結論:楽しい人生を歩んでいます(いなフリアフター)
いなフリを受講したのが、2018年11月。
あれから約3年、と思うと少々感慨深くもなるが、感慨に耽る間もない日々を送っている。
いなフリ、改め「ワークキャリア」の開催に、それはもうごりごりに関わっているからだ。
ごりごりすぎて、一大イベントの「いなフリアフター」にエントリーするタイミングを逃しかけるという、本末が転倒してしまう事態に陥りかけていた。
「あー、もう3時間で締め切りか……自分の振り返りのためにも書きたかったけど、夜も遅いし明日からもやること多いし、やっぱいいかなぁ……」
などと思っていたものの、ワークキャリア公式Twitterアカウント様のツイートを偶然目にしてしまった。
「ライター経験者なら、3時間あれば余裕で書けますよね」
ほう。
そう来たか。
いいだろう。
「まるも一エンターキーの『ッターンッッッ』音がうるさい」ことで有名なぴーの実力を見せてやろう。
そう思い、スリープモード中のパソコンと自分の電源ボタンを押した。
くらいのテンション感で書くので、どうぞ皆様
いなフリを受講して3年後、気づいたら運営スタッフとかメンターとか統括とか地域コーディネーターとか運営本部チームサブリーダーとかやったりなったりしていたぴーの「これまで」と「これから」を、温かい目でお読みいただければ幸いです。
いなフリ受講は、初めて「自分で決めた」ことだった
いなフリを受講する前は、自分の意思できちんと決めて進んできた、という人生では、残念ながらなかった。
成績が良かったから、というだけで、地元の進学校に入学した
受験勉強が嫌だから、というだけで、製菓の専門学校に進学した
給料が安いから、というだけで、パティシエを目指すことをやめた
先生に進められたから、というだけで、居酒屋に就職した
しんどいから、というだけで、居酒屋を退社してアルバイトになった
先輩に誘われたから、というだけで、未経験のバーテンダーを始めた
「できたから、あるいはやりたくないから、もしくは人に言われたから」という、ゆとりここに極まり、のような人生を歩んできた。
ただ、いなフリの受講を決意したときだけは「自分の意思で決めた」と感じた。
感じただけだったかもしれないが、少なからず自分ではそう感じた。
これが、受講から1年半以上が経っていたにも拘わらず、改めてまるもに戻ってくる決断をした、一番の理由である。
そう、ぴーはいなフリ卒業後にそのまま移住、ではなく、卒業してかなり時間を空けてから「出戻って」きた。
「そういう人は珍しいねー」というのは、1年半ぶりに会った(多分)池ちゃんの言葉である。
受講当時の目標は「15万稼ぎます!!!」
(1万字チャレンジ達成のご褒美「鋸山バウム」を嬉しそうにかじるぴー。わけぇ。)
いなフリ受講中は、ライティングを勉強していた。
昔から本を読むのが好きで(と言っても特定の小説を繰り返し読むタイプだった)、高校生の頃は文芸部にも属していた。
「文字が好き」くらいの理由で、逆にそれだけの理由で「できるだろう」と思い、ライティングに挑戦した。
いなフリ初日、メンターのにっしーに「目標は?」と聞かれ「受講費分くらいは稼ぎたいっすね」と、アホ面かまして答えていた。
結果、全然届かなかったのだけど。
確か……受注は10万いったっけ……いや全然いってない気もする……どうだっけ……にっしー……聞こえていますか……今……あなたの頭に直接話しかけています……この声が聞こえていたら……ぴーの受注金額を……教えてください……
いなフリを受講した感想は、まぁ、ありたいていなものだった。
平たく言うと「こんな世界もあるんですね!」くらいのものだ。
目標には全然届かなかったものの、それなりに受注し納品し、仲間と思い出もでき、美味しい海鮮を食べ、金谷を後にした。
ただいま金谷!
