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多様性の宴―「不快」と「面白さ」が両極端だから…

私が先天的に神経や精神関係にハンディキャップを持っていることをカミングアウトして… その前にも「きらっといきる」からNHK福祉番組を視聴してきて。

 正直、あの少ない時間だけでは多様性そのものを語るのは非常に難しすぎるんじゃないかと思いました。

 そのため、バリバラは一つのテーマに絞っても番組で語られなかった、語ることができなかったことは山ほどあったのではということを前提で観ています。

多様性の宴 バリバラ桜を見る会 …あれ?

 私が観た感想としては、第1部だけ観た後にバイアスを感じてしまいすっきりしなかった部分がありました。この前のNoteに記しましたが、再放送がコロナウィルス自粛会議に差し替えられたことはあくまでも私にとっては「日本全国緊急事態宣言を挟んだ日だったことが要因の一つだった」という理由で納得の内容変更でしたが、私こそ自閉スペクトラム症という診断が下っていますが、自閉スペクトラム障害の中には「急に内容が変更されたことによりパニックになる」という特徴を持つ当事者が多いように感じたので同じく「障害当事者」としても不安を抱えたという人もいたと思いました。
 しかし、この放送を観た後に1部だけの内容だと放送法の第4条に引っかかってしまうのではないか、という懸念がありました。放送法第4条の「番組の編集にあたって定めるところによるもの」と指示された条文は、

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。
二  政治的に公平であること。
三  報道は事実をまげないですること。
四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

(原文ママ e-Govより 令和2年5月5日時点)

 というものがありました。第1部の時に主に取り上げたヘイトスピーチの議論は、いろんな観点から意見が対立している問題であると感じ、30分の内容だけだと正直なところ放送することには無理があったのではなかったのか、と思いました。放送法4条の撤廃議論は現在の与党の自民党からも挙がっていた議論で、私も「時間的に無理があるケースが多かった、完全に政治的に公平な放送を作ることはできない」「所詮メディアは偏るようなものだから(煽動しているとかは本当に問題の外の話)」という理由から撤廃しても変わらないという理由から自民党案に賛成していても、いまだ撤廃されておらずこの条文があるからには非難されているのも納得できました。やはり、そのあと放送内容を基にした記事をNHKが放送できなかった部分を深掘りして公式サイトにまとめる(リンク先)という対応をしている様子が読み取れました。
(―地上波で放送するのだから、明らかに製作者側が大失敗をやらかしたことは変わりなかった)

Twitterで見られたのは放送法以外の不快感も

私は、社会・政治風刺コントは今は好きです。そのコントを行ったのは石倉チョッキさん(笑パーティ)と松崎菊也さん(キャラバンOB)。彼らは政治社会をいろんな視点から見て風刺した社会派コント「ザ・ニュースペーパー」の出身であり、「ザ・ニュースペーパー」は日本の与野党限らず世界の政治家の色んな風刺を取り入れたコメディを取り入れていた団体です。彼らは多角的な思想を超えた団体で、ひとりひとり左右中立、そしてマルチスタンス、アナーキー的な視点からの政府への対抗など… すごく様々なのです。いかりや長介さんを師匠としていた「ドリフの6人目(7人目と言われることも)」ともいわれたすわ親治さんもかつて政治風刺コメディ「ザ・ニュースペーパー」に所属していた人物で、金丸信さんのモノマネをしていたそうです。
 でもやっぱり、私の思想とは少々合わないところがございまして、石倉チョッキさんのカリカチュアが若干アナーキー風な感じがするのでちょっと抵抗感を持ってしまったりすることもございます。

社会政治風刺は、コメディ以外にも漫画やアニメーション作品にも取り入れられ、「ムダヅモ無き改革」「サウスパーク」「ザ・シンプソンズ」「銀魂」「じょしらく」「テコンダー朴」がありました。私は最初は変な固定観念を持っていて、政治家の皆さんはほとんど普段漫画やコメディ関係を楽しまない職柄なんじゃないか、と思っていました。ところが、当時財務大臣だった麻生太郎さんは自身がパロディされた「麻生タロー」というキャラが登場する「ムダヅモ無き改革」の帯にご本人が自ら「愛読している」と登場され、赤字で「大推薦!!」と印刷されたものが出たこともありました。この事件は私の政治や国会に携わっている人たちに対する固定観念を見事に打ち破ってくれたことでした。
更に、読売新聞の岡田遼介記者が著した朝刊の一節によると、「ムダヅモ無き改革」と同じ著者の大和田秀樹先生が他作品の政治社会風刺漫画「疾風の勇人」のフィナーレにあの『昭和の妖怪』こと岸信介元総理を「柳の木のもとにあらわれた妖怪」として登場させたことに対して岸田文雄元政調会長がその作品を愛読しており、岸田氏がこの作品を現総理大臣安倍晋三本人(つまり、彼の立場から見るとお爺ちゃんが岸信介さん!)に紹介したことに対して「総理の家族からすると“敵”だったポジションが主人公だった」ことにどう思ったのかという質問をしたら、安倍総理本人はそれを気にしていなかったという要約がありました。
 いやはや、安倍総理のスルースキルは素晴らしい!神経質で変なところに気を遣っちゃうと心が折れるから、そういうスルースキルが使えるようになりたい。神経質なものから抜け出す手本として安倍総理を見習わなきゃ。
 このような出来事を知っているか知らずかは関係なく、「冗談が嫌いである」(私も漫画やアニメを好むまでこういう厄介な症状があり、今に至っても小説を読めずノンフィクション本しか読めない…)という人や「現実とパロディの区別ができないなど、想像力に難がある」ことが原因で自然とそれによる不快感をあらわにしたツイートや、パロディしている人物が抱えている難と同じ当事者による劣等感から不快感をあらわにするようなツイートもありました。私からは、パロディされている人物本人からの苦情は今のところ確認できていません。
 滑稽中継(…といってもずっと前から国会そのものが本当に滑稽になってしまうこともあるが)という国会カリカチュアで「不快」だと思ったという呟きから私が拾ったのは
1.首相のパロディ名前が「アブ ナイゾウ」
2.読み間違いを揶揄した
3.身体的特徴のパロディについて

