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箱根駅伝と私〜③ラスト200mは運命を変える〜


みなさんおはようございます、まつです。

私が箱根駅伝にはまって法政大学と中央学院大学を応援するに至るまでの過程を辿る「箱根駅伝と私」シリーズの第3回です。

前回までの投稿はこちら

第1回→箱根駅伝恐怖症
第2回→山下りの神様

3回目の今回は、いよいよ私が今応援している中央学院大学にはまったきっかけです。

2回目までを読んでくださった方は、「あれ、法政が先じゃないの?」と思ったかも知れません。

1,2回目にチラチラと法政が出てくる一方、ここまで中央学院は一切出てきていません。しかし、実は法政よりも中央学院に興味をもつほうが、ほんの少しだけ早いのです。

そして、中央学院に興味をもっていなければ、法政にはまることはなかったかも知れないのです。

今回はそんな当時の話を綴っていきます。

初めての現地観戦

箱根駅伝89回大会が終わった頃、4月からの進路が決まり、スマートフォン(iPhone5)を購入しました。

購入してすぐに始めたのが、Twitter。

まずは、ネットで情報を漁ってた頃に知った「EKIDEN MANIA」さんや「EKIDEN NEWS」さん、そのほか東洋大学のOBを中心にフォローしてみます。

色々検索していると、駅伝ファンの方のアカウントもちらちらと目に入ります。

(「自分と同い年で東洋ファンだ。仲良くなりたいなあ。」)

(「やっぱり東洋とか駒澤のファンが多いなあ」)

(「中央学院のファン? 変わった人がいるもんだ」)

東洋大学の壮行会に行ったときにも思いましたが、改めて、自分の想像よりも駅伝ファンは沢山いることに気付かされます。

そして2013年3月3日。

初めての現地観戦、日本学生ハーフマラソンへと向かいます。

高校3年間通った立川の地に、初めて陸上観戦という目的でやってきました。

いつも降りていた立川駅から一駅先の西立川駅で降り、まずは園外にある折り返し地点で選手たちの通過を待ちます。

この地点はまだ7kmほどということもあり、私の目に飛び込んで来たのは大学生ランナーの大集団です。

ドドドドドドドドド……

凄まじい勢いで、有力選手の大集団が通り過ぎていきました。

かろうじて見えたのが、先頭を井上大仁選手(山梨学院大学)が走っていたことくらい。買ったばかりのスマートフォンで撮ってみた写真を見ると、そこに田口雅也選手(東洋大学)がついていたことも分かりました。

続いて園内へ。ゴール付近へと向かいます。

陣取ったのはゴールの50mほど手前。

Twitterで情報収集しつつ先頭を待っていると、最初に現れ、見事に優勝を果たしたのは中村匠吾選手(駒澤大学)でした。

その後も続々と、テレビで見ていた選手たちがゴールへと飛び込んで行きます。

年末に東洋大学の壮行会に行っていたとはいえ、そのときにいたのは、もちろん東洋大学の選手だけ。こんなにも色々な大学の有名な選手たちが一同に会したレースが見られて、ただただ感激していました。

初観戦を終えて、早くも次の観戦は何にしようかと考えます。

関東インカレに行きたいと思ったものの、そこまでは結構期間が空いてしまう。

間に何か記録会がないか調べると、4月末に平成国際大学記録会があることを知ります。しかし、あいにくその日は予定があり行けず。関東インカレの直前ではありますが、5月の日体大記録会に行くことにしました。

初めてファンとは何かを考えた日

私は市川選手をきっかけに箱根駅伝に興味をもってから、市川選手が卒業してからも東洋大学を応援していました。日本学生ハーフマラソンで他の大学の選手たちを見ても、やっぱり東洋大学の選手たちが1番かっこいい。そう思っていました。

5月の日体大記録会。

エントリーリストを見ると、10000mに東洋大学の時期エースと期待されていた服部勇馬選手がエントリーされていました。10000mが行われる土曜日は雨でしたが、迷わず現地へと向かいます。

陸上に詳しい方なら、この流れには違和感があると思います。

私も今なら「え?」と思う流れですが、現地観戦デビューしたての当時の私がそんなことを知るはずがありません。

服部選手はこの日の記録会に出場しませんでした。

何故なら、翌週に大事な関東インカレが控えているからです。

当時の私には、年間を通じてどの試合が重要とか、どの試合はどういった位置づけ、とか、そんなことが全く分かっていなかったので、服部選手が出なくて現地で茫然としていました。

