ばあさんは、僕に乳首をしゃぶらせる。
あたりまえだと思っていたものがそうじゃなかったとわかった瞬間は、よきにせよわるきにせよ、世界が広がった瞬間そのものなのだと思う。
僕には、幼児の頃に「あたりまえ」のことがあった。
幼い頃、ぼくのばあさんに、あたまが痛いとかふらふらするとか眠れないということを愁訴すると、ばあさんは言い放った。
「ほら、おっぱいしゃぶんなさい」
とっくに乳離れをしているあんこ幼児である。
「おっぱいしゃぶったら熱が出とったらわかろうもん。ほら、しゃぶんなさい」
ばあさんはまるでお菓子をくれるみたいに、乳房をぼくにさしだす。
たぶんこの風習は、乳児の頃から繰り広げられてきたものなのだろう。幼児のぼくはなんの疑いもなく、「治療」のような感覚でばあさんの乳首をしゃぶっていたのだ。
3才ぐらいになっても、この風習はばあさんの方から「提案」され、ぼくはその習俗的治療を積極的に受けていた。それがあたりまえなのだと思っていた。
一応言っておくが、乳離れできていなかったから乳首をしゃぶっていたのではない。プラシーボ効果なのかリラックス効果なのか、実際に乳首から薬効成分が出されていたのかはわからないが、確かに体調不良が回復することがたびたびあったのだ。だから僕は乳首をしゃぶった。すべての子供はそうやって病を癒し、すべての大人たちはこのようにして大人になり得たのだ。あたりまえのことなのだ、と僕は信じて疑わなかった。
そしてまあ、この手の文章でみなさまが待ち望んでいる言葉があるのであるが、その言葉がまもなく登場する。
ところが ある日。
保育園の女子の友人が、体調不良を訴えた。
みんなで、大丈夫?どうしたの?と集まっている。
僕は、名探偵のようにつぶやいた。
「おっぱいしゃぶらせんといかんばい」
洞窟のなかでお祈りを捧げる邪教徒集団が、うっかり教祖さまを悪く言ってしまった者を、いっせいに見つめるように、保育園児たちが僕を見た。
でも、僕は、至極あたりまえのことを言っているのである。
邪教徒女子がぼくに訊いた。
「あんこちゃん、…まだおっぱい飲みようと?」
「は?のむわけないやん。でも病気のときはそうせんといかんめーもん」
邪教徒集団は互いの顔を見ている。
先生がやってきて、体調不良の子を抱き上げて連れて行った。
邪教徒たちは、自分達の遊びに再度夢中になり、乳首治療の件はうやむやになった。けれど、あたりまえのことを言っているのにも関わらず、不思議な反応をしていた邪教徒集団のことが、僕は心のどこかで、けっこう、かなり、とっても気になっていた。
そしてまたある日、僕は、ばあさんに愁訴した。
ばあさんはあたりまえのように乳首を出す。
僕は、保育園で起きたことを思い出した。
…もしかしたらこれは、普通のことじゃないのかもしれない。僕は異教徒なのかもしれない。けれどもばあさんはあたりまえに乳房を出し、僕は実際にそれで回復してきたのだ。そして妹もおなじようにばあさんの乳首をしゃぶって回復している。これは正しい行いなのだ。異教徒なわけがあるものかっ、あいつらは邪教徒だっ……。
けれども、僕は口が滑った。
「……おばあちゃん、これ…ほんとにせないかんと?」
するとばあさんは、しばらく黙ったあと、突然、阿修羅のごとく怒り狂った。
博多弁で僕を叱ってまくしたて、僕は泣きながら乳首をしぶしぶしゃぶる。いや、もういっそのこと、しゃぶしゃぶしゃぶるのだ。
するとそこへ、仕事が終わりじいさんが帰ってきた。
じいさんは、3歳で泣きながらばあさんの乳首をしゃぶる僕を見て、帝釈天のごとく荒れ狂った。
「きさま3才にもなってからくさ!!!なして、ばあさんの乳ばしゃぶりようとか!!!ばあさんもばあさんたい!!甘やかせるな!!!ばかたれが!!!!!」
えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!??????
僕の目は、覚醒するかのごとく見開かれた。刮目とはあのことを言うのだ。ばあさんが、ばつの悪そうに弁明している。
「こん子がどうしてもっていうけん吸わせよったとよ…」
えええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!?????
Σ(Д゚;/)/
僕はばあさんをゆっくりと、刮目したまま見上げた。
僕と妹とばあさんは、邪教徒だったのだ。
そういえば、ばあさんが乳首を吸わせるのは、僕と妹がふたりだけの時。ほかのおとながいるときは決してその治療行為は行われなかった。
僕はゆっくりと、唇からばあさんの乳首を放してうつむいた。あたりまえが、崩れ去った瞬間だった。
それから何度か、体調不良の折、ほかの家族がいないときに、ばあさんはしきりに乳首をおすすめしてきた。
僕は、船をなくし、すべてを諦めてしまった漁師のように、力なく首を振り、ことわった。
さて!
なんてねさん初挑戦の連続小説「蝶はちいさきかぜをうむ」のなかでは、僕のしらないさまざまな文化のようなものが繰り広げられている。
ふたりでああだこうだと話しながらものがたりを進めていく。これがまたなかなかに楽しい。
なんてね「あの、療養所の先の草原越えたとこに崖があるじゃないですか?そこの近くに発電所があるんですよ」
あんこ「あ、療養所の近くだったんですね。じゃあ時計塔も近いですよね」
普通に話しているけれど、いや、発電所なんてないし、療養所もないし、草原も時計塔もこの世に存在しない。存在しないものを、まるでそこにあるかのようにふたりは話す。なかなかに楽しい。
これはたぶん、なんてねさんが世界を旅して見聞きしてきたことの蓄積された、霜のようなものなのだろう。
わかったような気になっていた人生。
でも、まだしらないだけで、開ければきらきらと輝き出すような箱が、まだまだ人生にはあるのかもしれない。小説を読んでいると、ふたりで創作の話をしていると、そう思う。
僕はまだ、スイスの独り暮らしの老人と暖炉の前で話し込んだことはないし、シリアの少女の恋話を打ち明けられたことがない。まだやってないこと、たくさんあったよなぁ、と人生の余白を感じる。風が心を吹き抜けていくような感じがする。
創作することは楽しいし、そして、辛いなぁ、めんどくさいなぁ、って思うことも多々ある。ひとりで作るのは自由がたくさんあるけれど、一緒に作るのって、制約と、ルームシェアのような驚きがある。
お互いの頭のなかをテーブルの上に並べて、
「そうそう。それが当然だよねー。あたりまえだよねー」
と見せあうのだけれど、ごくたまに、
「え?!そうなの!?」
ということがお互いにある。
その瞬間は、刺激でしかない。
自分の中の構想がその刺激で崩れ落ち、そしてうなうねと再構築されていくこともある。もはや醍醐味。
なので、是非みなさまも、孫を騙して無理矢理乳首を吸わせるようなことでなければ、ぜひ誰かとの創作をおすすめいたす所存にございます。
こちらはなんてね小説から派生したお話!↑