ドラッグストア昔話 丗四
大きな薬箱を背負ったみちが、庄屋の屋敷の門前に立っています。
「おおお!ひっさしぶりじゃあのう!みち!」
そのみちを見上げ、喜助が言いました。みちの身長は当時としては大きく、160センチぐらいあります。いろんな国の美味しいものを食べて、栄養が全部、骨に行ったんでしょうかね。
そして喜助のその隣で杢次郎もみちを見上げ、目をこすりながら言います。
「ごお!こっりゃぁ!!まったぁ、とんでもねぇいい女になってまってよぉ!目のやり場に困るの!」
喜助も杢次郎も、年をとり、なんだか小さくなっているように見えます。
さて、対するみちは少し照れながらも、いたずらっぽい笑みを湛えて腕を組み、モデルのようにポーズを決めて言いました。
「喜助さんも杢さんも、あんまり見るなら見物料とりますよ」
すると喜助と杢次郎は、おおおおお!と、わけのわからない拍手をして、3人で門の前、大声で笑いました。そしてみちは居住まいを正し、喜助と杢次郎に改めて言います。
「ただいま戻りました。村へ戻る前に、まずは庄屋さまへご挨拶をと思い、参りました」
「おうおう、ちょうどええ、いま座敷におられる。ささ、入れ。甚四郎さまもさぞお喜びになるじゃろの」
杢次郎がそう言うと、
「ほんに、よう無事に戻ってきたの、今回は何年ぶりじゃで?」
喜助が訊きます。
「前に帰ってきたのが、5年前かなぁ」
「ほうかほうかぁ、ひさしぶりじゃのう」
そうやって廊下を歩きながら、ふたりはみちに質問を重ねます。
この廊下は、みちが12才だった時、善右衛門と爺と甚四郎がいた部屋へ、みちと両親が歩いた廊下ですよ。とっても懐かしいですね。
さて、その座敷には、甚四郎が文机の前に座っています。
「お、誰かと思えば、久しぶりだのう、みち」
「甚四郎さま。ただいま戻りました。大変ご無沙汰しております」
そう言ってみちは畳に座り、ゆっくりとお辞儀しました。
甚四郎は、白髪混じりで、海老茶の着物がよく似合う初老の男になっています。
「いやいや、さらに立派になったの。あ、杢、ちょっと誰かに、茶と菓子でも持って来るように言ってくれ」
甚四郎は、杢次郎にそう言ってから、しみじみとみちを見ました。
「立派に、そして、美しくなったの、みち。どうやら、もう、ひとりだちしておる顔だな」
「はい、数年前に、お師匠から許しをもらって、今はひとりで歩いています」
「そうかそうか。そういえば、はて、いくつで、この国を出たんだっけか?」
「12です」
「12か。そうかぁ、懐かしいの。そして、いま、いくつになった?」
「27です」
博多のあの大通りでおきゅうとを食べたあの日から、10年の歳月が流れています。旅に出てからは15年、ということですね。
「いくつで独り立ちしたのだ?」
「はい、25で、独り立ちいたしました」
女中が、茶と菓子を、みちの前に持ってきました。
みちは、女中に礼を言いながら、独り立ちした日のことを思い出しています。
みちが25才になった年のことです。
とある宿場町の居酒屋で、善右衛門と一緒に酒を飲んでおりました。
なぜか、善右衛門は無口で、少し不機嫌そうです。
「お師匠、今日は、なんか、無口ですね。なんか、怒ってるんですか?もう、そういう不機嫌を周りにぶつける癖は辞めたほうがいいですよ」
「…別に、怒ってねぇよ」
善右衛門は手酌で酒を注ぎ、言います。
「ほらそれ、怒ってる時の言い方じゃないですか。何年一緒に歩いてると思ってるんですか。ほんとに。さ、何があったんですか。わたしが何かしましたか。ほあら、言葉でちゃんと、言ってくださいよ。わっちが、ちゃあんと、論破しますから」
みちは、にやにやしながら、善右衛門に言いました。
「いや、だからよ、怒ってねえんだよ」
「じゃあ、なんでそんなに無口なんですか」
善右衛門は、おちょこを眺めながら、少しだけ寂しそうに言います。
「いや、そのよ、はっきり言えばよ、寂しいのよ」
「なにがですか」
みちがそう訊くと、善右衛門は肚を決めたように、みちの目をまっすぐに見て言いました。
「“お師匠”を、卒業するのが、だよ」
「は?な、え?なに言ってるんですか?」
驚いたみちは、目の前の徳利をうっかり倒しました。それを善右衛門が、ゆっくりと、もとに戻します。
「みち、おめぇ、25だろ。おめぇが12の頃から俺らは、一緒に歩いてる。もう、13年だ」
「は?…え?…だから、なんなんですか…」
みちは、あまりに唐突の出来事に、目に涙を溜めています。
善右衛門も、真っ赤な顔で、笑いながら、目に涙を溜めています。
「おめぇがよ、みちがよ、薬売りとして一人前ってことだよ。俺が、おめぇに教えられることは、もうねえや。よし!決めた!おめぇのお師匠の最後の指示だ、よおく聞けよ。おめぇは明日から、一人前だ。だからよ、俺より先に、宿を発て。明日からは、師匠と弟子じゃねぇ、商売敵だ。俺は京へ行く。おめぇは、好きなとこへ行け。そして、薬を、必要なひとたちに、届けて、歩け。いいか?おい…わかったら返事をしろ。ったく、返事もできねぇような弟子に育てた覚えはねぇんだよ、え?おい、聞こえてんのかよ、おい、みち、てめぇ、さっきまでの威勢はどうした、え?論破がなんだのって言ってたじゃねえか、おい、聞いてんのか、みち」
