LEONE #22 〜どうかレオネとお呼びください〜 外伝1 1/2
エリオット・ギルマーティンの場合
SISジゴレード級艦船エレイド艦上のエリオット
約2時間前の出来事である。
『パンテラ惑星防衛軍』所属、ジゴレード級艦船『エレイド』は、息が止まりそうな闇と沈黙の中に潜っていた。内部の明かりは全て消えていて、乗務員たちはみんな口を堅く閉じたまま、息をする音だけを流していた。
その中にただ一つ。
一つだけ、異質的な光と音があった。暗い指揮室の中央で、白いスクリーンの光を受けながらキーボードを叩いていたオペレーターは、やがて小さい声で囁いた。
「前方に未登録アスファリタル級宇宙戦艦を感知しました」
どこからか、固唾をのむ音がした。オペレーターは慎重な顔で話をつづけた。
「おそらく『ブラッディ・レイブン』と推定されます」
嘆き、いや、感嘆かも知れなかった。息を収めていた乗務員たちの間に、伝染病のように広がっている反応はそのどちらかだった。
数時間前まで、彼らは『ブラッディ・レイブン』という言葉も聞いたことがなかった。だがしかし、彼らはその言葉が意味することをよく理解していた。
それはコード名、正確には、ターゲット名だった。
『SIS』が数十年をかけて追跡し続けてきたSランクのターゲット、あの著名な『アニキラシオン』の旗艦を意味する言葉だった。
「ばかな」
艦長が帽子を胸元に抱え込みながらつぶやいた。
「ギルマーティン要員。本当だった。今でも信じられない」
「ううむ」
艦長の隣に立っている黒髪の美女がぼそりと呻き声を出した。彼女の名前はエリオット・ギルマーティン。
『SIS』の3級要員として、この作戦のために急遽派遣された人物であった。
艦長は震えている声で、エリオットに聞いた。
「本当か? あれが本当に『アニキラシオン』の旗艦なのか? 俺たちの手で彼らの旗艦を、あの“レオネ”を捕まえることになるのか?」
「……私も信じられないですが、そのようです」
エリオットがうなずいた。艦長は再び体を震わせた。
エリオットはそんな艦長の気持ちを理解した。いずれにせよ、彼らは今まで数十年の間、一度もその尾を掴めなかった大物を狩る直前である。
『アニキラシオン』。
宇宙の悪夢。
12の傘下艦隊を揃えて、少なくとも200の惑星に対して統治権を行使していると推定される、史上最悪の犯罪組職。
いま、その『アニキラシオン』の主を目前にしていた。
彼を捕まえることによって、解ける恨みがどれほどものなのか、またその偉業がもたらしてくれる富と名誉が、どれほどのものになるか、20年の歴史を誇る『アニキラシオン』専門担当班所属であるエリオットさえも思いつかなかった。
まして、わずか数時間前からこの狩りに参加した老艦長が、興奮しすぎて卒倒してないのが、むしろ妙であった。
しかし、エリオットはどうしても振り切れない忌まわしい感情にとらわれていた。
「艦長」
エリオットが緊張している声で話した。
(タバコでも一本吸えるといいのに)
「すでに申し上げたのですが、罠である可能性も決して排除できません。今の私は、ただ助言者なのですが……お願いです。どうか慎重に行動してください」
「ああ、わかってる。わかってるよ、ギルマーティン要員」
言葉と違って、艦長の声は震えていた。
「君の忠告はちゃんと肝に銘じておくとしよう。しかしこの作戦の責任者は俺で、俺の部下たちは勇猛なパンテラの防衛軍だ。おそらく君が心配することは起こらないなずだ」
「そうなることを望みます」
艦長の言葉を完全に信用することはできなかったが、にもかかわらず、エリオットはただうなずくことしかできなかった。
彼女にはどうにもできなかった。艦長の言葉通り、公式的にこの作戦の責任者は艦長であり、この作戦の主体は『パンテラ惑星防衛軍』だった。SIS本部はこの作戦に最小限の投資だけ、つまりエリオット・ギルマーチン、彼女一人だけを派遣することを決定した。
この作戦から何かを得る可能性が少なかったから。
まさかこんなことになろうとは。
エリオットはうめき声を立てて、壁に背を傾いた。
この作戦の開始は、突然『アニキラシオン』専門担当班に飛んできた匿名メールだった。
