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映画「ピース・ニッポン」製作の記録

「ピース・ニッポン」という映画ができるまでの9年間を まとめてみました。製作・撮影・編集・監督の中野裕之です。ひとりの人間の想いが形になるまでの記録です。    

抜粋した日誌のようなもので長文ですので、お時間あるときに読んでいただければ幸いです。

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「日本にあって、世界に少ないもの」
それは、「お互い様」と相手のために自分を少し犠牲にしても助けようとする利他(りた)の精神ではないでしょうか?              自分だけ良ければ良いという考え方の中心が、お金一番の資本主義です。 強いものだけが生き残る世界感です。利私(エゴ)な世界ですね。    お金で買えない、長い時間をかけて育まれてきたもの。         それが、自然であり、自然と共生してきた日本人のお互い様の精神です。 天災の被害は広大で、持続的です。ある日突然その被害者になるという経験を経て生まれてきた ” 助け合いの精神 ” こそ日本人が守り抜くべき精神だと信じます。

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「 美 」
美しさとは、何のためにあるのでしょうか? 怒った心でいると、決して美しいと感じる気持ちは生まれません。人間ゆえに感じられる、”美しさ”は、その人の心にある平和の種が咲くことで、美しいと思うことができるのではないでしょうか。

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それを知らせてくれる豊かな自然に感謝して、迷惑をかけないように生きる。そして美というのは神様の恵み、そのものであるという事です。この映画で目指したのは、そんな、神様を感じれるような美を探求する事でした。何度も両手を合わせながら感謝しながら撮影した事を思い出します。

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映画「ピース・ニッポン」について 

この、”世界に一本しかない、風景が主役の映画”は、2018年7月14日に公開されました。それまでには色んなことがありました。しばらく時間を追って綴っていきます。

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2010年秋
秋から撮影開始。3D立体映像とハイビジョン映像と写真で日本を記録し始めました。この頃は、映画にしようとか記録して遺すとか、特に想いも何もなく、ただ純粋に作品を作るつもりでした。

縁あってローマ映画祭のオープニング映像の撮影のために、コシノジュンコさんのご実家の2階からだんじり祭りを撮影しました。ジュンコ先生が衣装を買ってくださって用意されていて、「あなた、祭り装束を着て紛れ込んで撮りなさい」という作戦で、3Dカメラ担いでわっしょいわっしょいした事よく覚えています。

だんじり祭り 岸和田市 大阪府   

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それとは別ですが江戸町火消しの撮影も数年がかりでやりました。そちらは2021年現在も、日光の江戸ワンダーランドで上映しております。↓

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江戸町火消し千組 富岡八幡宮

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伏見稲荷大社 京都府

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奈良公園 飛び火野 奈良県

東日本大震災
2011年3月 
東日本大震災がおきて、街がなくなるなんて想像もしなかったことが起こり、人々が大事にしている思い出の街も写真館も、ネガもアルバムさえも流されてしまうという事に唖然として、自分ができることを必死で模索し、日本中を記録して遺すことを決意しました。未来の人に伝えるためです。

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風がおさまるのを待つのが写真。風が来るのを待つのが映像。

2011年5月から2013年頃 

日本の全てを残せれば良いですがそれは個人の力ではとうてい無理ですので、まず地元の人々の心の支えだったり、誰でも知っている観光地や名所を記録することにしました。                                

台風や水害で無くなってしまう、地元のなんでもない風景こそ残すべきものではありますが、それは地元の方々、特に若いスマホ世代が、1日3枚でも記録して、ハッシュタグをつけて投稿さえしてくれたら、一年くらいで日本中のアーカイブが一気に進むでしょう。

現在、ピース二ッポンプロジェクト では twitterと、instagram で                     #ピースニッポンプロジェクト をつけて投稿すれば、アーカイブ地図上に保存されます。投稿時に場所名もしくは、住所などか、位置情報タグがあれば正確に地図に反映します。

自然や風景や観光地の撮影は非常に大変でした。段取りが通用しないからです。劇映画や仕事は、段取りをして準備しておいたら、あとはその想定内で進むのですが自然は全くそうではなかったです。

3Dで日本を記録する事も必要だと思って、同じ場所で同じ構図でまず2Dで1回、3Dでもう1回撮影しました。それはそれは辛抱の修行でした。なぜならば風がなくなるのを待つのが写真で、風を待つのが映像だから。

2度目にいい風が吹くまで1時間かかることもある。チャンスをつかむために気合いを入れつつぼーっと待つ忍耐が必要でした。3Dがなかったらかなり楽だったはず。だけども、苦労したせいで現在おそらく私は日本の3D映像を世界一多く所有しているのです。いつの日か、立体映像で見た方が良い日本もあるに違いない。役に立つ日が来るだろう。

「 何事も無駄にはならない」 

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3Dカメラとは、左右2つのレンズが一台に入っているカメラです。より良い画質を求めて、3種類の3Dカメラを駆使しました。写真は一番上がパナソニックさんの業務用試作品で、世の中に一台しかない高画質なカメラで、特別に一度だけお借りした時の記念写真。真ん中が業務用で、長期レンタルしていたもの。一番下が買ったカメラで、当然、上に行くほど画質が良く、下のは結局は風景には使えなかった。

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自分の体の後ろ側に3Dカメラ、前に望遠レンズ付きのHDカメラの入ったリュックを2つ背負い三脚とコロコロトランクを引きずって各地へ撮影に向かったのです。写真は大阪城に行った時に音楽の岡野弘幹さんが撮ってくれたもの。結局は映画には使用されないことになってしまいましたが、写真も3Dも、映画にならなくても素材として、アーカイブの役目は果たしました。

