洋楽事始め
以前、音楽雑誌のことを書きました。
なぜか知らないけど、これが一番“スキ”を獲得してたりします。
最近は、なんか何様的な文章が嫌なので文自体を「ですます調」にするよう意識してるのですが、このころは結構断定的で偉そうです。当たりもしない新聞の社説みたいw
この記事は、お気に入り雑誌がFOOL'S MATEからrockin'onに変わった流れを追ってるだけで、特に何にハマったかは書かれていません。なので、自分が洋楽ロック、ポップスを好きになっていく流れをつづってみたいと思います。
きっかけは中学一年の頃…1984年のこと。どちらかといえば邦ニューミュージック寄りの姉が「えらいことが起こった、これを聴け」と騒いだプロジェクトがきっかけといえばきっかけだったのです。
いわゆるBAND AIDですね。
今のワシなら、モリッシーのように白眼視したかもしれないし、ポール・ウェラ ー師匠がいるからと、とりあえずチェックは入れとくみたいな対応でしょうが、洋楽に疎いはずの姉の騒ぎ様に、それはそれは凄いことが起こっている…と感じとったのでした。
と同時期の話。所有するビデオデッキでMTVを録画してくれというリクエストが友人からきました(ビデオのある家庭は当時クラスで数件)。
一部の先鋭的なクラスメイトは、チェッカーズやアルフィー、ましてやアイドルなぞ聞いてられるかとばかりに洋楽の海に足を踏み入れた人種が少なからずいたのです。
当時ソニーが提供していたMTVは、金曜の深夜に4時間半にわたってロック・ポップスを新譜PVを中心に一応無差別に放送していました。デッキがうちにある以上、録画したうえで週末はわが家が上映会と相成るわけです。好き嫌い関係なく当時のシーンを視せられる羽目になるわけです。
ここで上記BAND AIDとつながります。プロジェクトに参加しているバンドやシンガーを中心に興味を持ちだすというわけですね。
でも、いきなり大物のSTINGやU2、THE STYLE COUNCIL、GENESIS等にいくことはなく、やっぱりヘビロテだったCULTURE CLUB、DURAN DURAN、WHAM!などにミーハー的に惹かれていのは13歳としてはやむなしといったところでしょうか。
さらにアメリカ勢、Michael Jackson、PRINCE、Madonna、Cyndi Lauperあたりもかかりまくっていましたから、そりゃあハマっていくというものです。
だから、初めて買った音楽雑誌はといいますとROCK SHOW(表紙Boy George)、つぎがMUSIC LIFE(表紙WHAM!)なのでありました。
あたりまえですが、ブルーアイドソウルだ、ネオアコだ、ファンクだ、ニューロマンティックだ、第二次ブリティッシュ・インヴェイジョン…などということは全く意識してません。
なんでもかんでも目に入る範囲内で手を出しては、得意になってました。
メタル・ハードロックとの邂逅は半年後、パンク・スピリットを意識するのは一年後、プログレ沼に落ちるのは一年半後、…刻々と何かが蠢き始めましたのでした。
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