そのメールは短い座標と航路計画表、そして「かならず捕まえてください」という一文で構成されていた。
いたずらである可能性が高いというのがチームの大半の意見であり、エリオットも何の期待をせず、確認するために派遣されただけだった。兵力どころか、補助要員さえつけてくれなくて、近くの『パンテラ惑星防衛軍』に協力を要請しなければならなかった。さらに、その『パンテラ惑星防衛軍』さえ協力要請事由を聞いて不機嫌になったではないか。
なのに……。
なのに今、目の前に『ブラッディ・レイブン』が姿を現していた。
しかも何の警護もない状態で、召し上がれと言ってるように姿を現していた。誰が見ても罠だと疑う状況だった。
しかし、だからといって何もやらずに見捨てるには、あまりにも魅力的な罠でもあった。
「おい、ギルマーティン要員」
艦長が低い声で話しかけてきた。エリオットはうなずいて答えた。
「はい、艦長」
「よろしかったら、もうそろそろ侵入しようと思うのだが、どうかね」
「はい」
ふう。
エリオットはため息をついて、壁から背中を引いた。
どうせここで千年万年眺めているわけでもないし、一か八か、とにかく行ってみるしかない。
彼女はうなずいて、艦長に同意しようとしていた。
その時だった。
「か、艦長?」
オペレーターの切羽詰った声が艦橋に響いた。 乗員たちの目が一斉に彼に向かい、艦長も瞬間的に声を上げた。
「なんだ!」
「身元不明の艦船から、画像通信の要請が入ってきました!」
「なに?」
艦長が当惑した声で問い返すうちに、エリオットはオペレーターの横に飛び込んだ。彼女は手荒くオペレーターを押しのけながら、ヘッドセットを奪って、目を丸くしているオペレーターに声を上げて聞いた。
「『ブラッディ・レイブン』なのか?」
やっぱり、これは罠……。
しかしオペレーターは手を振った。
「あ、その、違います」
「……違うだと?」
今回はエリオットが当惑する番だった。 オペレーターは、もじもじしながらも首を縦に振った。
エリオットは、しばらくぼんやりした顔でオペレーターを眺め、再びオペレーターのスクリーンを眺め、またオペレーターを見つめた。
それから聞いた。
「じゃあ……誰?」
「よ、よくわかりません。直接出てみたほうが……」
エリオットはゆっくりと首を回して艦長を見つめた。艦長はいまでも当惑した表情で、多少ぎこちなくうなずいて、許可する意思を表現した。
エリオットはゆっくりとスクリーンをクリックし、ヘッドセットを頭にかぶせた。空咳で声を整え、最大限威厳のある声で警告を始めた。
「ここは『パンテラ惑星防衛軍』所属のジゴレード級戦艦『エレード』だ。本艦は、『パンテラ惑星防衛軍』の秘密作戦を遂行中だ。そちらが誰なのかは分からないが、用件がなければこの通信をやめて……」
「よお、エリオット!」
「?!」
突然の軽快な挨拶のせいで、エリオットは危うく大声を出すところだった。
彼女が驚いた胸を落ち着きながら息を整えている間、スクリーンには電子音とともに、新しい画面一つが現れた。その画面の中には、麦藁色の髪の毛に古風なトレンチコートを着た一人の若い男性が、にっこりと笑いながら手を振っていた。
残念ながらエリオットには慣れている顔だった。
「ビル……クライド……?」
「これは、幸いにまだ顔までは忘れてないようだな。久しぶり、エリオット。いあ、ギルマーティンの旦那と呼ぶべきかな?」
画面の中の男、ビル・クライドは、豪快な笑みでエリオットに挨拶をした。
どう見てもその親密な態度は、知人またはそれ以上の関係にしか考えられなかった。ゆえに、艦長を含む艦内の乗務員たちの視線が同時にエリオットに向かったのも、当然のことだった。
しかしそんな彼らの目に入ってきたのは、真っ青な顔と怒りで震えているエリオット・ギルマーティンの姿だった。
「お、お前がどうやってここに……」
「何言ってるの、ダーリン。当然君の後を付いてきて、一儲けするために来たのに決まってるでしょう」
「なんの……!」
「艦長!」
今回はエリオットを含む艦橋全体の視線が、声が聞こえてきた方に向かった。もう一人のオペレーターが、切羽詰った声で叫んだ。
「1時方向、約700m前方にカッセル・プライム級小型飛行艇出現!」
「何だと!」