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2014年 東福寺 京都 ついに4Kのカメラを購入しました。4K時代に突入したので、赤い色がようやくちゃんと表現できるようになり、 紅葉がようやくフィルムのように美しく描けるようになったのです。ということは、、今までのハイビジョンで撮影した場所をもう一度撮影しなきゃって、事になったってことなんですが。

京都のお寺さんに撮影許諾をとって、紅葉を撮影しました。撮影許諾申請の作業は、慣れない僕には大変な作業だったので大変でした。

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出雲大社が、”いずもおおやしろ”と読む事など、現地に行ってお話を伺わないとわからないこともたくさんありました。

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十和田湖は、まるで日本庭園が湖畔を全部形作っているのではないかと思うくらいに日本庭園のルーツだった。庭師は、こういう本物の自然を庭に凝縮していたのだなと感心しました。

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奥入瀬(おいらせ)渓流も、美しすぎて驚きました。黄色い道がずっと川沿に続いていて、初めての優しくも美しい景色で幸せに包まれました。

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東北の紅葉は黄色なんですよ。紅葉よりもそれ以外の広葉樹が多いですし。新緑の緑の頃はもちろん爽やかです。でも紅葉になりかけの頃には、いろんな色があって心踊りますよ。ただし、夕方過ぎると食事できる店がないので、必ず素泊まりではなく夜食も予約されますよう。どこにも飲食店がありませんので、知らなかった僕は菓子パンで一晩過ごしました。

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吉野山は、宿泊予約は到底無理だったので、前日に八尾市に宿泊し、始発で向かって撮影しました。到着した時には、花が真っ白でもなく少しガビガビして見えて、あれ、満開じゃないじゃんとか思ったけど、吉野の桜は山桜で、ソメイヨシノではないので、赤茶の葉っぱが花の横にあることに気がつきました。目が慣れてくるとそれはそれはすごい桜の山でした、雨とか早朝とかの方が雰囲気あることもわかったけど、桜は晴れで100%満開を狙うとことにしていたので、数年通うことに、、、信仰の印が桜の花なんですよね。

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錦帯橋は、夕方に他の仕事終わって、家に戻ってネット見てたら満開だったので、慌てて10分後に荷物作って山口に新幹線で向かいながら宿を予約しました。朝起きて,twitterの投稿をチェックします。晴れていて満開っていう所が、本当に満開なのかを知ることは難しいように思えるけど、満開ですってツイートの大体+3日後に満開100%が多かったですよ。      

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神磯の鳥居(かみいそのとりい)

茨城県大洗磯前神社(おおあらいいそざきじんじゃ)の鳥居を撮影に行きました。海や湖に鳥居が鎮座する場所は、全国でおそらく20箇所くらいあると思われるけども、関東ではここが有名です。

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朝日が神磯の鳥居の真ん中に来るのは秋です。前日から行って朝の4時半に一番乗りで三脚を置いたのですが、30cmくらい中心がずれたので、結局は他の人の邪魔にならないように、皆さんの前に出て、海岸の玉砂利の上に寝転んで手持ちで撮影して、のちにデジタル処理で映像を固定しました。   音楽ライブなどでは1曲分約4分以上、手持ちで揺れたら使用不可能で、かつ一度しかない記録っていうことで頑張っているのですよ。        長年そんな撮影をやってきているから1分くらいは揺れることはまずない。 だけども、微妙に水平角度が動いたりするのでスタビライザーという映像の特殊効果を映像にかけます、10分くらい待つとピタっと揺れがなくなり固定してくれるので相当に感動します。映画の全てのカットはこの効果をかけてあります。その計算だけで延べ半年くらいかかっていると思います。

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この八重桜と鹿の構図は、桜さんが笑っているように見えるので大好きです。奈良公園です。

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福井のイベントトークショーにゲストで呼んでいただいたので、終了後に、お城を撮影しました。日本最古の天守閣と言われている現存天守閣がある、丸岡城です。こういう縁がある時は交通費などが浮いて嬉しかったです。ぜひ呼んでください!あなたの街をアーカイブします。

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北海道釧路の鶴居村に日本鶴を撮影に行きました。寒くてどうしようかと思うくらいな日でも多くのカメラマンさんが列をなしていました。3月の頭くらいに行けば求愛ダンスが見れるそうです。2月に行って失敗しちゃったな。

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長野県の地獄谷野猿公苑です。スノーモンキーと海外では呼ばれていますね。温泉は周囲15mくらいで、案外に小さいんです。温泉でぬくぬくしているのはメスなんですよ。雄は縄張り確保で雪の中。

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そこに同じ風景は二度とない。

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2015年
撮影もしつつ、一年かけて400時間の素材から、使用するカットの選定をして映像を磨いた。手持ちで撮影した素材をデジタル処理で揺れない映像にする。ゴミなどの付着物を取り除く、色を調整するなどだ。それをやってからでないと素材が使えるかどうかがわからない。だから黙々とやる。

素材は5万カット以上あり、それに加えて3Dもある。HDで撮影した素晴らしい素材たちは、4Kの素材と並べると可哀想だった。なので、同じ場所に再度、4Kカメラで出かけて撮影をするが、去年と同じ風景はそこにない。

それを何度も何度も思い知る。一期一会なのだと。

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そこの場所のベストを遺したいと思っているので、映画でなければ、その場所に住む人と繋がるなどでお金をかけずに良い素材と出会うことも可能かもしれないが、映画にしようってことを思った瞬間から、僕は映像作家から映画監督も兼ねる事になり、製作もするわけで、映画って概念に縛られていく。

本当にやっかいなことに映画ってものは命をかけて作るものなのだ。逆にそのくらい他人の人生に影響を与えることが出来る。私自身にとっては 身を削り、魂を全部使って出来る限りのことをすべてやることを映画と言うのです。

