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人とわたし、散文

あっぶない、いまちょうど日曜日がもうあと40分で終了するというときに、滑り込みでnote投稿したら、15周連続で投稿おめでとう!って出てきた、もう無理だ〜って思ってたけど、note出せてよかった、連続が止まるかと思った!!!

マジ焦った!

なんでこんなに、秒で1週間が過ぎていくのか謎すぎるし、記憶がないのも本当自分どうにかしてって思うし、書こうと思うほど書けないの不思議だね。

もはやもう日記どころではないのだけど、最近友達や一緒にシェアハウスで住んでる先輩と話して、わかったことがある、今週のnoteはそれを話すことにする。


最近気づいたのだけど、わたしって、友達とか先輩とか後輩とか、もはや家族でさえも、全く信頼していないし興味もないらしい、そんなつもりは本当になかったの、どちらかといえば人間は好きだし。

誰か好きな人に会えると嬉しくなるし、1人で何かするよりも誰かと一緒に何かをする方が楽しくて好き。

でもそれも、ぜんぶ「好きな人かどうか」っていうのがミソで、会えて嬉しいのも、何かをするときに一緒にいたらいいなあと思うのも、笑っていられるのも、その人たちのことが好きだからだ。

だけどわたしはその「好きな人たち」のことさえも、信じていないし興味がないみたい。


信じていないのは、まあ、なんとなく思い当たる節があるというか。
小学生中学生のとき、いじめにあった、家庭が壊れていく様子を見て永遠に続く愛なんてものはないと知った、家族さえ嫌って憎むことができると気づいた、人と人との繋がりなんて、それほど美しいものじゃないと思った。

でもだからこそ、誰かを好きでいることや、誰かの支えとなったり、他者との関係を繋げようとひたむきになる心や気持ちが美しくて綺麗に見えて、体も脳みそも真っ黒く汚れてしまったわたしにとって、そこに希望を見出すこと自体がもしかしたら、自分自身を暗闇から救い出す方法だったのかもしれない。

だから存在するはずない家族を頭の中で思い浮かべて、理想の家族がまるでわたしの家族であるように振る舞っていたし、どれだけ意地悪をされてもあの子を友達だと思っていた、わたしは幸せだよって他者に見せながら、もしかしたら未来は明るいかもと願うことが、わたしを救い出していたから。

だけどわたしは知っていた、好きだよとか薄っぺらすぎる。
わたしが誰よりも自分を偽ってみんなに嘘をついていたから、あなたの好意も親切も奨励も嘘だねって、わたしもみんなも、自分の利益のためにしか他者と繋がろうとしないでしょ、好きだよとか嘘だよ、だってじゃあわたしの何を知ってんの?
本当のわたしのこと知ったら、嫌いになるんじゃない?

守りだったけど自業自得だから、まあ仕方ないことなのかも。
当たり前だけど自分に自信もないし、うーん、自分のこと好きだよ、自分可愛いし、頑張ってる、自分の道も何となくわかる、だから自信があるように見えるのかもしれない、けど、他者がわたしを何かしら「良い」と評価することが信じられない。

『いや待ってよ、わたしの何を知ってる?』

どうしてもこう思ってしまうんだよね〜。
褒めてもらえたらありがとーって言う、けど、言うけどさ、それは、「ありがとうって言った方が気持ち良いから」ということを知っているからだし、謙遜ばっかしてる人を何万人も見てきて、同じだと思われたくなかったからだし、海外の人みたいなマインドを持ちたかったからだし、ほらね、結局、他者に向ける行動や言葉なんて、ぜーんぶ計算済みで自分の利益になることしかやってないんだよ。

それで、どこが、「わたし」だって?
わたしのこと見えていないでしょ、わたしだってあなたのこと見えてないよ、都合のいいようにしか見えてないよ、わたしにとってそれが都合いいんだもん、誰だって損はしたくないでしょ。

それで、他者のこと信じられる人、いる?

いたら手挙げて教えてほしい。

わたしは、いつだって周りの人がわたしを嫌っていると思ってしまうし、わたしがいなくなった隙に悪口を言って、ふうかなんて消えてしまえと思っている、みんなふうかがリトアニア行くって言って、厄介な奴が消えてせーせーするんだと、そう考えてしまう。
もちろんそういうことをされた経験があるし、でも何よりいちばんは、わたし自身が、わたしがみんなに対して偽りの姿を見せているということを、誰よりも知っているから、そんな嘘つきの自分を誰が好いてくれるんだ!!って思っているからなんだよね。

じゃあ本当のことを言う?
自己開示、してみる?
わたしはこういう場所で育って、こういう人間ですーって言ってみる?

