ラノベから、(音楽)ジャンルについて考える
数日前「ライトノベル」についての、このツイートが、少しバズっておりました。(ちなみに、このつぶやき自体はフェミ論争の一角で派生したものではあるのですが、そのことについてはめんどくさいので省略w)
ここから、その女性主人公とは何を指すだろうか…ということでいろんなリプライがついたんですな。
当の本人は、スレイヤーズのリナ・インバースを想定していたようなのですが、当然涼宮ハルヒやキノもそうなのだろうし、他の方のリプで個人的にひっかっかったのはダーティーペアのケイ&ユリだったりしました。
他にも、聖エルザ クルセイダーズやハイスクール重機動作戦、魔獣戦士ルナ・ヴァルガー、ミニスカ宇宙海賊、それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコなんかもあがっていて、個人的におおお…となったのでありました。
そんな盛り上がりに対して、ラノベの定義論がちろっと持ち上がってきたのでした。
ラノベ自体の定義は、“ラノベレーベルから出ている”という身もふたもない設定があるのですが、スタイルとしての定義はどうなるのでしょうか。
wikiでは、日経BP社の『ライトノベル完全読本』において「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」と書かれているとあり、シンプルでもっともな説だと思いました。
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さて、さて、そうしたことを受けて私が思ったことは…これ!
いきなり音楽のジャンル論ですw
反響も皆無で、ここで記事にするほどのことかとも思いますが、勢いで書いちゃいましたw
でも、この話、結構構造が一緒なんじゃないかと思ったのです。
高千穂遙先生のダーティペア・シリーズがライトノベルの先駆け的に語られることがありますが、連載されてたのはS-Fマガジン、文庫のレーベルはハヤカワ文庫、刊行開始が1980年というわけで、ジャンル的にはスペースオペラの位置付けです。
その10年後に始まった神坂一先生のスレイヤーズは、いかにも今のライトノベルと地続き的な感覚がありますが、この作品のレーベルは、富士見ファンタジア文庫でした。いまでこそ電撃や角川スニーカーと並んで“ラノベレーベル”の代名詞的レーベルという立ち位置ですが、この時点で「ライトノベル」という言葉はありません。
その言葉自体は、ジャンルを指す言葉が無いということで、いろんな試行錯誤を得て、2000年前後にネットの発達と前後して定着していったというのが一般的な考え方です。
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ひるがえってロック界。
60年代末期から70年代初頭にアンダーグラウンドシーンで台頭していたのが「ガレージロック」です。この言葉も“ガレージで演奏しているような音”ということで、あとから付けられた言葉です。
その少し前に世界を制覇したTHE BEATLESや、彼らが影響を受けたロックンロール(すなわち、チャック・ベリーやリトル・リチャードとかあのへん)を、稚拙な技術と安い機材で大音響で再現したら結果的にそうなった的側面がありますが、それこそが“(海外版)バンドやろうぜ!”の基本姿勢であり、初期衝動をまき散らす嗜好だったといえます。
MC5や、THE STOOGESはその代表バンドとして、後年発見されたような感じでしょうか(当時は売れてませんでした)。
このあたり、ダーティペアがアニメ化によって、オタク界でSFとリンクしていなかった人々に知られるようになっていったことと繋がるような気がします(星雲賞取ったのもアニメ放映の後でしたしね)。
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そして70年代のパンクムーヴメントです。
まずはニューヨークから動き出しますが、DIY精神にのっとった、自分たちでもできるシンプルな音楽の復興という側面があったのでしょう。そして、その考え方自体は、先のガレージロックと地続きで、NEWYORK DOLLSやTHE MODERN LOVERSは、他ジャンルの要素を含むミッシングリンク的な存在ととらえるといいかもしれません。
そのときに、「PUNK (パンク)」という言葉ができるのですが、これがロンドンに飛び火し、多くの若者を鼓舞することで、精神的な意味合いとともに、シンプルなR&Rのスタイルに回帰する志向や、各地のレベルミュージックとの融合を目指すようになっていきます。
以降、パンクは音楽ジャンルの一つとして確立していきますが、英国におけるそのきっかけ自体は、仕掛け人マルコム・マクラーレンの戦略とみなす冷めた考え方もあります。
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結局言いたいことはと言いますと、所詮ジャンル分けというのは、“言葉遊び”でしかないのかもしれませんが、ただ、それに人生を動かされた方々は文学にせよ、音楽にせよ(さらには各種芸術、エンターテインメントも含む)大勢いて、それに込められた何かしらのスピリッツは否定できないということです。
そして、それが大きければ大きいほど若者を動かしムーヴを作っていった…。結果そのルーツ的先駆者も再発見されていく…。
つまりは、いつの時代も何かしらの表現はあり、ジャンルというのは、便宜上分類しているだけでしかないということで、今回の一件はそれをあらためて再確認できた、と思ったのでした。