そっと覗いて見てごらん。
あのころ、自宅の窓や、学校の校舎の窓からは、貝の裏側の螺鈿のように輝く海が見えました。
二十歳を過ぎるまで、福岡の海沿いの街に住んでいて、スーパーには沢山の魚や海藻が並んでいました。そして僕は、それが当たり前で、至極普通の景色なのだと思っていました。
大阪に移って、旨い魚や海藻が普通じゃなかったということに気づきます。
そして今住んでいる県には海がありません。旨い魚や海藻なんて、カードダスのキラカードなわけです。
“普通”っていつ頃どのように創られるのかというと、子供の頃の日常で作られます。
夕方の明るい時間に夕食を食べることが普通。おかずや副菜が4品出ることが普通。体操服が洗濯してあることが普通。
うちは母子家庭だったので、ご飯が毎日あることは、衣類が毎日洗濯してあることは、あんまり普通ではありませんでした。夜中に母親が帰ってくることもあったから。
夕方、駄菓子屋で、小さなカップラーメンのブタメンを啜りながら、友達がぼやきます。
母ちゃんの晩ごはんくさ、魚ばっかりやけん、ブタメンの方が良か。
僕はそれを聞きながら、自分の晩ごはんであるブタメンを、啜りました。この子は知らんとやろうね。と、思いました。
ふと、いつの間にか大人になって、わかるんです、普通ってとんでもなく幸せなことだったんだと。もしかしたら、普通=幸せなのかもしれません。
それぞれの子供時代の普通があります。朝ごはんがあって普通。戸棚にお菓子があって普通。いつもお腹が空いていて普通。
SMAPのセロリって、子供ながらに面白い歌だなと思っていました。
育ってきた環境が違うから
好き嫌いは否めない
育ってきた環境が違う者同士が出会って恋をして、同じ屋根の下で過ごす。それってとってもエキサイティングなアトラクションだと思います。
↑矢嶋花壇さんの、♯あのころ駄菓子屋で の参加作品でしたが、あんこぼーろの目が節穴で見落としてしまいました。花壇さんすみませぬ!罵ってくだされ!あんこぼーろの目は節穴である、とにかく豚野郎なのだと罵ってくだされ!
大人になるまで駄菓子を食べたことがなかった花壇さん。大学生の頃の彼は、駄菓子を買ってきてとても美味しそうに食べます。普通が広がるその瞬間です。
そして、育ってきた環境が違う彼が、つらい状況に寄り添ってくれたお話が収録されています。当たり前にはそんなこと出来ません。誰かと一緒にいるってことは普通を広げることなのかもしれないですね。
そして更にご紹介。
ファンタジーチックな、ミステリーチックな、どことなくホラーチックな、エッセイ???!
ホントのようなウソのようなその間をシャボンのように漂って流れていく、不思議な雰囲気のお話です。読んでみると不思議なその空気感にみなさんも気づくかと思います。
んーーーーー
スキーーーーー!
ってなりました。
そっと覗いて見てごらん。