すべてはつぶつぶのこなこな
みなさんにも、忘れられない味ってあると思うんです。給食で出ていたミートスパゲティが忘れられないとか、イギリスのホームステイ先のおばさんが風邪の時に作ってくれたチキンスープが忘れられないとか、そういうやつです。
これって、おいしいことが前提なんですが、忘れられない不味い思い出というのもあると思うんです。ちなみに人の嫌いな食べ物の話を聞いていると、その人の弱点のようなものが垣間見えて、なんだかその人を子供の頃から知っているかのような気持ちになります。よろしければ今日、試してみてください。
僕の忘れられない味は高校の駅からの道中にありました。片田舎の小さな道路の脇にあったそのお店は、ちいさなばあちゃんと、無口な息子さんがやっている和菓子屋でした。
ゆずまんじゅう
そばまんじゅう
さけまんじゅう
おはぎ
じょうようまんじゅう
かしわもち
さくらもち
など、とくにぱっとしない、たくさんの普通のものが作られ、売られていました。和菓子を並べてあるケースはとても小さく、電子レンジ二つ分くらいの広さでした。そこで和菓子たちが、いまかいまかと出番を待っているような、窓の外をぼんやり眺めているような、老後の心配事をそれぞれ相談しているようなそんな雰囲気でちょこんと座っています。
僕はあるとき、その店にふらりと入り、いくつかまんじゅうを買って、帰りの電車で食べてました。そしてひとつのまんじゅうを食べたときに、そのまんじゅうを二度見しました。
うまい。うますぎる。なんだこの、あんこのしっとり感と、小豆の存在感。まるで人に、いいよいいよとにこにこして合わせつつも自分の芯は通すような、たおやかな女性のようだ。。と心のなかで呟くのです。ただの高校生を海原雄山に仕立てあげてしまうほどの味でした。
羊羮のようなしっとりした歯応えと食べごたえがありながら、しっかり小豆が存在していて、そして、甘味がすっと抜けていく。けれども後味は糸一本くらい残してしっかり存在している。砂糖に違いがあるのか、何種類かの砂糖を使っているのか。
で、なんのまんじゅうだったのかというと、「やぶれ饅頭」というものだったんです。僕はこの饅頭を食べてから、やぶれ饅頭というものがものすごく美味しいものだと勘違いして、いろいろ食べてみました。けれども、あのときのやぶれ饅頭を凌駕するものは、いまだに出会っていません。
そのやぶれ饅頭をもう一度食べたくて、月に一回くらいは思い出しているんですが、故郷は遠いし、なかなかあの味にありつくことができません。その店のことを調べてみると、その地域の商工会が出しているホームページに無口な息子さんが写っていました。ちいさなばあさんは写っていません。もしかしたら、もう味が変わってしまったのかもしれない。でも、まだ食べられるのかもしれない。
世の中には、ずっと続いているものって、ありません。命そのものが消耗品です。この世のすべてのものが記憶も含めていつかはつぶつぶのこなこなになります。そんな世界のなかで、もう一度あの味が食べられるなら。
せっかくここまで書いたのだから、続編として、そのやぶれ饅頭を取り寄せてみます。
20年以上前のあの味をここでまた書きたいと思いました。
これから、電話をしてみます。