コレダに出会う
最近、スコッチウイスキーのアードベッグが好きで、よく呑んでいます。
一週間ほど前、長野のゲストハウスに泊まった時、ちょうどそこの一周年記念のイベントをやっていました。チェックインすると同時にちょっと酒を頼んでみる。そこで出てきたのがアードベッグ。
コレナノカモシレナイ!
と、思いました。洋服にせよ映画にせよ履き物にせよ、自分にまったくもってぴったりなものってこの世界に必ずあるはずなんです。
そばつゆだってすべての店で同じ味な訳ではないし、味噌汁だってただ美味しいってわけではなく、「これだぁっ!」っていう味噌汁が、これだぁっ!って感じるであろう味噌汁がこの世に存在しているはずなんです。
女性でヘアピン使っている方いるかと思いますが、お気に入りのヘアピンやヘアゴムってありますよね。あとは歯ブラシとかもお気に入りのものがあるかもしれません。
日常的にこれだぁっ!とは思わなくても、これが一番いいって思うものって、意外にたくさんあります。
僕にとって、アードベッグは「これだぁっ!」でした。
いままでウィスキーを瓶で買ったとしても、ちいびちいび呑んで、二ヶ月くらいかけて瓶が空になるのですが、このアードベッグは、買って一週間ですでに残りが3分の1。僕がいま号泣すれば涙腺からはアードベッグが出ます。
スコッチでも、服でも時計でも車でも、場所でも、そして人でも、
「コレダ」に出会えるって、コレダの前よりも後の方が、確実に人生は豊かに幸せになるような気がします。よく、今ないものよりも、今あるものを数えようというけれど、うーん、やっぱりそれでも僕は新しい「コレダ」に出会いたい。
この先の人生で、すさまじく美味しいイカの刺身のコレダに出会うかもしれない。
手長海老のコレダに出会うかもしれない。靴下を履いて感動することがあるのかもしれない。コレダに出会っていない分野はすべてが可能性なので、今あるもので満足するというのもいいのだけれど、やっぱり見ず知らずのコレダに出会いたい。
そう考えると、まだ入っていないあの店が輝きだす。まだ飲んでいないあの紅茶が輝きだす。砂浜の砂粒の中の宝石をたっぷりの時間をつかって好きなときに見つけていくことが出きるようになります。
砂粒なので、踏んでそのまま歩いていってもいいのですが、もしかすると、その足元の砂粒のなかにコレダがたくさん埋もれているのかもしれません。楽しみです。