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西行や芭蕉のように全国を行脚

夏頃から、映画の構成の基本形は固まってきたので編集をしながら、映像使用許可をお願いしていった。仕事の撮影では撮影日を決めて、撮影許可を頂いてから撮影するのだが、自然相手のこの作品では、晴れたところ、咲いたところに翌朝一番から撮影できる状況にないと、いい映像が撮影できないため、スタッフと一緒には無理だし、できてもお金がかかりすぎるから一人で西行や芭蕉のように全国を行脚したのだ。

だから、天気予報や情報で撮影候補場所が毎日変わっていた。だから実際に事前に撮影許諾を取るという行為は不可能に近かった。
仕事の場合には、雨でも曇りでも出演者や、もろもろの事情で予定通りにそこに行き、撮影をして、時間とお金をかけて、曇った空に青空をはめ込んだりして仕事を完了できるが、この作品では意味がない。良い条件で平和な日本を記録することだから。

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「生きて生まれ変わり、新しい自分になること」

私は監督なので、交渉ごとが不慣れであるし猛烈にへたくそだ。誠意を持って気持を書いた長い手紙を書くと、箇条書きで要点を送ってくださいとの返事もいただく。あらためて、プロデユーサーや制作さんたちの優れた能力を思い知りリスペクトする毎日だった。

新規に撮影許可をしないとNGな場所もあって、そこには翌年、撮影申請をして撮影をしにいった。一箇所でもNGなら完成も公開も1年遅れるのだった。

だが、ダメだろうと思っている場所から電話いただいてOKを頂いた時の嬉しさは、まるで受験に合格したかのようだった。

非営利活動と商用、映像作家と映画監督のはざまで、僕は大人になる勉強をさせてもらった。朝起きて、かなり気合を入れて電話するが、どもったり緊張してうまく要点が伝えられない。よくやく伝わっても、神社やお寺さんは、たいがいが、やりとりはファックスだった。メールはご使用になられない。映像を送ってコンピューターで見ていただく事もできない。静止画をプリントアウトしてDVDを郵送した。

こうした時間が半年。夏に3Dでの公開は無理とわかり、膨大な時間と労力をかけ編集もしていたので、捨てるのが惜しくて数日間苦しんだ。だがあきらめて4K化に向けて心を入れ替えた。

「生きて生まれ変わって、新しい自分になることが生きていくコツ」だといいきかせて生まれ変わった。リフレッシュ。

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熊野で見かけた龍の空

熊野古道の終点がある那智の滝のそばの山は、まさしく神がかっているという雰囲気がある。もちろん長い間ずっと観光地なので俗な部分もあるし、驚くことにインド的な寺院があったりする青岸渡寺(せいがんとじ)はアジア感が高かった。

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その青岸渡寺の塔の最上階から見る那智の滝は本当に見飽きることがない。落差133mもある。滝そのものが御神体なのですよ。

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飛騨高山手筒花火

毎年8月9日には厄落としを願って飛騨高山の宮川で手筒花火が奉納されている。飛騨高山手筒組の組長さんは極太の手筒をご自分で作られて一番最初に奉納される。迫力満点だ。

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こう行った祭事は、神事であり、ほとんどの日本の祭は神様に奉納をすることであり、祭があるからこそ、その日を楽しみにして生きている方々も多い。飛騨のこの祭では、川の橋では和太鼓、川の上に架けられたステージでは一度に十数本の手筒花火が上がる。案外空いているので場所取りも開催の1時間前でもまだ大丈夫だったりして見やすいし、高山ラーメンや、飛騨桃がめちゃうまいのでおすすめです。1ヶ月前くらいに予約したら宿泊施設は楽に取れると思います。

2015年12月31日 Japanオフライン完成!

ほぼ10ヶ月かかって、オフライン編集が完成。仮ナレーションも入れてみた。声を録音するのはけっこう大変だ。音楽を作るという事もこの段階ではできないのでまずは音楽も知り合いに楽曲を借りて作った。 大晦日にできあがって僕はとっても嬉しかった。200日以上編集したからね。

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2016年1月6日
タイトルは「JAPAN 日本列島絶景の旅」。121分。
親友たちに見てもらって、意見を参考に10分カットした。

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再度、生まれ変わるしかないと改心した。

2016年1月14日
尊敬するエンタティンメントの巨匠に見てもらったらなんと、、、全否定された。でもその意見は実に正しいなと思ったので、思いっきり凹んだけども前向きに考え直して、再度、生まれ変わるしかないと改心した。この間生まれ変わったばかりなのにね。

正直、誰からも作ってくれと頼まれていないのに自ら苦しい道にわざわざ進み、こうして凹んでいることに対して、自ら絶望して死んでしまいたいと思うことすら幾度もあった。

だが初心に戻ってみると、被災された人たちの苦しみはこんなものではなく、私の苦しみは所詮はものづくりに関する苦しみであり、好きでやっていることであって誰からも頼まれてやっていたわけではない。

東日本大震災に対しての自分なりのボランティア行為から派生した映画製作の夢ではないか。であるならば、映画製作は険しい山を登る作業なのだしそれはすでに経験済みだし、 凹むのは筋が違う!凹み禁止!と心を入れ替えて、とにかくいろいろとやってみた。本当に、心は難儀だからね。ただ、闇の中から光を発見するために頑張るのが人生なのだと。

凹んで得することなんか何にもない。心の持ちよう一つだもの。

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仲間ができた日 2016年1月23日

1月22日の58歳の誕生日にYoutubeでみつけた、すごいドローン映像を撮った会社にメールしてみた。
「日本を未来に遺すための映画を一緒に作れないでしょうか」と。
その翌日、驚いた事に、素材丸ごとハードディスクに入れて、埼玉から車で我が家にわざわざ来てくれたのだった。