難しいよね。

人って、自分に見えているところまでしか、理解することってできないんだ。

何度説明しても、わたしのことが見えていない人はたーくさんいる。
わたしに対して優しいよ、話し聞いてくれるし、会えば笑いかけてくれるし、でもなんだろうね、わたしのこと、見えてないんだよね。
正確にいえば、「わたし」というよりも「自分とは全く異なる状況に置かれている人」のこと。
何度説明しても、わかってもらえてる気がしないし、ただのフィクションというか、ただの「お話し」程度にしか扱われていない感覚。

わたしにとっては、けっこう、心の叫びというか!

そうやって、叫びたかった。
わたし、雑談のつもりでこれ話してるわけじゃないんだけど、って言いたかった。
でも、他者との繋がりを強く求めている割に、シリアスにはなりたくないというか、急に深い話されても手に負えないみたいな、そういう風潮あるじゃん?

『そうなんだー大変だねー。そういえばさー』

私にもどうにもできないようなことを、他者がどうにかできるなんて思ってないし、どうにかしてもらえる期待だってない。

結局、自分が生きてきた世界で積み重ねられた経験や思考からしか人は判断できなくて、だから見てきたものしか見えていないと思うの、だからね、他者にわかってもらおうとか、わたしが理解しようとか、そんなことしても結局できないことに幻滅して傷つくだけだから、だからもう、みんなのこと、わかろうともしないしわかってもらおうとも思ってない。

諦め?

他者に興味がないというのは、このことなのかもしれない。
興味がないのではなくて、興味を持つことで傷つくことがあるから、それを避けたい、興味をもたないようにしているだけ。
わたしがかなり特殊な環境で育ってきたのは、同じような環境にいた人が周りにはいないことは、自分が一番わかっている。
だって特殊なんだもん。笑


21歳の誕生日の前日にペトさんに言われたことはあながち間違ってなかったみたい。

「ふうかちゃん、人に興味ないでしょ」

ビーズのアクセサリーを愉快に鼻歌うたいながら作っていたら、目の前に座ったペトさんに急に言われた。

今までそんなこと一度も言われたことがなかったから戸惑った、それはないと思ったけど、そうだったのかも、というよりそうなのかも。
どうしてわかったんだろう、だって、ペトさんにこんなこと言われた〜って他の大人に話をしたら、そんなことないよねえって言われたの、そんなことないと思ったけどね、今考えれば当たってるのかもしれない、でもそんなにわたしは冷たい人間じゃないからね!

これは声を大にして言っていきたい。

わたし、そんな冷たい嫌なヤツじゃないよ、たぶん。

それに、実は、誰のことも信じられなかったり、どんな好意や優しさも疑ってしまうことは結構こころを汚くする行為である気がしていて、正直生きていて楽しくない、どちらかといえば、信頼でギュッとなっている関係性を理想としているし、そうなっている人を見ると羨ましくなるし、自分もそれが得られたら良いなーって思うけど、そう上手くいかないことに、わたし自身が一番、やきもきして苛立って、いつまで経っても人を信頼できない自分自身に対して怒っている。

つまらなくて、虚しい。

孤独は感じないけど、常にひとりぼっち。


だけど、誰のことも信じられてないし、表面的なのかもしれない、それでもみんなの一つ一つの言葉は胸に響いているし、応援の気持ちや優しさに心がジーンとするよ、言葉が響いてはいるの、だからありがとう。

それに、お互いがわかりあうなんてこと、そんなのありえないし、美しくもないって思ってるくせに、みんなと一緒にいる時間は楽しいの、それは本当なの、誰かとの繋がりを求めてしまうたびに、なぜか傷ついて悲しくなるんだけど、誰かがいることの素晴らしさや、あなたと笑い合える時間の美しさは、他の何にも変えられない。
一人で何かすることもできるし、楽しんでる時もあるけど、みんなと一緒にいられる時間は楽しくて、わたしは大好きなの。

わたしたちってね、人に傷つけられているけど、救いも人にあるような、そんな気がしている。
だからわたしはきっと、人が好きなんだと思う。

絶望も、悲しみも、苦しみも、全て人間が作り出しているものだけど、そこに光を与えてくれるのも同じく人間、たまに自分自身。


何の話かわかんないけど、日記じゃないけど、今週はこういうことで。



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