それでも、東洋大学の選手たちが数名走っていたので応援をしました。

雨で関東インカレ直前の日体大10000m。観客はまばらで、私のような女性ファンはほとんど見かけませんでした。

(「日体大記録会って、思ってたより見に来る人少ないんだなあ」)

当時はそんな勘違いをしていました。笑

終盤に差し掛かり、雨足が強くなってきます。

そのときの組には東洋大学の選手が出ていなかったこともあり、雨宿りをしたいと思いますが、どこに行けばいいかも分かりません。

そんなことをTwitterで呟くと、なんと現地にいるという東洋大学ファンのフォロワーさんが、雨宿りできる場所を教えてくださりました。

教えられた場所に行くと、その方がいらっしゃいました。

初めて、Twitterで繋がったほかのファンの方と現地で顔を合わせた瞬間です。

その後、東洋大学の選手たちが走る組を一緒に応援し、駅に向かうバスの中でお話しさせていただきました。

その方は、とても詳しい方でした。

関東インカレの次には例年ならこういった試合に出るとか、東洋大学の選手たちは何故箱根駅伝でサングラスを掛けないのか、とか。

私が知らなかったことを沢山教えて下さりました。

何より印象に残ったのは、三大駅伝のエントリーに入らない選手たちまで含めて、東洋大学の陸上部全員について詳しかったことです。

私はその時まで、自分は東洋大学のファンだと思って疑うことなんてありませんでした。

でも、知っているのは三大駅伝のエントリーに入る選手くらい。

私、全然ほかの選手たちのことを知らない。

私は東洋大学のファンなんて言えないのかも。

その方と別れたあと、帰りの田園都市線の車内で、電車に揺られながらそんなことを考えていました。

初めての関東インカレ

翌週、いよいよ関東インカレが幕を開けます。

先週の帰り道で考えていたことは一旦頭から離れて、とにかく楽しみで楽しみで、毎日ワクワクしながらその日を待っていました。

この年は、長距離種目が3000mSCの決勝しかない3日目を除いた3日間に参戦します。この頃はまだ、3000mSCという種目のことがよくわかっておらず、この日だけは除いたのです。

初日。国立競技場に到着すると、早速、久保田和真選手や、川崎友輝選手といった青山学院の有名どころの選手たちがアップしているのを目撃します。

競技場内で待ち合わせをしていた、Twitterで知り合った同世代の東洋ファンにそのことを興奮気味に伝えると

「わかった、わかったw」といった風になだめられます。

今思うと、当時の自分は恥ずかしいくらいミーハー丸出しでした。笑

初めての関東インカレは、これまた新鮮でした。

箱根駅伝のスター選手たちが集まって、トラックの1500mや10000mで競っている姿を現地で見るのはこのときが初めてでしたから。

印象深い出来事が、男子2部10000mのときのこと。

その年の3月に大学を卒業して揃って富士通に入社した、佐藤佑輔選手、久我和弥選手、千葉健太選手の3人が私たちのすぐそばに座って後輩たちを応援していたのです。

しかも、そのとき佐藤選手に「隣の席空いてますか?」なんて聞かれてしまいます。

近すぎる選手たちとの距離に、当時は、ただただ驚くばかりでした。

男子2部5000m決勝

そんなこんなで初めての関東インカレを楽しんで、最終日を迎えます。

この日の長距離種目はハーフマラソンと、5000m。

朝イチのハーフマラソンを観戦した後は、一緒に観ていたフォロワーさんたちと喋ったり、ぼーっと他の種目を眺めたりして、5000mの開始を待ちます。

そして始まった男子2部5000m。

駒澤大学の村山謙太選手や、油布郁人選手、大東文化大学の市田孝選手に、國學院大學の寺田夏生選手などなど、私でも知っている錚々たる顔ぶれが、目の前でレースを繰り広げます。

先頭は拓殖大学のダンカン・モゼ選手、東京国際大学のルウル・ゲブレシラシェ選手の2名の争い。
日本人選手たちはその後方で3位争いをしています。

その集団も後半になると、1人、また1人とこぼれ落ちていき、最後は3人に絞られます。

駒澤大学の油布郁人選手と、フラッシュイエローのパンツ、中央学院大学の選手が2人でした。

(「中央学院大学かあ」)

(「2人とも知らない選手だけど、まあ油布さんスピードあるし、油布さんが勝つんじゃないかな」)

ラスト1周。油布選手と中央学院の選手2人。三つ巴の争いになります。

ラスト200m。

油布選手がスパートをかけたのが見えます。

(「やっぱり油布さんが離しにかかった」)