ヘキサメディアの野口克也さんと遠藤祐紀さんの二人が来てくれて僕の編集室でJAPANを見て内容と趣旨を説明して、持ってきてくれた至宝の日本素材を一緒に見てそれから食事をした。
とにかく、孤独な日々ばかりで、しかも心も折れていたので二人の行為がすごく本当に嬉しくて二人が帰ってから感激して泣いてしまった。

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感謝できると、生きててよかったと思う。

つまりは、苦労は、感謝してよかったねというためにあるという真理

その後も、メールで連絡したドローン会社の人に素性を疑われて、素材を貸してもらえなさそうな時にも、ヘキサの遠藤さんからの紹介でとか言うと、なあんだ、って、いきなり全部使っていいよって 態度が変わったりとかで、何かと感動する事にはいつもヘキサの二人がからんでいる事が多かった。縁ってこういうことなんだ。

思い出を作るため自らドツボの道を切り開いて行く。

結局、ものづくり、特に映画製作などは人との関わりと縁、それから思い出を作るために自らドツボの道を切り開いて行くことなのだから、このような出会いがあって本当にそれだけでも生きていてよかったし生まれ変わった甲斐もあり、数少ないこの映画の仲間ができた日であった。

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佐藤 宏さんは、僕の知らない日本を教えてくれた大恩人。

日本は、ひとりで相手するには大きすぎる題材だから、「極富士」というブルーレイ作品で一緒した風景撮影の名手・佐藤宏さんから日本中の多くの素材を借りて構成を作るために編集していた。アクアジオグラフィックは、映像素材の販売貸し出し制作をやっている会社だ。youtubeチャンネルでは多くの日本映像が見れる。

佐藤さんは元々が水中カメラマンだが、丘に上がって星のコマ撮りや現在はドローンもなので陸海空全制覇で日本全国を撮影している人。

4Kに関しては日本で一番始めから撮影している人だった。彼の撮影済み全素材から多くの素材を借りて、まず編集して全体の構成を作ったのだ。僕の知らない日本を教えてくれた大恩人。佐藤さんにも何回も泣かされたなあ。いい人なんですよ、そしてすごいフットワークと忍耐力。本当にありがたい出会いに感謝だわ。佐藤さんの撮影した富士山はとにかく素晴らしい。

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左が佐藤 宏さん 右がヒゲある頃の私(ヒゲは公開の願掛けだったのよ-今はヒゲなし)                   

下の写真〜書は、西本聰二さん。

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「一期一会」

2016年2月8日 
天から言葉が降ってきた。
「一期一会」
そして同時にタイトルバック案も。
自分の6年間の思い出や様々な思いやしがらみをすべて消して、 ただ、純粋に一期一会でしか出会えない自然の美を凝縮するのはどうかと思った。

春の桜も秋の紅葉も一期一会、自然に二度と同じ瞬間はない。
人の出会いもまたしかり。そういう考え方は日本人の精神の基本となっているのではないのか。それは自然崇拝からの流れに仏教の思想が加わって諸行無常という考え方、それはいつも万物は変わり続けていると言う真理。

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「一瞬一瞬を大事にすること。」=「今を一生懸命生きること」 

それがすべて、自然崇拝から自然環境保護に至るまで 一気通貫するような気がしたのです。 そして一番ポジティブなメッセージだと今も思っています。

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「日本に恋しよう!」

一期一会の出会いを、未来に遺していくために大勢の力を借りて、もっともっと美しい日本を一本の作品にまとめようと思った。そしてそれで日本に恋する人が増えない限り、日本人が日本を好きでなくて、この国が良くなるはずがない。
「日本に恋してもらいたい。」そう思った。

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「PEACE NIPPON」

新しく作り直すにあたり、新たに予算もかかるので、インターネットが始まる前から一緒にイルカのビデオやマルチメディアなどを一緒に作っていた、親友でもある林郁さんに、協力をお願いした。

デジタガレージグループの創始者でリーダー。食べログ、映画.comなどのサービスをやっていて、グループ会社に価格コムがある会社のC.E.Oだ。

林さんとは今の会社になる前からの付き合い。デジタルガレージの共同創業者でアメリカのMITマサチューセツ工科大学メディアラボ所長も務めていた伊藤穰一さんとの初めての出会いの時も、僕はその現場にいて、まだ伊藤さんは大学生だった。

日本に来て1年後には日本で初めてのインターネットのホームページを作ったのも目撃しているから僕はけっこう日本のインターネットの始まる頃はよく知っている。まあ、とにかく林さんは、テレパシーレベルで超高速に回転する頭脳を使って猛烈で膨大な仕事数をこなす。だが、日本を愛し利他を理解している。一言で言うと、志(こころざし)のある人。ある意味、武士道にのっとった経営もできる人だ。「私心を捨て己を律し公に尽くす。」

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そんな超多忙な彼のスケジュールを少しもらって、方針を一緒に話し合った。そして「後世の日本人のために役に立つから」と快くエクゼクティブ・プロデユーサーをひきうけてもらい新しく「PEACENIPPON」がスタートしたんです。林さんが引き受けてくれなかったら映画になっていないです。本当にありがたいことです。

4K 2015桜東京 北の丸公園二重橋目黒川皇居.00_00_46_19.Still001

2016年3月3日

配給会社のファントム・フィルムの小西社長と会談。小西さんは、かつて一緒に「SF STEREO FUTURE」という映画を作った仲間だ。こういった映画を配給できるのかなどの相談などいろいろ話をして、勇気をわけていただいた。こうして数少ない味方が増えてくる。

