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いのちで笑う


ヘルメットの中には、オレンジの精油のミストをスプレーしてある。レースに集中出来る好きな香り。

ヘルメットを被る。

狭い視界。
自分の息遣い。
オレンジの香り。
高まりと、冷静さ。
不思議な気持ち。
深い蒼と赤い橙。
ヘルメットを被ると前しか見えない。


少しひんやりするバイクに跨り、エンジンをかける。君は目覚め、温もりが巡る。アクセルを吹かす。いい反応。君もやる気みたい。いいね、私もだよ。


スタート地点。


遠く、直線の後の左カーブ。ヘルメットの視界の端には、他のレーサー達。彼や彼女らがバイクを吹かす。私も吹かす。まるで動物の群れのコミュニケーションみたい。


ぶろどろどろどろぶろろどろ

どどどどぶろどどぶろどどど

びるんどるんどるどどどぶろ


一瞬の静寂。


レース開始の合図アクセルを開ける全開に視界の端が一斉にぼやけ私達は過去を置いて前へ加速。



直線。シートの後方に座って伏せる。
空気抵抗を減らし、後輪に荷重をかける。猫が獲物に飛びかかる時の姿勢。

バイクは後輪で走る。だから後輪荷重にするとタイヤが路面をよく食う。ヘルメット越し、後輪がアスファルトにしっかり噛み付く音が聞こえる。


すごい勢いでコーナーが目前に迫る。

コーナーに入る瞬間、
ブレーキ。
減速力を利用して座る位置をシート前部へスライド。同時にうつ伏せの体を起こし、風を受ける。パラシュートの原理。
ブレーキも重心も空気抵抗もすべてを使って一気に減速。すると荷重は後輪から前輪へ移る。


前輪を支えるフロントフォークを沈ませ、
前輪を路面に食い込ませてブレーキを効かせる。さっきの後輪とは逆の原理。



バイクをコーナー内側へ倒す瞬間、
前輪ブレーキを解放、前輪の負荷を抜く。抜重という。一瞬だけ、重心がふわりと抜けるような感覚。

前にテレビで、合気道の達人の身体の動きを見た。膝の力を一瞬で抜き、足が、さらりはらと動き、一瞬で相手の背後に立った。あ、抜重と一緒だ、と思った。

コーナーで前輪の抜重をすると、ハンドリングが軽くなる。

その瞬間、
コーナー内側に向けて身体を傾ける。
傾ける分だけ、バイクが向きを変える。
この瞬間、重い車体が想い通りになる。

たった一瞬。この一瞬で、私とバイクの重心を私は全体で察知して一気に操作する。

いや、操作じゃない。多分一緒に動いてる。

コーナー中盤、アクセルを開け始める。でも全開じゃない、曖昧な状態。そして後輪の荷重を残す為に、後輪にブレーキはかけたまま。

どちらも、転ばないために必要な操作。
あくまで曖昧にしておく。曖昧にするって、とっても大事。怖さと共存するために。

アクセルをさらに開け始める。
後輪と会話しながら。

どう?噛めてる?
いくよ?
いけそうだね、
もう少し開けるよ。

スリップダウンしないくらいの
滑って転ばないくらいの加減した加速。

その加速力で身体を後方へまた戻す。

後輪に荷重をかけ、
そして微妙に後輪を滑らせながらアクセルを開け続ける。

音で分かる。滑りながら、後輪は地面をしっかり捉えてる。

右の坐骨で、右の太ももで、感じる。地面のとても小さな凹凸。温まって軟化してきた後輪の溝。

私の片方の口角が少し上がる。
まだアクセルは開き続ける。



横目で見る地面。
目の前の地面が灰色の濁流のように流れる。

前方のバイクのタイヤの、焦げたような匂い。私の中の雄のようなものが、その匂いにつられ猛る。腹の中に、冷静に熱く沸騰する血液。声にならない私の奥の咆哮。それを、この子のエンジンが代弁している。


慣性
遠心力
加速力
円周率
摩擦係数


この世の原理は私をコーナーの外側へ外側へ押しやる。けれど私は、すべての知識と、すべての本能を、脳内や神経系統で輝かせ、前へ全力で進む。この時私は、生きている。

コーナー終盤、アクセルを全開に開く。
直線。後輪荷重。猫のように伏せる。
風を少しでも避けられるように。

私とバイクは加速する。
また視界は一斉にぼやける。



指の運びがとっても綺麗だね。

小学校の頃。毎週水曜日に通っていたピアノの先生が言った。三十代の男の先生。眼鏡を掛け、背が高く、優しい声、髪の毛はくせ毛だった。となりに座って教えてくれるとき、小学6年生の私はどきどきした。

あ、その、ありがとうございます。

ピアノ、体のどこで弾いてるって思う?