と、思った次の瞬間。

油布選手のスパートと比べものにならないくらい、凄まじい勢いで中央学院の1人の選手がスパートをかけ、油布選手を一気に引き離していくのです。

(「え? え? なにこれ?」)

驚いた私は、中央学院の選手に釘付けになります。

そして、なんと遥か前を走っていたはずの東京国際大学のゲブレシラシェ選手までゴール手前で交わし、中央学院の選手が2位でフィニッシュするのでした。

ゴール正面側のサイドスタンドから見ていた私からも、勢いよくメインスタンドに向かってガッツポーズをしているのが見えます。

そして、スクリーンに表示された結果を見て、その選手の名前を知ります。


『岡本 雄大 4 中央学大』


その後、1部の5000mがありましたが、全然そちらに気持ちが乗りません。先ほどの岡本選手の姿が脳裏に焼き付いて離れないのです。

2位に入ったということは表彰式があります。

1部の5000mが終わると、私は岡本選手の表彰を見てみたくなり、表彰台の近くへと向かいます。

その途中で事件が起こります。

「ねえ、あそこにいるの市川さんじゃない?」

一緒にいた友人が、なんと後輩の応援に駆けつけていた、市川孝徳選手を見つけたのです。

「話しかけなくていいの?」

表彰式見たい。でも市川さん。ああでも突然すぎて何を話したらいいかわからない。どうしよう。

そう思いながらも友人に背中を押されて、市川選手に「箱根の山下りを見てファンになりました。卒業してからも応援してます!」といったことを、緊張に震えながら伝えました。
写真を撮ってもらうとか、サインをもらうとか、あまりに突然の出来事過ぎてそんな発想もありませんでした。

その直後に男子2部5000mの表彰式が始まってしまい、私はスタンドの上のほうから表彰式を見ました。

表彰台に上る、中央学院大学の岡本雄大選手。

走っているときにはそこまで顔がよく見えなかったのですが、



めちゃめちゃイケメンでした。笑

(ちなみに今回の投稿のカバー画像は、このときに私が撮った写真です)

その日の帰り道は、市川選手に話しかけたという事実と、岡本選手の鮮烈すぎるスパートがぐるぐるぐるぐると、頭の中を巡っていました。

2人目の好きな選手

関東インカレから帰った私は、兄の部屋の陸上雑誌やネットを漁り、岡本選手のことを調べます。

箱根駅伝には2年生のときから出場していて、2年連続で市川選手と同じ6区の山下りを走っていたこと。3年生だった前回は区間6位の走りでチームのシード獲得に貢献したこと。4月に行こうか迷った平成国際大記録会の10000mで、28分台のベストを出していたこと。などなど。

そして中央学院大学は東洋大学と違ってTwitterが禁止ではなく、岡本選手のアカウントを見つけてしまいます。

フォロワーがそこまで多くなく、知り合いでもない人がフォローしたら変な人だと思われるかも。

そう思いながらも、思い切ってフォローボタンを押します。

少し経ってTwitterを開くと、通知が来ていました。

『岡本雄大 さんからフォローされました』

(「◎△$♪×¥●&%#?!?!!!!!」)

動揺のあまり、手に持っていたiPhone5を壁に投げつけてしまいました。幸い、私のiPhone5は無事でした。

数日経っても、私が何かツイートをしても、フォローが外れることはなく、誤フォローではなかったようです。

Twitterのアカウントを作って初めて、選手からフォローいただいた瞬間でした。

そんなこんながありつつ、岡本選手の次の試合はどうやら、6月末に行われる全日本大学駅伝の予選会、ということが分かります。

岡本選手の走りがまた見たい。

そう思った私は全日本大学駅伝の予選会に行くことを決めます。

私はすっかり、岡本選手のファンになっていました。

その全日本大学駅伝予選会では、もうひとつの出会いが私を待っていました。あの岡本選手のラスト200mの強烈なスパートを目の当たりにしたことをきっかけに、私の運命は変わっていくのです。

次回に続きます。

続きはこちら

毎回長すぎる自覚はありつつ、当時の心境を余すことなく残しておきたいので、どうしても長くなってしまうことをお許しください。

こんな長文を毎回最後まで読んでいただいている皆様に、感謝の気持ちでいっぱいです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


おまけ

今回の投稿の軸となる、2013年関東インカレ男子2部5000m決勝の映像のリンクです。

https://youtu.be/QQqd9ZHGKHw

この動画を見るのは久々ですが、岡本選手のスパートは展開を知っている今改めて見ても、痛快の一言です。

岡本選手のスパート、ぜひ見てみてください。