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第一子 あるある⁉️ #4

なんだかんだと開催までいろいろあった『東京オリンピック2020』も
いよいよ最終日。

東京からとても遠い札幌😆で行われている、男子マラソンの中継の様子を横で聴きながら書いています。(今日は昨日よりいくらか気温が低いようで、良かったね❣️)

57年ぶりに開催されたオリンピックが行われている今、当時の記憶は全く無い自分が、還暦を迎えて人生を振り返ってるって、なんだか感慨深いです。

さてさて、なぜ母が嫌いになったのか?

たぶんそれは、2歳下の弟が生まれたことが深く関わっている‼️と思う。


3月生まれで、当時は季節外れの大雪が降った日に生まれたことで、雪男❌「幸男」と名づけられたこの弟、とにかく手がかかるヤツで、いつも頭に包帯を巻いて、鼻水を垂らしてる(昔はいっぱいいた)少しもじっとしていない子でした。

私の記憶している中でも、2階の窓から布団ごと落ちたり、三輪車ごと家の前のどぶ川(結構広い)に落ちたり(どんだけ落ちる💦)  おばの家で走り回ってストーブの上にあったヤカンのお湯を足にかぶって大火傷したり。。。

とにかく、弟が生まれてからというもの、母の全ての関心は、弟に向けられたわけです😢


当時の母の口癖は
"早くしなさい!"
"お姉ちゃんなんだから我慢しなさい"
"女の子なんだから優しくしなさい"


今にしてみれば、仕事に家事に育児に挙げ句の果ては、酒呑みの夫に。。と、元々の母の性格もあるけど、子どもの話をゆっくり聴く余裕なんかなかったんだろうなぁとは思います。

でも、私にしたら☆スターの座☆を奪われたわけだから、面白くない!
おかあちゃんキライ‼️ なんて単純!ある意味、素直。

そんなわけで、ある意味手のかからない私は、父といることが多くなり、父の趣味だった、囲碁を打つ碁会所?によく連れていかれ、帰りにお寿司屋🍣さんにより、なぜか❓ネタのイカ🦑だけをいくつも食べるおかっぱ頭の子になり、帰り路では、気分の良くなった父の

 ♫おうちが だんだん遠くなる~ 遠くなる~ いまきたこの道 帰りゃんせ~え 帰りゃんせ~♫

というご自慢の喉を聴かされたのでした。

私のおじさんキラーという特技❓はこのころに培われたものかも。。。

つづく



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