2016年3月22日 PEACE NIPPON 本格的に始動開始。

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まず、、動きのある空撮でタイトルバックを撮影したかったのでそれを行った。人間を演出する、この作品初めてのシーンだ。
思えば6年以上、猿や鳥や鹿ばかり撮影していた。(笑)

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撮影はヘキサメディアの遠藤祐紀氏。強風の中、頑張ってくれました。
北海道の洞爺湖の近くの牧場地にて早朝から吹雪が止まらずだったが、奇跡的な15分の晴れ間に撮影できたのだった。

一回しか撮れない一発勝負だったけど、及川さきのさんが、薄い雪の表面を歩いてくれて、うまくいった。

雪が深ければ転ぶかつまづくだろうし、浅すぎると下の草原が見えてしまう。ギリギリの状態とスケジュールと天気予報を見ながらロケ地も選んだのでした。 いやあ上手く行ってよかった。

僕はローカルゴッド、つまり地元の神様にいつもちゃんとお願いをするんです。 その時には、なぜお願いするのかは、理由をちゃんと説明する。  この女性は女神で、日本が平和かどうか見守りに来られて確認をされているのですと。ですからできれば吹雪が止まって青い空が見えると希望があってよろしいかと思いますので少しで結構ですので光をいただけないでしょうか?と。そしたら奇跡がこうやって起きるんだ。ね!

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2016年3月31日

そして、一期一会の思想が、” 二度と同じ瞬間がない自然や、
風景の撮影と同じ、日本人の精神に基づくものだ ” ということを映像化することに決め、一期一会は、茶道の千利休さんの思想なので、東京の目白にある、裏千家の茶道会館にてお茶のシーンを撮影した。

一期一会という四文字熟語は千利休の作ではなく、弟子の山上宗二の著作「山上宗二記」の 中の「一期に一度の会」からから拾って、徳川幕府大老・井伊直弼が造語したものと言われる。俳優の渡辺大さんに客人になってもらい、及川さきのさんにお茶を点ててもらった。彼女は映画の冒頭に登場する日本の女神役でも出演してもらっている。どこかで一期一会の掛け軸がないかと探してもらって、ありました!って見てみたら、「生涯勉強」だったって(笑)違うやろ!!って感じで、なかなか探しても一期一会の書がなくて、友人で書家の西本聰二さんにお願いして書いてもらったです。

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2016年4月4日 彦根

吉野山、彦根、金沢、宮島などは大体毎年、同じ時期に桜が満開になる。 その前が京都、その前が東京という感じ。
この年は彦根に再撮影に向かった。 3Dの素晴らしいのはあるけど4Kはなかったからだ。       

始発で行くと、晴天の予定が花曇りで、白鳥のいるお堀などを撮影して、翌朝に備えた。この城ではかつて「RedShadow赤影」で多くのシーンを撮影したので場所は熟知している。僕は梅が咲く、人が来ない場所の近くのお堀が好きだ。

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↑ 彦根城の入り口。
2016年4月5日 彦根-金沢
早朝は快晴だったので、移動ショットで無人の彦根城を撮影後、天気予報で次に行く場所を検索して金沢に決定し、向かう。

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兼六園前でタクシーを降り、大勢の方々のにこにこ顔を眺めながら どこからどう撮影するか金沢城を道路を隔てて見る。石川門周辺撮影の後、城内に入り、左側に素晴らしいソメイヨシノが満開だったので見ほれながら移動ショットで腰を悪くするくらいに低速で這うように動いて風で揺れる桜の花を撮影。広大な広場から奥に向かい、撮影してから兼六園に向かう。

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 園内は桜が満開でそれはそれは華美であった。亀にしか見えない池の島とかを発見して喜ぶ。夕方になり、美味しい金沢料理を食べ、東京に帰る。

2016年4月7日 東京
福島の花見山の満開の桜をドローンで撮りたいと思っておりどうやらもうすぐ満開らしいのでヘキサメディアに連絡してみると遠藤カメラマンの携帯がつながって、その旨を伝え、今はどこにいるのかと聞くと三重県だという。そりゃ遠い、、、無理だなと思ったら、じゃあ、明日撮影終了後に向かいますねと普通に言われる。 軽く千キロ以上あるけど、平気なのだそうだ。すごい。

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花見山公園 福島市

花見山前の畑に菜の花が咲いていた。

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2016年4月8日 福島
前泊するために福島に向かい、花見山を撮影した。 毎年ながら素晴らしい。
桜は満開だ。よし!
野口さんと遠藤さん、撮影中。

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2016年4月9日 福島
早朝4時頃にホテルの駐車場に到着したヘキサメディアの二人。
三重県から帰ってきた遠藤さん、埼玉で合流してやってきてくれた野口さんに満開の花見山を撮影してもらった。花見山の頂上の東屋に夫婦がいらして、ドローンを発見して、連れていた犬を抱き上げて奥様が犬を抱いて手を振ってくださるのが小さなモニターに見えてにんまりしてしまった。竹内まりやさんの、いのちの歌の流れる中、僕は毎回、この奥様が犬の手を振るのを見るのが大好き。

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2016年4月12日 福島 鶴ヶ城


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会津若松の鶴ヶ城に向かった。ここも以前に撮影済みだったが4Kではなかったので、撮影をし直して、前回は撮れなかった移動ショットもうまくいった。そして日光に向かって仕事の撮影をと思っていたら、親友の訃報が入り、翌々日に京都で見送りの会に行くことに。
京都で苔の魅力を教えてくれて僕に自然を見る目を与えてくれた恩人だった親友の喪失にすごくショックを受けた。

2016年4月14日 京都
笑顔が素敵な親友を見送った。
最後の桜は車椅子に乗って見に行ったことを聞いて良かったなと思った。誰しも生きている間、一瞬でも長く素敵な瞬間を見て生きて欲しいと思う。