(金谷に帰ってきてすぐ、エリックが「歓迎会BBQやろうよ!」って言ってくれた。嬉しかったなー。)
勤めていたバーをやめ、地元に戻り、また「言われるがまま」に友達や知り合った人の店を手伝っていた2020年3月らへん。
丁度、あれが流行り始めた頃だ。
「あれ」とぼかしたのは、最近noteで「あれ」の正式名称を書くと、本文冒頭に「あれ」に関する注意文が表示されてしまうが、明確に「あれ」であるもののこうやって明記しなければ表示されないのか、という実験をしたいがためである。他意はない。
その頃のぴーは「この先どうしようかなぁ」などと、ぼんやり考え始めていた。
勢いで仕事を辞め、地元に帰り、知り合いの店を手伝い、そこでできた仲間と酒を飲む毎日。
全然悪くない。悪くないどころか、結構いい。
このまま適当に就職して、空いた時間でたまに店を手伝い、なんやかんやで楽しく暮らしましたとさ。めでたしめでたし。来世に期待。
でも全然よかった。
流れに流されて、結局自分では何も決めず、のらりくらりと歩んでいく、ありふれた人生。
そう思った矢先、
そいうやお前、1年半くらい前に参加したいなフリって覚えてる?あれ楽しかったよなぁ。15万稼ぐ、とか言いながら全然達成できなかったよなぁ。唯一自分で決めた、とかかっこいいこと思ってた割に、その程度の結果だったよなぁ。結構結構。それでいいならいいさ、お前の人生。
みたいな声が聞こえた気がした。
完全に気のせいである。
気のせいでなかったとしたら、シンプルに何かしらの精神疾患である可能性が高い。
なので、気のせいであることにはしておきたい。
しておきたいのだが、「みたいな声」が言っていること、すなわち「本心が訴えかけてきていること」は、紛れもない事実だった。
あぁ、クソ。金谷行くか。
そう決めた瞬間、ひとまず池ちゃんのTwitterアカウントを探し、DMを送っていた。
送る瞬間「こんなやつのこと、流石に覚えてないよなぁ」と、めっちゃ緊張していたことを、今思い出した。
(覚えてくれてたっぽい。池ちゃんすごい)
「半年くらいで福岡帰るっすかねぇ」
(しっかり遊んでいる。今年は花火できなかったので、来年その分やろうね。)
勢い余って金谷に戻ってきたはいいものの、当時は貯金もほぼなく、仕事は全く持っていない状態だった。
今思えば、馬鹿としか言いようがない。
それでも「いなフリ受講中でも数万は稼げたんだ。なんとかなるだろ」と、根拠のない自信を唯一の支えとして、それなりに頑張って提案祭りに励んでいた。
金谷に戻ってきた当初は、
とにかくまずはライティングで稼ぐ
サイト制作も勉強して稼ぐ
福岡に帰って酒を飲む(ここまでで半年)
くらいのことしか考えておらず、周りにもそう言っていた。
福岡(市博多区、及び中央区大名)は好きだったし、それなりに「場所と時間に囚われず」仕事をしながら、程よく酒が飲めれば、それで幸せだと思っていた。
それで幸せ、だとは今でも思っているのだけど。
ただ、いなフリの同期であるエリック氏に
「半年で帰んの!?もったいなくない!?」
と言われ、それもそうだなぁ、となったのは、それもまた事実だ。
結局のところ、帰る帰ると言っていたわりに、そこまで先のことは考えていなかった、というだけの話。
まるちゃんちまちゃんありがとう
(29期のメンター陣。懐かしすぎて泣いた。ごめん嘘。)
ちょっと仕事が取れ始めたライティング案件をどうにかさばき、まるもの受付スタッフや清掃なんかもやり、日夜BBQとカタンに明け暮れていたある日のこと。
いなフリ29期の統括、まるちゃんに
「ぴーちゃん!29期の運営スタッフやらへん?やる予定やった人が急に無理ってなってん!ぴーちゃん周りもよー見てるし気い利くし、適任やと思うねん!やってくれたらめっちゃ助かるわぁ!な!やろ!な!」
みたいなことを言ってもらったのが、割とごりごりにワークキャリアに関わることになった、最初の出来事である。
まるちゃんごめん、そんなに熱量高めじゃなかったっけ?
こんくらいのテンション感では聞こえた気がする。多分。
29期の運営スタッフをやらせてもらっている間に、今度は30期の統括、ちまちゃんに
「ぴーちゃん、30期でメンターやらない?」
と声をかけてもらった。
びっくりした。
一応ライティングで案件を取ってはいたものの、月数万程度だ。
スキルもそんなに無い当時のぴーに、よく「メンターやらない?」なんて言ったもんだと、実は未だに思っている。
運営スタッフ、からのメンター。
まさか2期連続でいなフリに関わらせてもらえるとは思っていなかったが、それどころか8期連続で関わることになるなんて当然思ってもみなかったが、ともあれ、
ノリと勢いで声をかけてくれたまるちゃん
「ぴーちゃんならいけるっしょ」と背中を押してくれたちまちゃん
2人には、今でも感謝しています。
おかげさまで「半年で福岡に帰る」などと言っていたぴーは、現在1年と3か月目のまるもで元気に過ごしています。
更に、向こう数年、まるもと関わらなくなる未来が見えません。
流れに身を任せて生きてきて、そんなもんだよなぁと思っていた人生が
流れに身を任せたおかげで、楽しいなぁと思える人生になりました。
精神と時の部屋だよね、ここ
(普通に書き損ねたけど、シェアハウス始めたりしちゃったりして。)
こうしてめでたく、いなフリに関わり始めたぴーは、あれよあれよと言う間すらなく、気づいたらワークキャリアにずぶずぶだった。
