「つくね小隊、応答せよ、」(廿七)
「あ!ありゃ!おらのおっとおの出した炎の色だ!」
熊鷹がそう叫ぶと、藪だぬきたちは、おおおおおおおおお!と歓声をあげます。
「さすが大鷹さまじゃなあ!」
「ぼくらの出番がないやもしれませぬな!」
「津田のたぬきども、今頃冷や汗かいてるんでねえか!」
藪だぬきたちは、高らかに笑い声をあげておりますが、金長と、小鷹は、炎を見て、まさか、という顔をいたします。
あれ程の大きな火を出すには、かなりの力を使うはず。戦いの最中にそんな力を使ってしまっては、気力を使い果たしてしまう。もしや大鷹の身が危ないのでは…。
金長と小鷹はそう思いました。
「大鷹!!大鷹!!どこだ!!!大鷹!!!!」
金長、森に入ると、大声で大鷹の名を呼び、他の者達も、それに続きます。
「父上!」
「おっとうっ!」
「大鷹さまあ!」
「大鷹さああああん!!!」
「大鷹ー!どこだー!」
さっきまで火の手があがっておりましたが、今では火は消え、物音ひとつ致しません。
金長が、火の手があがったあたりを走っていると、ゆっくりと朝日が昇り始め、森を金色に照らしてゆきました。そしてあたりには、ぱちぱちと、木の焼ける音がして、うっすらと煙がたちこめております。
「おめえら動くな、一歩でも動けば、こいつの命はねえぜ…」
大鷹、八兵衛に小刀を突きつけ、そうは言ったが、毒と出血で力がはいりません。ほとんど八兵衛にすがりついて立っているようなありさまです。
そこへ片目を潰された作右衛門、自分の毛を大鷹に投げつけます。毛は鋭い針となり、大鷹の腕や顔に刺さりました。
「ああ。言われたとおり、一歩も動きはしねえぜ。あ、でもその毛には、痺れ薬が塗ってある。もう、指一本動かねえだろ?あ?どうだ?」
大鷹、痺れ薬にやられ、固まったように動けません。
八兵衛、悲しそうな顔をして、槍を放し、大鷹からゆっくりと離れます。そして、脇差しを抜き、大鷹に止めをさそうとしました。
するとそこへ片目の作右衛門、大鷹の顔へ飛びかかり、顔を蹴りました。大鷹、木の幹に叩きつけられます。木の根もとに転げ落ち、動けない大鷹。作右衛門、自分の毛を抜き、何度も大鷹に投げつけ、笑います。
「うわはははははは!!!!いひひ!いひひっひひ!!いひひひっ!!!!つぎはしびれ薬じゃねえぞぉ?毒だ!猛毒だっ!いひひひいいいっ!!」
大鷹、ぴくぴくと震えながら、毒で絶命しようとするその瞬間。作右衛門、刀で大鷹の胸を一突き。大鷹、目を見開き、苦しそうに血を吐きます。
「藤の木寺の大鷹あ?だったっけ?お前を討ったのは、八兵衛でも毒でもねえ!!!!!川島の弟、作右衛門だ!!!!!!!!!」
大鷹、もはや絶命したかに思えたその刹那に、にやりと笑って作右衛門の袖をがっしり掴みました。
「大将を…敵に…まわしちまったな…お前らの…負けだ…」
作右衛門、大鷹を殴るが、大鷹は袖を離しません。そして、小声でなにごとかぶつぶつと言っています。呪文のようです。
兄 九右衛門、不審な顔をして、弟 作右衛門に言いました。
「おい、何か変だぞ…そいつはもう死ぬ、はやくここを離れるぞっ」
「右目を潰されたんだ!もう少し楽しませろよ!!それぐらいいいじゃねえか!」
作右衛門、兄に反論すると、八兵衞が作右衛門に槍を突きつけます。
「作右衛門!そいつは、自分の主君に命を賭した立派な武人だ。それ以上の愚弄はやめてもらいたい!」
作右衛門、ゆっくりと八兵衞を睨み付けました。
するとその瞬間、周りの森が一気に燃え始めます。五匹の狸を、業火が包みました。
「少しづつ毛をばらまいていたのさ。ここを、囲むようにな…」
大鷹が言うと、作右衛門驚いた顔で叫びます。
「最初から、俺達と刺し違えるつもりでっ!くそっ!!!袖を離せ!離せ!!!離せ!!!!!!」
大鷹殴られ続けますが、笑って袖を放しません。
火は五匹をじりじりと囲み、大鷹は豪快に笑っています。
「こここ殺せっ、殺せば術は解ける!」
九右衛門がそう叫ぶと、兄弟は刀で大鷹を滅多刺しにします。
しかしながら、まったくもって火は消えません。
作右衛門狂ったように刀の刃を大鷹の首に押し付け、喉笛を切り、文字通り大鷹の息の根を止めました。
作右衛門がほっと一息ついたその瞬間、大鷹は鬼のような形相になり、作右衛門の頬に食らいつきました。
「ぎゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
作右衛門慌てて大鷹を引き離すと、頬の肉を食いちぎられ、ぼとぼとと血が滴り落ちています。そうして大鷹、ゆっくり仏のように微笑み、絶命したのでございました。
「大将、こまつ、じまは、たのみましたぜ…」
五匹を取り囲む火は、その瞬間にしゅるりと消え、四匹は暗闇の中、白い息を吐き、肩が上下しております。四天王たちも軽傷とは言えません。
このまま四匹で金長を追ったとしても、小松島には手勢のたぬきがおります。
四天王は荒い息のまま、津田へ戻ってゆきました。朝日が大鷹の体をゆっくりと、金色の光で包んでゆきます。
金長、大鷹の名を呼びます。けれどもどこからも返事はありません。ぷすぷすと燻ったままの森。すさまじい戦いであったことが誰の目にも明らかです。
…やがて、地面に横たわる大鷹を、金長は見つけました。
金長、大鷹を抱き抱え、大声で名を呼びます。
「大鷹!