みちは、肩を震わせて、自分の杯を見つめています。
突然の、お師匠との別れです。ぽたりぽたりと、卓が、みちの涙で濡れてゆきます。
やがて、みちは、やっとのことで、声を絞り出して言いました。
「急じゃの、お師匠は、いっつも勝手に決めて、いっつも急じゃ、けんども、わかった、わかったど、お、お、お師匠、今日までの、お師匠、お、お師匠今日まで、お師匠、お師匠ぅ、おししょう、ありがとのぉうお師匠ぅう…」
善右衛門は、酒を喉に流し込み、みちの頭を、泣きながら、ゆっくりと撫でて、笑い、何度も頷きました。
わたくしは、善右衛門は、いいお師匠だと、そう思っております。みなさまは、どう思われますか。
さて、甚四郎のお屋敷です。
「ほおう、そうか。25で独り立ちしたのか。お、そうじゃ、みち、覚えておるか?ほれ、ご家老と善右衛門殿がこの部屋におって、みちがその縁側にちょこんと座って大泣きした日よ、あの時のこと、覚えておるか?」
甚四郎がそう言うと、みちは頭を掻いて、恥ずかしそうに頷きました。
「あ!まあた甚四郎さまの昔話が始まったど。甚四郎さまはの、最近は誰かと会うやすぐ昔話を始めんなさる」
杢次郎があぐらをかいて、楽しそうに言いました。すると甚四郎が笑って言いました。
「杢、お前も人のことは言えねえんじゃねえか?酒飲むたんびに、あのときの大立ち回りの事、大声で話し出すじゃねぇかよ」
すると喜助も甚四郎に同調します。
「そうそう。俺があのときむらおさの調べで見てなかったからってよ、大袈裟に話盛りやがってよ」
「な、え、も、盛ってねぇど!そんだら、嘘こいでるみでえに言うなっ」
杢次郎がぷんすかすると、皆が笑って、そして甚四郎が言いました。
「みち、これから村に戻ると日も暮れて夜になる。危ないから、今宵は泊まってゆけ。これは、庄屋からの命令じゃ。お主の旅の話を、たっぷり聞きながら、旨い酒が飲みたい。そうじゃ、杢、喜助、今日は屋敷の者たち全員で、みちの帰郷の祝宴をあげる。全員の料理と酒の準備をするように。あ、杢次郎は飲み過ぎるから、徳利2本分だけだぞ」
喜助が小躍りし、伝達のために走りだし、杢次郎はしゅんとして、小さく頷きました。
甚四郎の妻が中心となり、女中数名と一緒にみちも料理を手伝います。
「みちちゃん、ほんっにひっさしぶりじゃねぇ、一緒にお風呂入ったんおぼえちょるかんの?」
女中のひとりが言いました。
ほら、行李を開けると地図が入っていて、いなべ村の稲荷さまの祠へ行くことになりましたよね。
その時、一晩だけ、甚四郎の家に泊まったことがあったじゃないですか。みちが6才の時のことですよ。あのとき、みちをお風呂にいれてくれた女中が、台所で話しかけてきたのです。
みちは、善右衛門に言われ、さまざまな言葉を使い分けるように訓練してきましたので、この国の言葉はまだ出てきておりません。
ですが、あの時のお風呂での様子を思い出して、とても懐かしくなって、ついにお国言葉が飛び出しました。
「あ!あん時の姉さんかえ!なっつかしいの!わっちがまあだ6才ぐれえの時ですろ!」
「そうじゃあ。あん時、みちちゃんが、狸の歌うたってたんをね、今でも時々思い出すんよう」
狸の歌、なんだか懐かしいですね。
台所では、そうやって話が盛り上がりながら、料理が出来上がってゆきました。台所でのお話ってなんだか楽しいですよね。話が弾みます。
あ、そうそう。
みちは、さまざまな国の料理を食べてきて、そして茶店や料理屋の台所にずかずかと入って、作り方を教えてもらってきたので、料理の手際がとってもいいんですよ。洗い物も包丁さばきも、みなさんにお見せしたいくらいです。
そしてその夕、まだ日が沈まないうちから、お座敷に全員分の膳が並べられ、たくさんの料理の、いい香りが漂いはじめました。
祝宴が始まると、甚四郎がみちのことを皆に話し、みちが皆の前で挨拶し、皆で乾杯をしました。
あ、本当はこの時代、女性がお酒を人前で飲むのは、あまり上品なことではありませんでした。けれども、甚四郎は、屋敷のなかでの宴会であれば、一緒に酒を飲み、楽しむことを、許しておりました。だから、こうやって、みんなで楽しくお酒を飲めるんです。
宴では、皆でたくさんの話をしました。古くから庄屋で働いている者も、ここ数年で働き始めた若い娘や少年たちも、がやがやと、なにやら楽しそうです。
みちの旅の話。
杢次郎が語る、あの日の大立ち回りの話。
小間使いの男の、最近の失敗した話。
甚四郎が人生で一番恥ずかしかった話。
甚四郎と妻との、馴れ初めの話。
女中の若い娘が恋をしている、酒屋の青年の話。
風呂屋で喜助のふんどしが盗まれた話。
そんなたくさんの話や、踊りや、笑い声に溢れる宴。
みちは、笑いながら、懐かしい顔ぶれに囲まれて、微笑んでいます。
橙色で暖かい、懐かしい言葉で溢れる、素敵な祝宴でした。
宴が終わると、女中たちと一緒に食器を片付け、風呂に入ったみちは、中庭に面した用意された部屋で手足を伸ばし、布団の上で天井を見上げています。とても、気持ち良さそうな笑顔です。
みちは、ひさしぶりに帰ってきたふるさとで、ゆったりと深呼吸をして微睡み、気持ちのよい眠りに沈んでゆきました。
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