29期の運営スタッフに始まり、メンター(30期)、メンター(31期)、統括(32期)、メンター(33期)、地域コーディネーター+メンター(34期)、地域コーディネーター(35期)、地域コーディネーター+メンター(36期)、そして37期も予定している。
予定も含めると、関わったいなフリは9回。それも連続。
見送った卒業生の数は85人。
これが、1年3,4か月足らずの間の出来事だ。
おかしい。
時空が歪んでいる。
毎日が濃密すぎて、体感時間では半年も経っていない。
逆に、毎日が濃密すぎて、思い返せば3,4年は金谷にいる気がする。
いなフリいなフリといなフリのことしか書いていないが、その間にも、書いてはみたが「読むのダルそう」と思ったので一気に消したくらいの思い出がある。
尚、消してしまった文字量は、実に800文字近くだった。
いなフリアフターの締め切りまで、あと37分。何をしていたんだろう。
閑話休題。
これが、ぴーの「これまでの話」
ここからは「今の話」と、そして少しだけ「これからの話」をする。
思い出話だけでお腹いっぱいの方
今のぴーは知ってるからいいや、という方は
こちらで退場願えれば幸いだ。
(ここまでの文字数、4,109文字。よく読んでくださいましたよ本当に)
ワークキャリア楽しいなぁ(小並感)
(いくら見慣れても、綺麗なもんは綺麗。)
そんなこんなで現在は、
コワーキングスペースまるも 管理人
コワーキングコミュニティまるも コミュニティマネージャー
ワークキャリア 金谷地域コーディネーター
ワークキャリア 開催運営チームサブリーダー
など、片仮名がたくさんの役職をいくつかいただいている。
あと動画編集とか、トイレの詰まりを解消したりとか、水道の故障を直したりとか、ゴミ屋敷の掃除とか、壁紙を張ったりとか、住人のお悩み相談とかしている。
一部、何してんだろ。
まるもとワークキャリアにここまで関わるようになったのは、大体が「流れ」である。
「流れ」で生きてきた自分を否定してまるもに帰ってきたのに、結局は「流れ」に乗って生きている。
あの時の自分が見たら、笑うだろうか。怒るだろうか。嘆くだろうか。
どれでもいいし、突然情緒的な一文を書いてしまった自分この野郎と思っているが、とにかく
楽しく
前向きに
積極的に
まるもとワークキャリアに関わっている。
そう、楽しいのだ。
ワークキャリアで仕事をしていることが。
人生に迷い、悩み、このキャリアスクールにどこからかたどり着いた人の話を聞き、考え、提示し、喜んでもらえるこの仕事が
そのスクールをもっと良いものにし、広めるこの仕事が
今はたまらなく楽しい。
コミュニティとか作りたい
(こんな楽しそうな写真を普通に撮れる日々、控えめに言って天国だし、1年前には想像もしてなかったね)
少しだけ「これから」の話をさせていただく。
時は戻るが、いなフリに関わり始めた頃
まだライティングの案件に必死に応募し、そのうちサイト制作を学び、福岡に帰って酒を飲んで暮らす生活を夢見てた頃
池ちゃんに言われたひと言が、今のぴーを作る一つのきっかけになった。
「ぴーちゃんは、完全にWebより対人の人だよね」
今でこそ「コミュニティマネージャー」「メンター」など、人と関わる仕事をメインにやらせてもらってはいるが、当時のぴーは、そんなことを考えもしなかった。
ただひたすらにパソコンに向き合い、Webスキルを身に着けることしか見ていなかった。
池ちゃんを知らない人はこの記事を読んでいないと思うので割愛するが、あの人の「人を分析する目」の精度は、イカれてる。
テキストからでもその人の本質を読み取るし、思考まで覗かれているんではないか、と思うほど、分析力が抜群に高い。
いっときマイブームっぽかった、その人の能力を月給に換算するスカウターは、今でも機能しているんだろうか。
当時は20万くらい?と言われたが、今はどれくらいだろう。
今度聞いてみよう。
やっぱやめよ。怖い。
そんな池ちゃんのひと言をもらい、自分のスキルについて改めて考えてみた。
対人能力、気遣い、会話力、諸々合わせて「ビジネスコミュニケーション力」が高い、という結果が出た。
尚、この結論を出すにあたり、Twitterで何気なく呟いたツイートに反応してくださったチベリンさん、あのときはありがとうございました。
あと、例の資料なんですが……もうちょっとお待ちいただけますでしょうか……必ず提出いたしますので……何卒……
このスキルを使ってできること。
今後考えている、福岡での生活。
答えは単純明快だ。
福岡にワークキャリアを誘致する&コミュニティを作る。
ワークキャリアで存分に培った能力を持って、自身が代表となって誘致する。
そこに、まるものような場所とコミュニティを作る。
それを九州全域に発展させ、あるいは「コミュニケーション力」を活かして全国のコミュニティと関わり、仕事にしていく。
これが、今ぼんやりと考えている、将来の目標の一つである。
実現した暁には、ぜひぜひみなさんに遊びに来ていただきたい。
納期やべぇ
(ねこかわいい)
非常に雑なまとめに入ってしまったが、あと3分で納期なので、勘弁していただきたい。
寧ろ、よく書いたもんだと褒めてほしいくらいだ。
ひとまずまぁ、この記事で伝えたかったのは
今の人生、結構楽しい
ということである。
というわけで、ぴーのいなフリアフターは
「思ってたんと違うけど、結構楽しい人生を送っている」
である。
お読みいただき、ありがとうございました。
凄くあれな文章を書いている気がするので、僕は読み返したくないです。