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「ありがとう」の反対語
まさかこんな世の中が来るとはと、新型コロナには本当に世界が混乱した。
近い将来、近代史として教科書に載るんだろう。
ようやっと薬一つで解決するところまで優秀な方々が頑張ってくれた。
全世界がせっかく共通の課題(敵?)をシェアできたこの時代に、もう少し世界は平和に近付くのかと淡い期待を持ったが、やっぱりそんな簡単にはいかないものなのね。
薬一発で治療できちゃうようになった際、その時点でコロナの治療なんて「当たり前」になるんだろう。
ナノミリ(100万分の1ミリ)技術の進化で、いずれは注射一本でガンも治ってしまうだろうと言われる。
その頃には、ガンなんてちょいちょいのちょいが当たり前。
いつでもどこでも当たり前にタバコを吸えてた時代が愛しい。
ネットとスマホで、こんなにも莫大で貴重な情報にアクセスできるのも「当たり前」。
水を飲めることに感謝なんてしない、当たり前が過ぎる。
こんな平和な国に生んでくれたことも、両目が見えることも、親に恵まれたこともありがたいと思う。
しかし、「当たり前」にふわっと飲み込まれる。
失ってからその価値を知ることなど分かってる。
何度も何度もそんなことは経験してきてる。
それでも当たり前が当たり前。
夏休みに「いいねぇ、あんた達は毎日がエブリディで」って言われたくらい当たり前。
「ありがとう」の反対語は「当たり前」。
できうることなら、いつだって今ある幸福に感謝をしていたい。
しかし、そこまで感度が多忙なら、過去の苦痛も忘却できない懸念もありそうだ。
忘れられるから生きていけるという気もする。
はぁ~ん、むつかしい・・・!
取り合えず、大切な人達の誕生日をリマインダー設定して、おめでとうのついでに「いつも優しくしてくれてありがとう」を伝えるルールにするか。
むつかし・・・当たり前。
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