というものです。

1.首相パロディ「アブ ナイゾウ」という名前

 安倍晋三現総理大臣は、内臓障害をカミングアウトしています。潰瘍性大腸炎という指定難病です。私が「ディスアビリティカルチャー(障がい者文化)」に携わっているときにも当事者の声を聞く機会がありました。大まかに説明すると内臓がもろいため炎症を起こしやすく、トイレも近くなり排便に障害をきたすというもので、第一次安倍内閣が突然失脚した原因の一つともいわれています。その病気を「危ない内臓」にかけたカバン言葉とも読めてしまうため、病気を蔑んだように感じてしまったという意見でした。

(参考)潰瘍性大腸炎


2.読み間違いの揶揄

 読み間違いを起こす障害として、吃音症や読字障害があります。吃音症は話している間に言葉が詰まったり連続してしまったりするなど自分の意志でうまく話すことが難しいのが主で、読字障害は知的障害を伴わなくとも文字を読むことが難しく、特定の文字が読めない(平仮名は読めるけど漢字が読めない、別の字と誤認してしまう、文字種によって読むスピードがまちまちである)というパターンがあります。私も一種の読字障害を持っており、アルファベットが文になると読めないというタイプであります(漢字は漢検準一級とれたのになぁ…)。
 どちらにしても、得意と苦手は人それぞれで、コントで「読み間違いの揶揄」で苦手なところをばかにするように聞こえたというのは私も少し複雑な心境になったシーンでありました。コント中では麻生太郎さんのパロディキャラが出てきましたが、風刺に使われた麻生太郎さんは漢字は確かに苦手かもしれませんが、英語は自身の留学キャリアも納得できるほど通訳なしで演説する凄腕を見せています。うまいところはとことん褒めて見習おうという雰囲気を作る形式だったら受けていたのかもしれません。

(※コントのシーン内容抜粋)
麻生パロディ人物「ウイルスって、英語だとヴァイルス(Virus)っていうんだ、BじゃなくってVの発音だね。下唇を噛んでね、Virus! VIRUS!!」

 このシーンは麻生太郎さんの英語力の高さを非常によくとらえていたところだと思いました(ただし、コントの一部にCOVID19の特徴を揶揄した「飛沫感染」を匂わせたところがあった)。この瞬間、悪いところばかり見るより、こういったいいところを褒めるように転換してみようというプラスの発想にして不快感を抜け出そうという選択肢を見出せました。

3.身体的特徴のパロディについて

 主に「「見た目」問題」に関するコンプレックスから生まれる不快感であると思いました。バリバラやコンセプトが似ているハートネットでもこの問題を扱った回があっただけに、裏切られてしまったのではと感じた人もいるかもしれません。「「見た目」問題」とは口蓋口唇裂やトリーチャーコリンズ症候群など顔の奇形や、身体に残った傷跡や色素異常などによるものを包括した悩みや差別的扱いなど自身やその周りに悪い影響を負ってしまったような問題です。

(NHK1.5による見た目問題当事者による啓発回)

 このきっかけはまた麻生太郎さんのパロディキャラということになりますが、麻生太郎さんの顔の特徴を物まねしていることに対して自分の「見た目問題」にコンプレックスを抱いてしまい、これに対して不快感があったという声でした。

「不快」から脱するために劣等感をなくそう

バリバラは、この番組を作り上げた玉木幸則さんが2009年「きらっといきる」の現在でいう「「感動ポルノ」批判現象」を教訓にして、社会的弱者に対するマイナスイメージを払しょくするために「頑張った感出さない」ように、そして「ありのままの姿をしっかりと伝えていく」ようにすれば事情が伝わりやすいという信念からバラエティへと発想転換してしまおう、ということから生まれた番組だということを知りました。
 「障害者を笑いものにする」じゃなく「当事者から笑ってあげる、だから娯楽番組」という発想の転換で、「障害」や「少数者」などの「社会的に劣等感を抱えている人たち」も劣等感をなくすのを心がけるために作られた番組であるようなコンセプトに捉えられます。NHK公式ホームページの中で「進化し続けている番組」とうたっているのだから今回のケースは「進化の途中がひどく表れた」という感じに見えました。そして、意見や思想も多様であるからこそ番組が炎上することも自然の流れとしてわかっていたのだと思います。
 私が感じているバリアも、劣等感や自害/他害から生まれてくるものが多くそこから番組に対して苦情を言いたくなる感覚になった事がありました。しかし不満や憎悪を抱えてばかりだとやっぱりかえって生きづらさを抱えてしまうんだ、と社会生活を送るうえで感じてくるものでした。だからこそ私は、あらゆるものに対して村八分にしない、そして攻撃しない、抑圧させない、そして色んな関係と視野を作るという心がけをしようと思います。

さいごにひとりごと。

桜を見る会だけじゃなく、菊を見る会もやってほしいなぁ。
「長く閉鎖的だった菊を見る会をみんなに開かれた場所にした」、というあの「令和おじさん」こと菅義偉さんが成し遂げた功績をたたえたいんだ。

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