わっちだ!
金長だ!
大鷹!目を開けろ!
大鷹!!目、開けろ!!
大鷹!目、開けろ!!」
そこへぞろぞろと藪たぬきたちが集まって参ります。
みな、信じられないといった顔と、悲しい顔と、寂しい顔とを混ぜたような顔で、大鷹を見つめております。
やがて、皆、膝をつき、あちこちですすり泣く声が聞こえてきました。
金長は大鷹の名を呼び、目を開けろ、と命令し続けます。けれども血だらけの大鷹は、微動だに致しません。
そこへ、小鷹、熊鷹が走ってきました。
「父上!」
「おっとうぅ!」
二匹とも、嬉しそうな顔をしましたが、すぐに立ち止まり、怪訝な顔をします。
金長の叫び声、顔。泣き崩れる藪たぬきたち。
それだけで、すべてを悟ったようです。長男の小鷹、膝を地に落とし、口をあんぐりと開け、呆然としました。幼い熊鷹は、金長に走り寄り、しがみついて叫びます。
「金長さま!
おっとぉ助かるでしょ?
ねえ!
助かるんでしょ!!?
早く小松島へ!
ねえ!
何やってるんですか!
おっとうが死んじゃう!!
たくさん怪我してる!!
金長さん!!
おっとうが!!
おっとうが!!!
おっとう!!
おっとう!!!!
おっとうがあああああああああああああああああ」
熊鷹は、大鷹の亡骸にすがりつき、大声で泣き喚きました。その姿を、大人のたぬきたちは、直視できずにうつむきます。やがて黙りこんだ熊鷹は、金長を見上げ、言いました。
「金長さま…な…なんでおっとうをひとりで戦わせたんですか…な、なんで金長さんも一緒に、戦ってあげなかったんですか…おっとうが…おっとうが、死んだのは…金長さ」
ぱああああああああんっ!
泣きわめく熊鷹の頬を、兄の小鷹が叩きました。
驚いた熊鷹は、兄を見上げます。
兄の小鷹、目に沢山の涙を溜め、熊鷹を睨みつけ、そしてゆっくり熊鷹を強く抱きしめました。
金長が、俯いてつぶやきます。
「…そうだ…わっちが…そうだよ…熊鷹。わっちが、わっちのせいだよ。そうだよ、わっちのせいで、大鷹は…」
すると、そんな金長を慰めるかのように声がきこえてきました。
「ったく、大将…やめてくださいよ。俺が、選んだんですから。俺が、大将を守りたくてやったことです。大将に謝ってほしくて、戦ったわけじゃないですぜ…ったく、これだから大将は…」
金長も、熊鷹も、藪だぬきたちも、身を乗り出し、大鷹を見据えました。大鷹が息を吹き返したと思ったのです。
けれども大鷹は動きません。
大鷹みたいにそう言ったのは、大鷹の長男の小鷹でした。
「お父上なら、たぶん、そう、言うんです…だから絶対に、金長さまのせいじゃありません。
お父上は、全部、ご自分で決めたのだと思います。わかってたのだと、そう、思います。だから、金長さま、謝らないで…ください…熊鷹、金長さまに、そしてお父上に、謝りなさい」
小鷹の胸の中で、熊鷹がぼろぼろとさくらんぼのような涙をこぼし、叫びました。
うわあああああああああああああああんおっとううう、金長さまあごめんなさああああいうわあああああああああああああん
金長も、苦しそうな悔しそうな顔で泣いています。
「ほぉ…活動写真(映画)になってもおかしくないな、その昔ばなし」
渡邉が葉っぱに溜まった雨水をすすりながら言った。
「あれ?渡邉、知らないの?活動写真になって放映されてるぜ。なあ、学徒」
仲村がそう言うと、清水が肩をすくめて言う。
「俺はとってもまじめな大学生だから、活動写真みたいな無駄なもんは見に行かねんだよ」
仲村は口をへの字に曲げていじわるそうに鼻で笑って、渡邉の方を向く。
三人は休憩中。
二時間歩けば目的地周辺。
蔦のたくさん垂れ下がった木陰に座っている。渡邉は口許をぬぐう。
「移動が予定よりだいぶ遅れちまった。今日は滝への到着は諦めよう。まだ日があるうちに川で食料を調達し、今夜は川沿いで夜営だ」
仲村、清水がそれに頷く。
「じゃあ、釣りだな?ミミズが必要だよな?」
仲村が渡邉に尋ねる。
