったと思う。
そんなのしんどくてたまらない。今の多様性の時代でさえ、他人の言うことに傷つき、正しい人間でないことを自分自身で責めてしまっているのに、他人から更にいじられることが当たり前なんて、ムカついたり悲しかったり寂しかったりで生きることを放棄したくなりそうだ。
多様性の時代を窮屈だと発信する人たちは強いと思う。自己を通せないことを窮屈と捉えているのだから、そもそも自己を通せることが普通だと捉えているということだ。でもそれって強いというより、わがままで思慮が浅いとも言えるとおもう。だってマイノリティの人間じゃなくても、人は1人1人違くてその中で社会が形成されているのに、自分の意見が通ることを当たり前と考えるなんて、傲慢でしかない。
だから多様性を認めることは社会を形成する上で当たり前のことで、それを認めないのは未熟ですよーとアピールしていると同義な気がする

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