ついに気を戻した艦長が机をたたいて、どかんと音を立てた。
「接近することを知らなかったなんて、今まで何をした!」
「ほ、本艦に張り付いて隠蔽幕を稼働させたまま付いてきたようです!」
「そんなバカなことがあるか! いったいいつからだ!」
「当然パンテラからです。艦長」
オペレーターの代わりに答えたのは、邪悪な笑をしているクライドだった。
「あなたはよく知らないと思うけど、エリオット要員と俺はずっと前からそういう仲だ。『パンテラ』の街で久しぶりにダーリンを見つけてね。お金の匂いがしてついてきたら、これがどうしたの? 『ブラッディー・レイブン』が目の前にあるんだよね?」
「ふ、ふざけないでよ!? 誰があんたのダーリンなんだ!」
「このやろう! どこの馬の骨かもわからないヤツが、『パンテラ惑星防衛軍』の作戦を邪魔しようとしているのか?」
どん。
どん。
どん。
どん。
机をたたく音が何度も連続して艦内に響いた。いつのまにか艦長もエリオットの横に着き、二人は画面の中のざわめく男に向かって怒鳴っているところだった。艦橋の乗務員たちはぼんやりと、その状況を見つめるしかなかった。
その間、ビル・クライドは顔をしかめて耳を塞いでいた。 二人の息が切れ、呼吸を整えているとき、彼は耳から手を下ろして首を横に振った。
「おい、二人とも正気か? 俺たちは今何十年ぶりに初めてあの『ブラッディ・レイブン』の後ろを捉えたんだ。そうやって大騒ぎをしていったい何になる?」
「お、お前……!」
「それよりさあ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ビル・クライドの手が忙しく動き始めた。おそらく何かを操作しているかのように、彼の視線はもはやスクリーンに向いていなかった。
何かを押して、引っ張って、とにかくスクリーンの方には視線を与えないまま、クライドは話を続けた。
「あんたら、先から光まで全部消して、隠れて『ブラッディ・レイブン』を盗み見しているだけじゃん。しかも警護艦隊もみえないし、いったい何をしているんだ? 『アニキラシオン』の連中、捕まえないのか?」
「罠かも知れないからでしょおおお!」
画面の中のクライドが、でかい音と共に後ろに倒れた。
危うく転びそうになったのは、艦長も同じだった。幸い後ろに置かれた椅子のおかげで、艦長は椅子に座る程度に止まった。他の乗務員たちは、彼より状況が良く、すばやく耳を塞いだ程度で終わった。
憤りを抑えることができなかったエリオットが、破れるような大声を出した結果だった。彼女は息を凝らして、ヘッドセットを打ち壊す勢いでしっかりと握っていた。
エリオットはクライドが立ち上がる前に、速射砲のように言葉を打ち上げた。
「ビル! でめえこのクソ野郎! ふざけないで今すぐこのエリアから消えろ! なにか拾うつもりで余計にうろちょろするなら、攻撃に巻き込まれて死んでもかまわないってことだからね!」
「……ヤレヤレ、ダーリン。それでもまだ情が残ってて、親切に心配してくれるんだ」
画面の中のクライドがよろめきながら立ち上がった。
ところで、怒りで震えていたエリオットは、ふとその仮面に中から妙な点を見つけた。
画面が……揺れている?
そして、クライドは苦笑いしながら言った。
「これどうしよう。さっきダーリンのせいで驚いて、発進ボタンを押してしまってね」
「なに……?」
続いてクライドは、エリオットに向かってウインクを放った。
「ではダーリン。もし会えるなら『ブラッディ・レイブン』の中で会おうね。艦長! 悪いけど先に失礼します」
その言葉を最後に、通信画面が消えた。
著者プロフィール チャン(CHYANG)。1990年、韓国、ソウル生まれ。大学在学中にこの作品を執筆。韓国ネット小説界で話題になる。
「公演、展示、フォーラムなど…忙しい人生を送りながら、暇を見つけて書いたのが『LEONE 〜どうか、レオネとお呼びください〜』です。私好みの想像の世界がこの中に込められています。読んでいただける皆様にも、どうか楽しい旅の時間にできたら嬉しいです。ありがとうございます」
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