【野のへらぶな釣り心整家】野のへらぶな釣りで心が整うと気付くきっかけとなった体験談(第1回:開発コンサル&きっかけ編)
アラフィフ責任世代のあなたへ
こんばんは。
このところ週末に様々な
予定が入るようになり
スケジュールをしっかり管理しないと
1つや2つ、予定を忘れてしまいそうです。
特に11月は既に全ての週末に
予定が入っているので
普段ほとんど使っていなかった
手帳の見開きで
1か月表示のページに
予定を一つ一つ
時間も含めて書き込みました。
毎週末の準備のために
平日の朝や夜も使わないと間に合わない!
何やら来月は慌ただしい
1か月になりそうです。
さて、前回は、私の一人商い(複業)
野のへらぶな釣り心整家
とはどんなシゴト?
についての話の続きで、
私がなぜ
「野のへらぶな釣りで心が整う」
と考えているのか
その理由をお話しました。
今回は、
野のへらぶな釣りで心が整う
と気付くきっかけとなった
私の体験談を語ります。
野のへらぶな釣りで心が整うと気付くきっかけとなった体験談
1.開発コンサルタント時代の私の生活
私がへらぶな釣りを始めたのは
今から9年前の2015年の秋。
当時私は、今とは違う会社で
開発コンサルタントという
仕事をしていました。
この仕事は簡単に言うと
国や地域の発展をサポートする専門家です。
電気、水道、道路や学校といった
インフラ整備などの計画を立て
経済や環境なども考慮して
より良い社会づくりのために
アドバイスをします。
私は電力分野の専門家でした。
この仕事のフィールドは
発展途上国です。
政府機関の役人達との協議や
現場の調査
技術移転のための研修の実施などを
英語で行っていました。
出張先が発展途上国ということで
長時間のフライトや未舗装路の
車両移動
地域によっては
テロの脅威や、強盗、殺人のリスク
衛生状態が悪く
伝染病や感染症にかかるリスク
そんな環境下でも
自身の安全や健康を維持しながら
文化や考え方の異なる人々を相手に
根気強く協議を行い
将来計画の策定をサポートする。
出張期間は長いと1回で
1か月を超えることも普通です。
海外出張が多い年は
1年の1/3ほども
家族と離れ離れで
ホテル生活を送っていました。
私自身、この仕事は非常に過酷であり
更には日本国の看板を背負って
仕事をするため、
常に強いプレッシャーに晒される
厳しい状況にありました。
しかし、辛いのは私だけでは
ありませんでした。
日本で私の帰りを待っている
私の妻と子供達にとっても
肝心な時に父親が
長期不在にしていることで
様々な苦労を味わっていたのです。
そんな状況ですから
私も妻も、相手に対して相当不満が
高まっていたと思います。
私としては
厳しい海外出張からやっと帰国し
自宅ではホッと一息つきたいと
思っていても
妻にとっては、溜まりにたまった
子育ての悩みや
私の不在中に蓄積していた不安や不満が
ちょっとした言葉の言い違いで
琴線に触れて爆発してしまい
険悪な状況になったこともありました。
このように、オンもオフも逃げ場所が
無かった私は
次第に鬱々となっていきました。
更には、この年の春から
社内に新しい部署が立ち上がり
その部の責任者に昇進した私は
自分の事のみならず
20名の部下を持つ管理職となり
私と同じような環境下で業務を行う
部下達から
日々世界各地で実施されている
プロジェクトのトラブルや
私自身の専門外の分野についての
問題の相談を持ち掛けられ
精神的にも肉体的にも
疲弊していました。
2.娘から聞いた話が転機に
そんな私に
2015年9月に転機が訪れました。
当時小学校3年生だった娘(二女)が
地域の子供達を対象にした
イベントに参加したのです。
そのイベントは
私達一家が住んでいる
市内を流れる川を
小さな遊覧船でめぐる
「川巡り」でした。
私の娘は、その川巡りで
遊覧船から川岸を見たとき
釣りをしているおじさんがいた。
と、教えてくれたのです。
そこで私は「はっ!」としました。
「そうか、自分が住んでいる市内には
川釣りが出来る場所があったのか。」
普段の週末なら
仕事で疲れ切っていて
何もしたくない私でしたが
この時ばかりは非常に
テンションが上がり
娘に対して
「よし、今度そのおじさんが
釣りをしていた場所に
行ってみよう。
パパと一緒にそこで
釣りをしてみようよ!」
と提案したのです。
さて、今日も23時を回りました。
そろそろ就寝の時間ですので
その後釣り場に行って
どうなったかは
また次回お話します。
ここまで読んで頂き
ありがとうございました。
おやすみなさい。