「ザ・エレクトリカルパレーズ」がドキュメンタリーにもたらした革命
お笑い芸人所属事務所の最大派閥「吉本興業」。
その吉本興業が作った芸人養成所「NSC」は、1982年大阪での創立以降順調にその拠点を増やし、今や北は札幌、南は沖縄まで主要都市に点在している。
その東京校17期に突如「ザ・エレクトリカルパレーズ」(通称:エレパレ)は生まれた。
チーム名の入った自作のTシャツを着用し、授業の際には常に最前列を陣取り、仲間以外のネタでは一切笑わないという9組の芸人からなる彼らをある者は羨み、ある者は妬み、そしてある者は嫌悪した。
そうしてエレパレは東京NSC17期の中で知らぬ者はいない存在となっていった。
しかしそんな彼らの暴走は程なくして卒業生である先輩達の耳にも入る事となる。
NSC卒業直後、エレパレは先輩による「イジり」の格好の的となった。そこで彼らは初めて気がつく。自分達は「イタかったんだ」と。
いつしか、まるで始めからそんなもの存在しなかったかのように誰もエレパレの名を口にしなくなった。
そして17期の卒業から9年が経った2020年、エレパレ世代の2期先輩にあたる15期卒業生ニューヨークが自身のYouTubeチャンネルでそのタブーに踏み込んだドキュメンタリー映画「ザ・エレクトリカルパレーズ」の製作を発表した。
11月6日にYouTubeで公開された本作は現在も凄まじいスピードで視聴数を伸ばしており、「ドキュメンタリー版桐島、部活やめるってよ」と呼ばれる程にカルト的な盛り上がりを見せている。
【ドキュメンタリー版桐島、部活やめるってよ】
「桐島、部活やめるってよ」はいわゆる青春群像劇としての完成度が高く、観賞後に自分は誰に感情移入したか、つまりは自分がどんな学生時代を送ってきたのかを誰かと語り合いたくなるような作品だった。
私も当時そんな「桐島」に魅了されたうちの一人であり、家族や知人、同僚に鑑賞を強く勧めた。
しかしその結果、一定数ハマれない人がいることが分かった。
それは「学生時代をイケてるまま終えた人」もしくは「学生時代をイケてるまま終えたと思っている人」達だった。
彼らの映画に対する評価は「先が読めた」や「最後まで桐島が誰なのかわからなかった」というものだった。
もちろん彼らが悪いと言っているわけではない。「桐島」という映画は、あくまでイケてない側を象徴する前田と、イケてる側でありながらその価値基準に疑いを持つ宏樹が主人公の物語であるため、イケてる側でなおかつ宏樹にも感情移入できなかった観客はどうしても中盤以降宙ぶらりんになってしまうのだ。
彼らにとって「桐島、部活やめるってよ」はただ桐島を見つけるゲームになってしまった。
それらを踏まえて、もう一度「ザ・エレクトリカルパレーズ」について考えたい。
エレパレは、まさに「イケてる学生時代とその崩壊」を象徴する存在だったように思う。エレパレメンバーは前述の桐島ハマれなかった勢そのものであり、本作はそういった人達にこそ刺さるコンテンツであると考える。
「最後まで桐島が誰なのかわからなかった」と言ったあなたにこそ見て欲しい。なぜならエレパレは「桐島を探しに行く物語」だからだ。
【エレパレがドキュメンタリーに起こした革命】
ドキュメンタリーを見ていて最も気持ちが冷めてしまうのはどんな時か。
それは、「誇張」と「捏造」を感じた時だ。
正直私は、ザ・エレクトリカルパレーズの鑑賞中、その両方を感じた。しかし面白かった。それこそがエレパレの起こした最大の革命だった。
その革命を成し得た理由、それは、登場人物が全員芸人(もしくは元芸人)であるということだ。
彼らはプロの芸人であるが故に作中幾度となく話を誇張したり、面白そうな流れがあればそれに乗っかろうとする。
もちろん物語の核心に迫る場面ではそういった誇張・捏造を拒否し真実を語っている(少なくとも素人の自分にはそう見えた)のだが、そんな時にも表情や仕草から「本当はこれに乗っかって笑いにしたいけど」とでも言うような芸人ならではの葛藤が垣間見えてその度に胸が熱くなった。
つまり、ザ・エレクトリカルパレーズはドキュメンタリーでは本来タブーであるはずの「誇張・捏造」という要素が、芸人独特の「話を盛る」という文化と混ざり合い、常に視聴者に「一体どこまでが真実なんだ?」という妙なスリルを与えていたのだ。
【エレパレとはなんだったのか】
ラストシーン、エレパレのテーマソングをバックに出演者全員に問いかけられる「あなたにとってエレパレとはなんですか?」という質問。これには心底唸らされた。
この質問は、映画全体を総括するものであると同時に芸人にとってはまるで大喜利のお題かのように感じられた事だろう。つまりこのありふれた形式の質問でさえ芸人にとっては「ボケる/ボケない」の葛藤になり、視聴者には「どこまで本心か」を想像する余白になる。
笑いのプロ達から投げかけられた最後の問い「結局エレパレとは何だったのか?」。
それぞれの答えのうち、一体どこまでが本音でどこまでがリップサービスなのか、私達に知る術はない。
なぜならエレパレはそれぞれの中にあり、私達のエレパレは、これから自分で見つけていくしかないのだから。
(ザ・エレクトリカルパレーズ動画リンク)
https://youtu.be/rS_-ILiycds
(ニューヨークチャンネルリンク)
https://www.youtube.com/channel/UCS17iKEInkBuHkxtEcCnTTQ