この夏やってみたいことを思い描く
今日は久しぶりに湿度が低いカラッとした晴れ。
未だ、コロナに罹った妻の自宅療養期間満了まであと4日
そろそろ、この2か月半の休みの間に決行しようと考えていた構想を
具体化したいと思い始めた。
当初の計画では、お盆期間に実家に帰省し、そのまま1週間ほど滞在した後、一度自宅に戻り、1か月前に予約を入れていた心療内科の受診を済ませたら、5日間ほど一人鉄道旅に出るはずだった。
だが、先日記事に書いた通り、娘と妻が相次いでコロナに罹ったため、濃厚接触者になった自分は自宅隔離期間の観点と、妻の自宅療養期間10日間が終わるまでの家事を行うために、まだ自宅を離れられないでいる。
しかし、noteである方の記事を読んだ時、「自分にとって楽しいことを毎日3つ挙げることを習慣にすると、前向きな考え方が出来るようになってくることと、それに伴って、自分の周りにも良いことが起きるようになる。」というようなことが書いてあった。
ここ一週間ほどは、食材の買い物や、健康維持のための朝ウォーキングといった、必要最小限の外出以外は外に出ることを控え、自宅内の限られた空間に居る時間が長かったためか、日に日に思考がネガティブな方向に落ちて行った。
だが、今朝起きてみると、ここ数日のジメジメした空気から、何となく秋を思わせるカラッと爽やかな空気を感じられたことで、気分が少し前向きになれた。
午前中は、頭の中に、「今日はやりたいことリストを作ろう!」という考えが浮かんだ。
ところが、現時点ではnoteで人様に読んでもらえるほど、きちっと頭の中が整理されておらず、またどれだけやりたいことがあるのか、それがこの休み期間にやりたいことなのか、それとも少し先の例えばこの先1年の間に、といった期間でのことなのかもまとまっていない。
そこで、まずは最も近い将来(具体的に言えば、来週くらいの話)にやりたいことについて、つらつらと書いてみようと思う。
5日間の一人鉄道旅
このイベントには、3つのキーワードがある。
日数が5日間であること
一人旅であること
鉄道旅であること
1.なぜ5日間なのか?
この日数を設定したのは、3.鉄道旅であること、とも関係するが、各JRが期間限定で販売している、「青春18きっぷ」という、お得な切符があり、その1セットを使用して旅行出来る日数が最長で5日間のためだ。
青春18きっぷとは次のような切符である。
2.なぜ一人旅なのか?
この旅は、普通の夏休みの家族旅行ではない。
自分は7月初旬に会社の産業医からの指示により心療内科を受診し、「適応障害」と診断され、2か月間の休業指示を受けた。その日以降、現在も長期欠勤状態にある。
産業医からは、「ゆっくり休んでください。」と言われたが、いざ自宅休養が始まってみると、実際は思った以上に「休めない」ことが分かった。
自分が欠勤となっている間は給与支給の対象外となるため、翌月以降の給与は欠勤日数に応じて減額される。
一方、妻は週に数回、朝から夕方までパート勤務をしている。
このため、自分の給与が入らない期間の収入は、妻のパート収入のみになってしまう。(正確には、時間差はあるものの、健康保険組合から傷病手当金が支払われるため、全くの0にはならないのだが。)
そうなると、日中自宅に居る自分としては、ただぼーっと休んでいることは肩身が狭くて出来ず、妻の家事を積極的にサポートしたり、妻の外出中の野暮用の対応をするようになった。
いざ家事をやり始めると、気になることが次から次へと出てきて、それをこなすことに時間がかかり、あっという間に妻の帰宅時刻になってしまう。
そして、家族そろって決まった時間に夕食、入浴・・・とルーティーンを終えるともう23時を回っている。
そんな感じで何も生産的なことをせずにどんどん日にちだけが経過していく。
すると、会社員を27年間やっている自分としては、「こんなことでいいのか。」「ただ漫然と生活するだけで、欠勤期間が終わった時に、思考能力が衰退して、ますます業務について行けなくなり、今以上に精神的に追い詰められてしまうのではないか?」
と、焦燥感に駆られてしまう。
そんな葛藤もあり、日々会社の仕事をしていた時と同じような時間に起床し、日中は家事の合間の細切れの時間に、近い将来、自分らしい、自由で自律的な生き方をするための準備をし、
頭の中で堂々巡りしている思考を整理するため、noteに想いを吐き出し、
少しでも、「今日も、少しだけでも何か自分が前に進むために役立つことをできた。」と、達成感を得て自分を責めないようにしてきた。
その一方、「これだけ長い休みをもらっていながら、ずっと自宅にこもりっぱなしというのはあまりにも勿体ない。
日本のような自然豊かな国に住んでいて、自分が最も癒しを得られると信じ、ワクワクを実感できる、「釣り、キャンプ、焚き火、旅行」のいずれもせずに、どうやって心を休められるんだ?」
という思いがこみ上げてきた。
自分のワクワクの基となる4つのことの内、どれが一番実現できそうかと考えたところ、「旅行」であるとの結論に至った。それは、車を使わなくても良いためである。
妻がパート先に通勤する際は車を使用するため、釣り、キャンプ、焚き火をするための場所に、それも数日間連続では行けないのだ。
これで家族に遠慮することなく、一人だけの時間を確保し、これまで見たことのない新しい景色を見ることで何か自分の中に変化が起きるかもしれない。と期待している。
3.なぜ鉄道旅なのか?
