感謝♯あのころ駄菓子屋で 上
あっという間に4月が終わってしまいました。もう、2021年5月1日です。でも、藤が散ってしまって5月という感じがしません。
時間ってまるでそこに最初からなかったみたいに振る舞いますよね。冷蔵庫のプリンみたいに。
さてさてさーて!
♯あのころ駄菓子屋で にご参加頂いた皆様。
♯あのころ駄菓子屋で を読んでくださった皆様。
誠にありがとうございます。様々な方々から、いい企画ですね、と言って頂いて、飛び上がり小法師でした。
こちらこそ、ありがとうございますですよ。
いや、まじで。
ということで、恒例の記事紹介!今回は、前半と後半に分けます!
カミーノさん。情景、状況が細やかに描かれていて、僕は職員室の窓から、学校で禁止のはずの買い食いをするカミーノ少女たちを叱ってやろうか否かの視点から見つめていました。
鼈甲色の駄菓子屋と、高くそびえる花のようなイチョウ。そして駄菓子屋にならぶ小さなお菓子たち。
そして、中学校の同窓会の情景。大きさや時代をさまざまに行き来して令和に戻ってきたようなそんな心持が致しましたわ。
ずきゅーん!
食べ物の好みでその人の事がちょっとだけ分かるような気がしています。ほら、鍋が好きですって言う人のこと想像してみてください。あっという間に作れるから、とか、みんなで食べるのが楽しいから、とか、いろいろ理由がありそうじゃないですか?理由がないにしても、その人の好きな食べ物ってその人を象徴する何かであることには変わりないと思うのです。うちのお嫁の大好きなものは、塩おにぎりです。
小さな箱入りフーセンガム・フィリックスガム・あわ玉・ガム入りキャンディ!
あわ玉、って名前だったと思うんですが、しゅわしゅわする飴玉がお気に入りでした。
あとは、誰がいちばん早くフーセンガムを膨らませられるか、とかやってた思い出も蘇ってきました。私はとっても下手!いつまでももぞもぞしてました。笑
ぺくちんの好きな駄菓子のほとんどをガムが占めています。あわ玉は僕も好きで、口の中で繰り広げられる見ることのできない刺激に想像を膨らませておりました。
このお菓子のラインナップを見ていると、友達と一緒にいるんだけど、なんだか一人でいつも考え事してたり、空を観ているような、そういうぺくみガールが見えて来るような気が致します。駄菓子占いができそう。だってほら、やすこさんなんて、ペッツとウィスキーボンボンだよ???うたさんは銀玉鉄砲だよ??(お菓子じゃない。)
友達の家で出される、皿にもられたポテトチップスって、めちゃめちゃ美味しくないですか?袋から食べるそれよりも、一人で食べるそれよりも、9割増しぐらいの美味しさだったように思うのです。
なんでそんな現象が起こるのかと言うと、分け合って食べるのが前提なので、一枚あたりの価値が上がるのでしょう。これはいわば、落語の千両みかんに通じる原理なのです。千両みかん知らない方は、You Tubeで聴いてみてまた戻ってきてくださいね!1時間ぐらいの演目だと思います!
hiro sugaさんのおうちでは、お菓子を作ってくれていたので、駄菓子屋に行ったことがなかったそうです。
この展開、わかりますか?
そう、友達と駄菓子屋に行くわけですよっ!!
そして、タラタラしてんじゃねーよを友だちと食べるのです。
僕も、最初のタラタラしてんじゃねーよは、友達から分けてもらいました。その日から、タラタラしてんじゃねーよの虜になったのです。
一口つまんで叫びましょう
タラタラしてんじゃねーよ!!
ってお菓子の裏に書いてありましたね。
僕はほんとに叫びながら食べてましたよ。(実話)
共通点があるとうれしいっ!
駄菓子屋って、何かを兼業でやっていることが多かった時代がありました。
祖父の家の近くにある駄菓子屋は、貸本屋をもともとやっていたのを駄菓子もやるようになり、そして駄菓子にシフトチェンジした駄菓子屋でした。
大人たちが、かしほんや かしほんや とその店の事を呼んでいたのですが、僕の脳内では、ポンポン菓子屋の、かしほん屋で再生されていました。かしぽんや、という感じ。ちゃんねーとすーしー的なニュアンスです。
chihayaさんの駄菓子屋エピソードは現代版!子供さんがいる大人の目線で見る現代の駄菓子屋さんのお話です。
子供が集まったり、大人も集まったり、待ち合わせ場所にしたり、トイレを貸してもらったり。
昔は水に集まって井戸端会議が開かれましたが、今はコメダに集まったり、ジョイフルやスタバに集まったりするわけです。でも、子供も自然に集まれるのは、やっぱり菓子を介在した駄菓子屋!大人も子供も利用するプラットフォーム的な駄菓子屋さんのお話でございます。
ヘッダーがまず、透明感があってとっても美しい!
ドロップといえばサクマドロップですよねぇ。もう。ね。懐かしいですね。
もう厳重に缶に蓋されて、テープ貼られてるもんだから、子供の指じゃ開かない。だから大人に手伝って開けてもらうのだけど、大人は道具を使って一瞬で開けるわけです。
僕にとってサクマドロップは、大人と子供の力の差を実感するリトマス紙のようなものでした。
カンカンから出すと光を浴びてキラキラと輝きだす、色とりどりなドロップたち。それを見ていると何だか嬉しいような、特別な気持ちになれていた幼少期。
「自分だけが知っている、自分だけの特別な宝箱。」
あずきさんにとっては、ドロップは食べるものでもあり、ずっと眺めていられる美しいものでもありました。たしかにねぇ、メロンの緑とかを一回舐めてね、親指と人差指でつまんでね、太陽にかざして見つめていたりしました。誰に教えられたわけでもないのに、美しいものに目を惹かれるわけですね。子供は。
あの時の飴を透かして太陽を見上げる視点まで思い出しました。
ドロップ食べたくなるよね、こういうの読むと。
昭和の風景をももりゅうさんが炸裂させてくれています!昭和の会話を炸裂させてくれています!ちわっ!三河屋ですっ!みたいなことが↑この作品の中で起きておりますっ!!
それでも好んで買いに通うものもあって
それが、アイスクリームだった。
まず思いつくのは2本入ったソーダのアイスを真ん中で折って食べる、ダブルソーダ。
この記事を読むまで、あの水色の、棒が2本ささったアイスの事を、忘れてしまっていました。あれは、仏教的なアイスです。そのまま食べると実に食べにくい。そして、割ったら割ったで、溶けるのが早くなるから、二兎を追う感じになる。結果、分けたほうがいいことになる。でも、分けたくない。そんなあんこぼーろでした。
ところで、子供の頃の一瞬の出来事が、太陽写真みたいに焼き付くことってありますよね。
おばあちゃんが戸棚の奥から水飴の瓶を取り出して、箸で練ってくれる夏。水飴が宝石みたいに台所の窓の光を浴びて輝いていました。
ももりゅうさんの一瞬の出来事はどんなものでしょうか????
ご参加ありがとうございます!
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