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東京に着いたら、熊本地震が起きた。なんてこった。          熊本の市民は熊本城のことをそれはそれは愛している。         あんなにかっこいい城だし。熊本城や天空の道にも被害があったことが後にわかったが とにかく、いたたまれない。

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熊本城 撮影2014年 撮影:野口克也さん

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2016年4月15日 会津若松
鶴ヶ城にて桜吹雪を待って待って撮影するも強風すぎて風情がないので、早めに切り上げて帰京。3カット撮れた。

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2016年4月18日 新倉山浅間公園 静岡
五重の塔と富士山と桜が一度に見れるからと近年に大人気になった場所ゆえに有名すぎるから、撮りに行く気がしなかったけど外国人人気が高い10位までを最低でも網羅しなくちゃと思っていたので早朝に到着するように出発。

朝5時にはすでに前夜から三脚を置いていた人たちでぎっしり。     横幅3mくらいで奥行き1.5mの展望台で、上にもう一段あってそこも三脚の林でぎっしりだった。

朝8時にならないと桜に光が当たらないので待つしかなく、時間があったので写真家の皆さんとお話などをして時間をつぶし、棒の先っぽにとりつけたカメラで前列の方々の頭上だが後ろには少し邪魔になるので、許可をもらって数回移動ショットを撮影してそれが映画に使ったカットになった。

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弘前城 2013 ↑
2016年4月24.25日弘前公園
青森の弘前公園は、現存天守閣の弘前城があり、幾つも桜の名所が 寄り集まったくらいに桜は見応えがある。

3回目の訪問だが、初回はボロボロ、そして2回目には、自分的にはかなり良いのが撮れていたが、驚いたことに、団子屋のおばさんに、今年はいまいちよね、と言われて、もう一度撮ることにしたのだった。なんと言ってもその土地の自慢すべき風景の一番よきものを遺したい。そして桜吹雪もここでいいのを絶対に撮らねばならない。

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弘前城2016 

石垣工事のために天守閣が移動したのでいい構図が撮れました。

桜吹雪は、地面を見て桜の花びらが既に多く落ちている場所の上空が狙い目なのだが、人間を試されるというか、構図を決めて待ち構えたら違う場所で散り始める。

それでそちらにカメラを向けて安定する頃には散り終わるので、それは使えない。だから気を落ちけて狙ったところに風が吹くまでただ待つしかないのである。

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吹くまでは他の場所で散る花を見て楽しまないとうまくいかないということ。初日は風がなくて、そのかわりに風が無い日でも1時間に6秒くらいは風が
吹くという規則を発見したことを良く覚えている。


2日目の曇りの日に桜はたくさん散った。後3日もいれば花筏も撮れるだろうが、宿泊施設は1泊しか無理で青森市内に移動しなくてはならないので2日で終了。
弘前の桜は小さくて可愛い花を咲かせる。

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2016年5月 
桜の撮影素材の整理も終わって、新規に映像素材をお借りした全国の映像作家さんとカメラマンさんが撮影した素晴らしい日本と向かい合い、編集を進めていった。

日本人の精神を映画に埋め込み、風景との関連を示唆できないのかとずっと思案しており、まず宗教以前の日本人の精神の基本となるものを調べていくために日本の精神関係の本を読み漁り勉強した。

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姫路城 撮影:阿部宗雄さん

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宮島 花火大会 撮影:阿部宗雄さん 前日夕方から場所取りしたそうです。

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北海道 撮影:川村伸司さん 星撮影の名人でもあり北海道代表のような方。

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釧路湿原 撮影:田中道人さん 釧路展望台を作った父の影響もあり、釧路湿原を長年アーカイブしつつ、CM,MVで活躍中。

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京都 嵐山灯籠流し 撮影:庄子利男さん DiscoverNipponチャンネル主催

2016年6月 
シナリオを書き終えて、まず、どうなるか見てみたいので2週間くらいで一本の作品に近い形で仕上げてみた。そして、自分的には、私史上いちばん真面目な作品になった。

そして宗教学者の大先生にシナリオを送ってみていただくと、また様々なご意見をいただき心が揺らいだ。

日本人が失った日本人の良きところを遺したい、伝えたい。でもそれは、本やドラマの方がわかりやすいのかもしれない。でも、美しい日本には誰でも恋してもらえる。だが風景ばかりでは飽きてしまう。ジレンマが続く。

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昭和の常識は、現代においては全く通用しない事を知っておく事

これらの過程で、あまりにも若い人は日本を知らなすぎることを知った。
現在50歳以上くらいの昭和生まれの人々が持つ日本人としての常識は平成生まれにとってはちっとも常識ではない。ほぼ知らない事だらけだ。
田舎でおじいさんおばあさんと同居している夫婦の間に生まれた孫であれば、その昔からの日本の常識は通用するかもしれない。だが、都会では無理だ。

修学旅行に海外や北海道などに行く私立学校が多い東京の場合は、京都や奈良に行かない学校すらあるわけで、それゆえに、清水寺は”きよみずでら”ではなく、”しみずでら”と読むのだ。知らないのだからね。びっくりだよね。

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”お互い様”は 最もピースな精神だと思う。

だけども、日本人には、”お互い様” という精神がある。
これさえ無くならなければ日本人は日本人だ。
世界で唯一、この精神があるのが日本だ。これを知り、誇りに思って欲しい。最もピースな精神だと思う。

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桜を撮影するたびに、平和に感謝する。平和でないと、撮影もできない。

