駄菓子と価値観
駄菓子には当たり付きのお菓子がたくさんある。交換系のもの。当たるともう一つもらえるというタイプ。もう一つが換金性のあるもので、当たり券が金券の働きをするタイプ。
僕は、どちらのタイプにせよ、あまり当たった記憶がない。
世界中の子どもたちに用いられているかも、しれない飴方式の教育方法。いい事をすると良いことがあるよというお話なわけだけど、かの有名なサンタクロースも同じ手法でプレゼント配送業を行っている。良い子にしていた子どものところにだけ、プレゼントが届くというスタイル。阿弥陀如来のように、分け隔てなく訪れてくれるわけではない。
当たりをあまり引かなかった僕は、ハズレが多いのは日頃の行いが悪いのだと思っていた。神様は見てくれているはずだから、善い行いをしていれば当たるはず。当たらないということは、日頃の行いが悪いからなんだと勝手に思い込んでいた。
だから、ハズレの文字を見ると、否定されたかのような気持ちになって自己肯定感や自己効力感のようなものがごろごろと下がっていたような気がする。
色が黒いとか、貧乏だからとか、母子家庭だからとか、そういうことで人が自分を否定してくるのと同じように、ハズレの文字は僕のことを否定しているかのように思えた。
いやぁ。
真面目すぎる!
真面目がすぎる!!
真面目すぎるぞあんこぼーろ少年!
と、今なら思う。
でもこういう事って、案外心の底にこびりついていて、重曹や金タワシや、ルックお風呂の洗剤バスタブクレンジングじゃ簡単に落ちないような気がする。現在でも何か損したときに無意識に「やっぱりね、そうだよね」と、思っているような気がしないでもない。
この前カイロプラクティックに行って色々話を聞いてきた。すると、姿勢は何十年もかけて作り上げられ、筋肉や骨は固着するから、簡単には戻らない、根気よく、無理な姿勢に気づいて、改善していくしか方法はないのだと先生は熱く語った。
価値観形成がなされるのは小学校低学年の頃だから、あの頃の自分を眺めてみると、今の自分が見えてくるのかもしれない。
はいっ、ということでしめじさんの、
駄菓子屋放浪記バイオレンスアクション編!
ころ駄菓作品の中で皆さん、高学年や中高生のたまり場になっていて近寄れなかったと書かれてありました。なんとなあく、僕も年上の縄張り感は感じていましたが、そういうトラブルには見舞われることなく過ごせたせいか、そういう記憶がありません。
けれども、しめじさんは目撃してしまったのです。
もろに目撃してしまったのです。
もろ見えなわけです。
失踪系女児!
いつもと違う環境に馴染んでしまう子どもたちがおります。僕も幼児の頃はよく失踪疾走しておりましたし、なんなら今でも社用携帯あまり出ないので失踪系の社員です。
親たちがバーベキューして楽しんでおったので、わたくしは少し散歩して、別のバーベキューの大人たちとお食事を楽しんでいたことも有ります。
あこはるかさんは、幼稚園の行列から抜け出して、地域や幼稚園や父兄の方々を巻き込んだ大事件を発生させたようです。
さて、失踪系あこはるちゃんは、どこで何をしていたのでしょうか。
ということであのころ駄菓子屋で企画4月末日までですぞ!
もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。