うーんと、指と手と肘です。

おーなるほど、いいね、いい感覚だよ。じゃあさ、肩で弾く感覚って分かる?

うーん、何となくはわかりますけど、でも、わかんないかも。

じゃあ、そっちの椅子に座って、先生が弾くの見ててね?いい?


先生は、私の肩をほんの少し触って、いつも先生が座っている椅子へ私を促した。先生は、ピアノの椅子に座る。横顔の顎のラインがかっこいい、と、思ってしまって一人赤くなり、俯く。見ててね、と先生が言う。はい、と私は言う。

先生が右手小指と親指で、最初の音を弾く。

亡き王女のためのパヴァーヌ。

最初は、手だけが、手のひらと指だけが動く綺麗に弾けてる。綺麗な楽譜通り。羨ましい。

でも、曲が進むに従い、肘や、肩、動く範囲が増えていく。蝶々みたいに柔らかい動きになる。音が、変わっていく。

やがて、背骨や骨盤が動き始めると、ネコ科の動物みたいにしなやかになった。ゆっくり歩く虎のような、砂地を走るチーターのような、塀に飛び乗る雌猫のような。そんな動き。踊りと、音楽を観ている気分になった。

やがて、足先に重心を掛けて弾き始めると、川沿いの柳の樹が風に揺れているように美しく見えた。音楽は、遠くで風のように流れている。そう、流れていた。流れるように、流れていた。

私は、ぼうぜんとした。ピアノは音を正確に出すだけじゃなかったんだ。楽譜通りに弾けば気持ちいいし、褒められる。そういうことだと思ってた。でも、違った。楽譜の先があるんだ。違ったんだ。

先生は曲を途中でやめて、

こういう風にね、手とか腕とかだけで弾くんじゃなくて、体で、そし

と、話しだした。けれども、先生は、わたしの顔を見て、どどどうしたの?と慌てだす。

だって、何故だか私は、ぽろぽろと涙を流していたから。

あのときはわからなかった。小学生の私には、私が泣いている理由がわからなかった。

でも、今なら、なんとなくわかる。

私は、感動したんだ。

人間が、命ないモノと心を通わせ、そして人の命が輝いている瞬間を目撃したから。

その素晴らしい出来事に、私は心を奪われたんだ。そして私の体は、その余りある初めての感動に「落涙」という反応を選択した。




サーキットは、風景が変わらない。


そこで見えるのは、怖さと闘う自分の心の中。感じていたのは、自分の身体の動きと連動するバイクの挙動。

私はコーナーを曲がる時、命を実感する。遠心力や重力や加速力の混ざり合うたくさんの力の中、坐骨や太ももや肩や肘や手のひらや背骨や踵やつま先を駆使してバイクを駆動させる時、私は命を実感する。


最後のコーナーを抜け、傾けた車体を起こす。直線で私は最大限にアクセルを開き、最大限に体をバイクに添わせる。鉄の塊と肉の塊が混ざり、神経と電子回路が繋がり、肉の血液がエンジンになだれ込む。視界の端は滲んでぼやけ、前しか見えない。未来が次々にわたしへ向かってくる。バイクも私も猛り吼える。

こわい

たのしい

そしてわたしは

それらをこえる


わたしは、


いのちで、笑う。



















バイク乗りのさちさんの以下の作品に、面白いっ!!!ってなっちゃって、夢中でリライトさせていただきました!

さちさん、間違っている所あったらご指摘ください!何せ乗ったことないので!

いやしかし、楽しかったあ。。。


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拝啓 あんこぼーろ
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