私は、すべての日本人に、美しい国に生まれた事を知っておいてほしい。

おいしい水がただで飲める国が日本だ。美味しい果物天国が日本だ。

四季があって様々な花が咲き、彩がある国が日本だ。

お互い様といって相手のためを思う気持ちがあるのが日本だ。

お金や地位や、名誉とは関係なく、花はその命のままに
花を咲かせ、種を残し、次につなげていく。

この作品が、どうかそんな種になってほしい。

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2016年6月11日 いのちの歌の編集を終えた。

涙が止まらない。竹内まりやさんのこの名曲は、愛する人を失ったことがある人には猛烈に沁みる。様々な、若くして亡くなった知人や、無念に亡くなられたであろう方々のことを思うと涙がとまらない。(まりやさんとはこの曲のご縁で、彼女の映画『souvenir the movie ~MARIYA TAKEUCHI Theater Live~」の、いのちの歌のパートの編集などをお手伝いすることになり2018年の夏は、映画ピース・ニッポンの公開とともに思い出深い年になった。)

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2016年8月21日 山中湖パノラマ台にてすごい夕焼けと富士山を撮影。

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山中湖パノラマ台 山梨県

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2016年8月27日 全国花火師競技大会 大曲の花火。
すごすぎて泣きながら笑ったのは初めての経験だった。

2016年9月5日 歴史家 磯田道史さんにシナリオの歴史的事実についての監修をしていただいた。多忙な磯田さんにさくっと見てもらったおりに、構成についてご意見をいただいた。順番の整理方式についてだった。

なるほど、学者というのは整理上手じゃないとできないのだなと感心もした。  それまでは、3部構成ではなかったのだけども、いいご意見だったので大手術になるけれど、試す価値はあると思ったので、足りない場所に行って追加撮影をすべくシナリオ改定を始めた。

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轟の滝 高知県 撮影:岡田信一さん
2016年9月11-13日 四国ロケ
四国に向かった。ドローンの名手・岡田信一さんがいる高知にて、仁淀川や轟の滝をドローンで撮影していただいた。

岡田さんには鳥取県の大山のすごい紅葉とか、ドローンの飛行制限が改められた今日では撮影許可が難しいような撮影による、桜島の火口まで飛ばした貴重な素材を借りていた。
僕はさらに奥に向かって、仁淀川の始まりくらいの山奥で一泊した。
山の上にはたくさん、人が住んでいて、平家の落人だとかそういった人々もそうでない人も含めて長年そこに人がいるということに驚いた。
本当に山ばっかりだ。

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肱川あらし 愛媛県 撮影:大野 茂さん ↑
四国には、愛媛県に大野 茂さん、通称マリオ・シゲルさんがいて、滅多に見れない肱川あらしとか、花火の中に突入するすごい空撮花火などをお借りした。名人の大野さんの映像はゆったりと、そして雄大。少しもブレることがない。今では花火大会での空撮も多く出回っているが、中に突っ込んで行く勇気があるのは大野さんだけなので、世界中探してもこういう迫力のある全方向から花火が入ってくる映像はない。

吉野川花火大会 徳島県 撮影:大野 茂さん ↓

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2016年9月29日 東京
僕の敬愛するアートデイレクターの葛西 薫さんにお会いして、映画のタイトルデイレクションをお願いした。葛西さんはサントリー・ウーロン茶とかの広告を手がけられており、目にされていない人はいないくらい長年にわたり日本の広告界に葛西ありと言われる人。

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本当に謙虚で優しくて素敵な紳士。僕は30歳そこそこの頃に今井美樹さんの映像作品のジャケットをデザインしていただいた頃からのお付き合い。  日本が主役の作品の顔にもなるロゴは、葛西 薫さんにお願いしたかったのだ。

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2016年10月26日 日光 霧降の滝
日光の四季を撮影する仕事をedo wonderlandさんから頂いていたので
霧降の滝を野口克也さんにドローンで撮影してもらった。
ピースニッポンで紹介している日光のドローン素材はedo wonderlandさんの
協賛によるものだ。

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2016年11月3日 日光いろは坂
いろは坂と中禅寺の紅葉を野口克也さんに撮影してもらった。
いろは坂の空撮絵はまじですごいと思った。昔は馬車と歩きだしね。

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2016年12月28日 富士山
冬のきれいで澄んだ空気の湘南からの富士山をねらって藤沢へ。
海の中を歩いて移動ショットを撮影した。ああさぶ、、、

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2017年1月2日 湘南海岸 藤沢市 富士山
毎年お正月は快晴が多いので富士山を撮影に行った。
サーファーたちが初乗りしていた。movie

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2017年1月6日 大観山
箱根のターンパイクの上にある大観山という場所は芦ノ湖が
見下ろせる展望台がある。朝日も夕日もいいけどけっこう富士山までは
遠いので空気が澄んでいないと美しく撮れない。
寒かったけど美しかった。

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2017年1月11日 精進湖
映画にどうしても欠かせないものの一つに富士山の空撮があった。
チャンスをうかがっていたが、快晴シーズンもそろそろ終わるので遠藤氏にドローンで撮影を依頼して、夜明けから撮影してもらった。

2017年1月18.19.20日 カラコレ
ほぼ構成は決定したので、最終的な仕上げに向けてカラコレを始める。
カラコレとはカラーコレクション=色の調整。

IMG_0736のコピー-1024x768

その場所で見た通りの色を再現してもスクリーンでは薄く暗くなるし、テレビだと浅いコントラストになるので、映画館に合う色にしていく作業。


日活撮影所の中の試写室にて真っ暗にした部屋で10時間以上スクリーンを見つめて目がくらくらする作業をする。

カラリストは「ONE OK ROCK Documentary film FOOL COOL ROCK」の映画から引き続きで宮下蔵さん。
2017年1月21~2月1日 微調整
色を覚えているうちに、仕事場のモニターをにっかつのスクリーン色に似せる設定作業後に、細かくノイズを消す作業に取り掛かる。140カットくらいを細かく修正した。

