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【仮面ライダーリバイス考察】最終話:契約を反故にして再生した家族。

本日、第50話が放送された仮面ライダーリバイス。
まだ冬映画こそ控えているものの、一応今回で物語は完結を迎えたという事になる。

放送開始当初は「家族をテーマとしつつも、絶妙に家族とは距離を取った作品」という新しさにどっぷりハマったものだが、最終話を見終えた今物語全体を振り返ってみると「一年という時間が製作陣と五十嵐家の距離を限りなく近づけてしまった」という印象は拭えない。

「なんだかんだ楽しめた」「終わってみれば良い作品だった」と締めるには、この物語はあまりに行き当たりばったり過ぎた。
そんな"珍味"仮面ライダーリバイスを、今こそもう一度考えてみたいと思う。


家族の成長

本作最大の問題点、それは「家族をテーマとしておきながら、家族の成長を描けなかった」事だ。

五十嵐家のメンバーはそれぞれが"家族"というものを非常に大切に思っている。が、それはあくまで個人のアイデンティティとして語られるに留まり、別に家族で一致団結して何か大きな問題に立ち向かったりする描写があるわけではない。

五十嵐家の三兄妹は「ライダーになれない事」に悩んだり、「ライダーになっても勝てない相手がいる事」に悩んだりと、手っ取り早く"大いなる力"を得て大人と対等の存在になりたいと願う子供そのものだ。結局彼らは自分以外の何者かになる事でしか成長する事ができなかった。

一輝がサッカー選手の夢を諦めた事、大二が一輝に対して抱いている嫉妬心や劣等感、さくらが女性として扱われ守られる事に拒否反応を示している事と、それを知らず女性的な振る舞いを求める幸実。

彼らはこういった悩みや苦しみといったものも"負の感情"として都合よく悪魔に置き換え、その悪魔と信頼関係を築いたり和解する事で"悩んでいた"という事実まで有耶無耶にしているに過ぎず、悩みの原因となっている問題そのものは何一つ解決していない。

家族がなにより大事。五十嵐家は最強。
口ではそう言うが彼らの行動を見ていると常にスタンドプレイが基本で、協力しようとする姿勢はあまりに希薄だ。
振り返ってみても、両親のおちゃらけ具合も手伝ってか五十嵐家で交わされる会話にシリアスなものは殆ど無い。
何か真面目な相談をする場面も少ないし、親が子を叱ったりする事も無かった。
これは、それぞれに"もう一人の自分"であり"最大の理解者"である悪魔の存在がある事も大きい。
基本的に内面的な悩みについては悪魔との会話で解決できてしまう故、家族の会話が少なくなってしまったのかもしれない。

一輝の記憶が元通りになったように、この一年で五十嵐家はただ元通りになっただけでより絆が深まったりしたようには見えなかった。


記憶と契約

一輝の記憶が戻った事については、やはり違和感が残る。

バイスとの契約は「力を与え、家族を守る代わりに記憶が消えいく」というものだ。
そしてこの契約は一輝がバイスを含む家族全員を忘れる事で「満了」となるらしい。

ジョージは「バイスを忘れるという事は、契約自体が存在しなかった事になる」と言っていたが、そもそも契約とは、後々どちらか一方が「忘れた」などと言い出さない為にあるようなものだ。
忘れたところで契約は無かった事にはならないのだ。

それだけでなく、記憶の消える順番とタイミングについてもご都合主義的な違和感を感じた。

「次に変身したら大二やさくらの事を忘れてしまうかも」と予告した上で本当に大二とさくらの事を忘れたり、今回のバイスとの"最後の変身"に関しても同様にまだヒロミやジョージを始めとして様々な事を覚えているのに、全員が「次の変身でバイスを忘れる」と確信し、それに向けて計画を立て、実行する。
そして本当にそれが最後の変身となる。
(そもそも中盤までは「旅行に行った事」などエピソード単位で消えていた記憶が終盤に入って突然「両親について」や「兄妹について」等ごっそり削られるようになったのも解せない。)

更に言うなら、バイスとの戦いを見るに、一輝は決着後にバイスを忘れていた。
力を与える事と引き換えに記憶を失うならば、記憶の消えるタイミングは「変身した瞬間」でないとおかしい。

最後の変身をした瞬間一輝はバイスの事を完全に忘れ、バイスに救われた人々の見ている前で一輝だけはバイスを「倒すべき悪魔」として処理するという展開の方が感情移入もできたような気がしてならない。


悪魔とは何だったのか

放送開始当初、悪魔とは人間の欲望や負の感情を体現する存在だった。

これらはマイナスのイメージが強い反面、人間から完全に取り除く事はできない感情である事から、ギフを倒す以上、悪魔と人間は共存しなければいけないのだと思っていた。

しかし最終話における大二のさくらの会話で、この定義は覆される事となる。

大二「俺たちの悪魔もいつか消えてしまうのかな」
さくら「でも悪魔との別れは悲しい事じゃないんだよね」
大二「あぁ。自分が成長する為には必要な事だ」


どうやら悪魔は皆がいつか別れなければいけない存在らしい。
悪魔はいつからか「うまく付き合っていくべき負の感情」から「いずれ忘れられるイマジナリーフレンド」になり下がってしまった。

別に悪魔がイマジナリーフレンドでも良いのだが、それならそれで脚本のアプローチは絶対に変えなければいけなかっただろう。

総括

これらを踏まえて仮面ライダーリバイスがどんな作品だったのかをまとめると、

序盤こそ明るい作風の裏側に"家族"を軸としたドロドロを匂わせる事に成功したが、いざその裏側にスポットを当てる段階になると「やっぱり家族は素晴らしく、仲の良い家族こそが最強」というメッセージ一辺倒になり当初匂わされたドロドロよりも後付けの設定ばかりが優先されてしまったという印象だ。

今週幸実が言った「いつの間にか子供たちはどんどん成長していたのね」という台詞に象徴されるように、主人公たちは明確な壁を乗り越える瞬間を描かれないまま気づけば「成長した」事にされていた。

デッドマンズの頃に犯した罪の件は保留にして大二の組織再建に力を貸す花と玉置も、目の前にある問題を先延ばしにして楽な方に流れているようにしか見えない。花がかつて言った「全てが終わったら罪を償う」という言葉にある"全て"とは一体どこまでを指しているのか。

大二「過去を背負って、それでも未来へ進む。」

その"過去"には、デッドマンズによって深く傷つけられた人達も多く含まれている事だろう。
その人達が花や玉置に望む"償い"とは、本当にフェニックスの再建を手伝う事なのだろうか。



以上のエピソードからも分かる通り、全体を通してリバイスには「深く考えない」事を善しとする風潮があった。
やりたいからやる。助けたいから助ける。
それは大いに結構だ。
ただ、否が応でも自分自身の心の奥底にある感情と向き合わなければいけない「もう一人の自分=悪魔」という設定とは明らかに食い合わせが悪かったと言わざるを得ない。

一年間、毎週欠かさず視聴したからこそ駄目な部分は駄目だと言いたい。
そして、そういった「真正面からのぶつかり合い」こそがこのリバイスという作品に最も欠けている要素だったのではないだろうか。
リバイスでの経験を活かし、来週から始まる仮面ライダーギーツには是非とも尻上がりの展開を期待したい。
少なくとも最後の最後でキングカズを出したりする事のないよう願うばかりだ。

何はともあれ、一年間続いた仮面ライダーリバイス考察もこれにて終了となります。
今までお付き合い頂いた方々、本当にありがとうございました。


(仮面ライダーリバイス公式サイト リンク)
https://www.tv-asahi.co.jp/revice

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