それは、鉄道旅が今の自分のルーツとでも言うべき大切なものだからだ。
自分は幼少期の頃から鉄道が大好きだった。
母方の叔父が当時国鉄マンで、電気機関車の運転士をしていた。
叔父は我が家へ訪問すると、自分によく機関士の日々の仕事や列車の話をしてくれた。
自分が次第に鉄道に興味を持ってきたのが分かると、叔父は当時国鉄の花形であった「ブルートレイン(寝台特急)」の写真集をプレゼントしてくれたことがあった。
自分はその写真集を見ることが大好きで、全国各地の国鉄路線を走る寝台特急の写真を見ては、いつか自分も乗ってみたい。と憧れを抱いていた。
小学生になると、親に駅に連れて行ってもらい、叔父が運転士を務める機関車と列車の写真を撮り、様々な特急列車、急行列車の写真を撮っては楽しんでいた。
小学校5年生になると、クラスの友人に自分と同じように鉄道好きの男子が2人いて、毎日休み時間になると、小遣いで買った、国鉄の時刻表を開いては、鉄道旅の計画話で盛り上がった。
当時彼らは既に、子供だけで列車に乗り、県外に旅をしては、各地の駅で途中下車し、その駅の切符を買ってコレクションしたり、各駅に設置されているスタンプをスタンプ帳に押したものを何冊も持っていた。
当時は国鉄が「いい旅チャレンジ20,000km」というキャンペーンをやっていて、日本全国の国鉄全旅客営業鉄道線路の完乗にチャレンジする鉄道ファンが多数いた。
それに感化され、自分もただ駅で列車の写真を撮るだけでなく、旅をしてみたい。という気持ちが高まった。
そして、鉄道好きの友達2人と共に、当時もすでに存在していた青春18きっぷを割り勘で購入し、日帰りで普通列車・快速列車を乗り継いでどこまで行けるかに挑戦した。
自分達3人は、仙台発の下り始発列車に乗り込み、北へ向かった。
最終到着地は、青森県八戸市、太平洋沿岸を走る八戸線の階上駅だった。
そこから折り返し、仙台駅に到着したのは恐らく22時過ぎだったと思う。
その頃は幸いなことに、昨今のように子供の連れ去りなどの事件に巻き込まれるといったことがあまりない、何というか「古き良き時代」だった。
とはいえ、子供だけで300km以上離れた知らない土地に旅をさせることを許した両親は、内心さぞかし心配していたことだろう。そんな寛大で自分達を信じてくれていた両親には感謝している。
その鉄道旅を皮切りに、翌年の小学6年生には、同じ友人達と津軽海峡を青函連絡船で渡り、函館まで、1泊2日の旅をした。
中学生になると、自分は転校して別の市に引っ越したため、小学校時代の鉄道旅仲間とは離れ離れになってしまったが、あの頃の鉄道旅の楽しさが忘れられず、同じ中学校の親友を今度は自分が誘い、3年生の時に更に遠方、札幌まで旅をした。
高校時代には、「奈良シルクロード博」を見に、鉄道一人旅で奈良に、その足で大学のキャンパスを見に京都へ旅をした。
大学時代には、愛媛県松山市で開催された学会での発表の機会を使い、飛行機を使わず、列車を乗り継いで松山入りし、学会終了後はその足で、四国4県を列車で周遊した。
この時初めて、子供の頃に憧れていたブルートレインに乗ることが出来た。
往路は東京発、新大阪行きの寝台急行「銀河」、そこから特急を使って松山へ。
復路は、四国をぐるっと周った後、香川県高松から岡山に出て、そこから東京行きの寝台特急「あさかぜ」に乗車した。
社会人になり、時間に追われなかなかゆっくり鉄道で旅をする機会が無くなった。出張は新幹線や飛行機。普通列車を乗り継いで目的地に行くなどという悠長なことは許されない。
プライベートでも、結婚し、子供が生まれ、更に仕事が忙しくなり・・・。
そんなこんなで、あれからもう30年近くの歳月が経過してしまった。
その歳月を振り返り、自分を見つめなおすためには、鉄道旅しかない。と思うのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?