「ああ。今夜は焼き魚だ。捕らぬ狸の皮算用だがな」
清水と仲村は手頃な石を掘り返し、早速ミミズを集める。海に出て釣りをするのは、機銃掃射で殺してくれという意味だが、川釣りならば多少は安全だ。渡邉は、雑嚢から布にくるまれた包みを取り出した。なかには落下傘の紐と釘を曲げてつくった釣り針と釣糸が入っていて、枝の先端に紐を結びつけている。
飯盒の蓋に、ミミズを何匹か集め、三人は森を抜けた。川は上空から丸見えなので、身体中のベルトや服の隙間に枝葉を差し込んでいる。
「ほぉぉぉ!!!魚が丸見えじゃねえかよっ!!!!」
川を見て、仲村が歓声をあげた。
濁った川を想像していたが、台風の過ぎ去ったあとの青空のような、深い碧色の川だ。水も透明度がかなり高く、川底まできれいに見える。水深もあるようで、川底は遠くの景色を見ているようだ。
水が長い時間をかけて周囲の岩を削ったのだろう、湾曲した川の流れは、まるで湖のように静かで美しかった。だから、そこに泳いでいる魚たちがくっきりと見える。
「こりゃ、釣りをするより、突いた方が大物が捕れるかもな…」
清水がそう呟くと、仲村が目をきらきらさせる。
「学徒ちゃん、それ名案よ」
渡邉は釣り針にミミズを通しながら、
「俺は海なし県だから泳げん。俺は無理だ」
と言った。すると清水も、
「俺もそんなに泳ぎは得意じゃない」
と言って仲村を見る。
仲村はあきれたような顔をして立ち上がる。
「おいおいおいおい、ふたりとも泳げねぇのかよぉ、上等兵さまも学徒も頼りないなぁ、おい。それじゃあ仕方ねぇ、小松島の海で鍛えた俺が、魚を突いてきてやるよ」
仲村はゆっくりと移動して、茂みに隠した荷物から銃剣をとりだし、手頃な細い棒の先にくくりつける。茂みのなかで服を脱ぎ、丸裸になった仲村は帽子をかぶったまま川に入る。清水が、帽子かぶったまま川に入るやつがあるかよ、と言ったが、
「上からみたら川に浮かんだ藻に見えるかな、と思ってよ」
と言って大きく息をすって静かに川底に消えて行った。清水はなるほどなぁ、と頷く。仲村がもぐっていった方とは別の方に、渡邉が釣糸を垂らす。
静かな川の流れ。
鳥が鳴き、雲がゆっくりと東へ移動してゆく。
風が草木を撫でる。
日差しは強いが、じっとりとした首もとの汗が、ひやりとひいてゆくのを感じる。ちゃぷるんっ、という水音。川に蛙が飛び込んだのだろう。
「ぷわはぁっ!おい!川底にカワハギがいんぞ!この川、海か?」
ゆっくりと浮上した仲村が言った。渡邉は川のなかを泳いでいる川魚を見て首を振る。
「いや、上を泳いでるのは淡水魚のテラピアだ」
「いや、でもよ、おれもまさかとは思って、川底で舌出してみたのよ、そしたらよ、やっぱりしょっぱいのよ。どうやら、上は真水で下は海水みたいだぜ、ここ。海の幸も川の幸も両方いただける、ありがたい場所だぜっ。今日はカワハギの肝で、ちょいと一杯といきたいもんだね」
どむんっ、と仲村は潜り、また辺りに静寂が訪れた。
釘を銃剣の柄で叩いてつくった大型の釣り針だからだろうか。水中の魚たちは、ちらちらとミミズを見つめるだけで、一切食べない。
「水が濁ってる方が、魚たちも食ってくれるのかもしれないなぁ」
清水が膝を抱えて水を覗きながらつぶやく。
渡邉は黙って釣り針を見つめる。
「なあ、渡邉」
清水が、小さな声で訊く。
「なんだ」
「これ、勝てんのかな」
とても、意味の広い質問だった。魚と三人の生きるか死ぬかの戦いのことを言っているのか、もしくは別の戦いのことを言っているのか、わからない、そんな温度感の質問だった。
「さあ、知らん。俺は、魚を釣って食うだけだ。なにかを殺さないと、俺らは死ぬだけだ。戦争だろうが、日常だろうが、同じだ」
「ぷうううわっっはあああっっ!はい!小松島仕込みの泳ぎで捕まえてきました!」
仲村が水面から顔を出した。
銃剣の先には、40センチほどの不細工な魚が突き刺さっていた。
清水は、渡邉を見た。渡邉は小さく笑って言った。
「今日は、生きられそうだな」