#雨と六月とワタシ
雨は人を笑顔にもするし、雨は人を寡黙にもする。
夏休みは祖父の家に預けられた。
10歳ぐらいの時、妹とふたりで近所の知り合いの家に遊びに行った。夕方、祖父の家へ帰るときのこと。
祖父の家は坂の上の方にあって、知人の家は坂の下の方にあった。妹とふたりで歩いていると、坂の下から冷たい風が吹きあげてきた。
妹は気づかない。
ぼくは振り返り、耳をすます。
坂の下の遠くの方から、とても小さなざわざわした音が聞こえてくる。
まるで小人達が一斉にひそひそ話をはじめたような音にも聞こえたし、村の広場で配られた号外の新聞を、みなが一斉に開いた音のようにも聞けた。
音の方に目をこらすと、溺れたねずみの色の空に、太いミシン針のような筋がいくつか見えた。いや、空一面に見えた。
音の正体に気づき、ぼくは祖父の家まで駆け出す。
先を歩いていた妹を追い越すとき、大声で笑いながら言う。
「にげろー!」
妹はわけがわからず首をかしげるが、後ろを振り向いて、すぐに気づく。
アスファルトが濡れる匂い。湿った冷たい風。黒い水玉が次々に道路に生まれ、大太鼓小太鼓たちの宴のように、車や道路や屋根や窓やマンホールや干した洗濯物を、雨粒が勢いよく叩く音が、響き渡る。
妹は駆け出すが、時すでにおそし。雨はすすすいと僕らを追い抜いて、妹の髪の毛を額に貼り付け、薄い生地のワンピースを皮膚に吸い付かせる。
ぼくらは駐車場の屋根の下に逃げ込んで、二人で大笑いした。
水に濡れただけなのに、服が濡れるだけなのに、雨にぬれるということは、かくも面白い。何がおかしいわけでもなく、ぼくと妹は大笑いした。雨は人を笑顔にもする。
雨の日の車内は静かだ。
母が運転する軽自動車のボンネットを雨粒が叩き、追い抜いてゆく車が水しぶきを立て、 ずざああああああああ と滝のような音を作り出す。
ワイパーはせわしなく騒いで、かわいそうに感じるほど忙しそうだ。
ガラスの雨は邪険に弾かれ、そしてすぐにまた別の雨が濡らす。雨が止むまでひたすら続く、ワイパーと雨の追いかけっこ。
後部座席から、母の後頭部と、ワイパーと、雨の街を、ぼおっと眺める。雨の音と、水の音と、ワイパーの音。
雨は人を寡黙にもする。
雨の日の教室も、とても静かだ。
遠くのクラスの生徒の咳払いが廊下に響いて、湿ったチョークの筆記音が教室の床に、濡れた木の実のように散らばり、チャイムの音まで濡れているようにしっとりと聞こえる。
体育の時間は運動場が使えない。
渡り廊下を雨をよけて歩き、体育館へゆく。そして体育館では、できることが限られている。みなでドッチボールをする。
ドッチボールは、授業ではない。
先生も、無心になって一緒に遊ぶ。
雨は人を笑顔にもする。
あんこはるかの寄せ書きRadio企画。
雨か。
六月か。
どちらかにちなんだ記事を、書いていただく企画です。
みなさまの雨や六月の記憶をお待ちしております。
くわちくはこちだ
おばちしでおります