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2017年2月から
京都駅ビルの中央コンコースの左右の4つの画面で、京都プレミアムヴィジョンという、京都の美を表現するサイネージの仕事をやることになった。

いわゆる京都駅の大看板なので、寺社仏閣など、映画では許可いただけない場所も撮影がOKになったので、 京都駅ビル開発株式会社さんと代理店であるJR西日本コミュニケーションズ 株式会社さんのご協力をいただいて交渉の結果、いくつか、さらなる美しい京都のシーンを映画に使用する許可をいただけたのが最高にうれしかった。

公開が決まるまで絵の方だけはまだ進化できるから差し替えていった。     京都プレミアムヴィジョン  website

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2017年2月10日
小泉さんの声を収録。十数年ぶりに小泉さんとお仕事。  うれしかった。
ナビゲーション音声の、ちょっとした箇所がキョンキョンするのがとっても可愛くてキュンキュンして嬉しい。予告編のコピーで「日本に恋しよう」っていう声を録音した時は、「恋しよう!」の「しよう!」だけで数テイクいただいたのだけど、「しよう!」単独で聞き比べしてるうちに、なんでこの短い「しよう!」だけで可愛いなって思えるのか全くわからないけど、それが 小泉今日子さんの魅力としか言いようがないよね、と思ったのでした。

予告編はこちら


2017年2月27.28日ダビング
東出さんの声を収録して、効果音などを入れて音声を調整して仕上げていく作業。歴史が好きな東出さんとの仕事は、にっぽん、にほん、ここはどっちでいきますか?の会話から始まった。

大河ドラマではにっぽんだけど、僕は本編中では「にほんじん」とか、「にほんでは」とタイトル以外では実はニッポンは使用していない。

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何十回もチェックしてあり間違いはないはずで臨んだシナリオだったけども、公開の頃には、場所の名所が変わったり、情報的に 世界で一番じゃなくなったりとか色々あって、2018年になってから修正をすることになったし、DVD化の作業中でも十一箇所の文字の修正をした。

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2017年3月5日 編集書き出し
ナレーションを編集室で張り込んでいく作業。
2017年3月9日 ダビング最終日   ついに音の方の調整が終了した。
2017年3月22日 カラコレ
再びにっかつ撮影所にて、ノイズが消えた箇所も含めてスクリーンで確認。微調整を行って一応、PEACE NIPPONは映画として完成したのです!

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「ピース・ニッポン」
2018年の3月-7月
配給のファントム・フイルムさんから2018年の夏休みに公開できそうだという
電話が入ったのが、約一年後の2018年の3月15日だった。配給担当者も決まって、映画タイトルを「ピース・ニッポン」にすることになった。そこから公開日の7/14に向けて、劇場で上映するためにデータをDCPというハードディスクにする作業があって、最後のクレジットなど、配給が正式決定したことによって作り直したり、DCPができてからも間違い修正がたくさんあったりして、試写会をやるたびに間違いの指摘があって、本当に大変だった。本当にこういうことに自分は向いてないわ。よくここまで苦手なことをやってわと褒めてあげたいわ(笑)

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大人になってきた子供たちが実はずっと、疑問を持っていたらしく最近ようやく話す機会があって、地下に篭って8年も何してたのか説明をした(笑)

公開までに約8年間、晴れたら家にいない父親だったし、編集室にずっと篭って一体何してたの?と、オタクの無職かと思っていたらしい(笑)

2018年8月には、西日本ですごい水害があり、姉の家も被害を受けた。この被害規模は見たことがないレベルだ。親友の工場も水没して廃業を余儀なくされた。日本は本当に天災が多い。目の前の景色がいつ無くなってもおかしくない。
だから私は日本を記録して未来に伝えていく。

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2018年9月 英語版制作
世界中で見てもらいたいので、吹き替え版を制作した。

文字だとたくさん文字が映像に被りすぎて、せっかくの美が損なわれるからね。ブルーレイ版には英語版が入っていて、最初にディスクを入れた時に英語を選ぶと、映像も音声も英語版になりますよ。

dvdはごめんなさい、日本語だけです。場所全部の英語表記とか、クラクラする確認作業や翻訳の直しなどをやって約2ヶ月かかって完成しました。  これまた向いてない仕事ではありましたが人に頼めないのでこつこつと自分でタイトルをデザインしてのせました。しんどい作業でした。

映画をご覧頂いた方にはそれぞれの感想があるでしょうし、色々と不満もあるとは思いますが、一本、日本入門的な映画を作れたことを私個人的には、嬉しく思っています。これから日本が精神的な中心の地になっていく過程で、何度も見直していただけるような作品を目指しました。

そして長文にもかかわらず、ここまで読んでいだだき、ありがとうございました。

2018年以降は、ピース二ッポンプロジェクト のホームページなどでご覧ください。ありがとうございました。         2021年 中野裕之


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海外で現在放映中の映画「ピース・ニッポン」の放送局です。

ロシア連邦 Noviy vek (TNV)公営 

エストニア共和国 Canal21

ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦 FTVボスニア・ヘルツェゴビナ連邦ラジオ・テレビ局

リトアニア共和国 リトアニア国営放送

メキシコ合衆国 メキシコ国営Canal 22(Television Metropolitana, S.A.de C.V.)

エルサルバドル共和国 Canal21

12月から アルバニア共和国 ラジオ・テレビ放送局Radio Televizioni Shqiptar(アルバニア)

スロベニア共和国 RTVスロベニア国営放送局 (スロベニア)2021年から

セルビア共和国 Javna medijiska ustanova Radio-Televizija(公営)2021年から

エストニア共和国 2021年から放映