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日記が追いつかなかった、散文

今週は、日記ではなくただのエッセイを書く。
先週は日記を1日もつけることができず、気がついたら火曜日になってしまっていた、それからもまるで何かに追いかけられているように、慌ただしく日々が過ぎていた、気がついたら木曜日だった。
本当は、こんなふうに日々が過ぎていくのは悔しい。
もっと1日1日をのんびりゆっくり噛みしめながら生きたい、それくらいの余裕がほしい。


what i am looking

やっぱりわたしには、見えるものと見えていないものがあって、そしてそれはいつも他者が教えてくれる。
わたしが、あなたには大切なことが見えていないと言った日、きっとわたしにも見えていない何かがあった、きっとあなたの過去や生活を見えていなかった。
見えていないものがありながら、それを想像する余裕、見えていないものがあると言う自覚を持ちながらそれは何かと考える余裕、それがほしいと思った。
大切なものをわかってくれない時ほど、わたしは心臓がドキドキしてすごく焦る、そしてなぜか怒る。わたしたちは、相手に何かをわかってほしいと願う時、「あなたにはそれが見えていない」と伝えることは不十分なのだと思う。



まじで1週間終わるから早く書け!って思えば思うほど書けなくなる、今週の日記だって結局まだ一文字も書けていない。それでも、ここまで続けてきた「1週間に1本note」を終わらせるわけにはいかないという意地で書いている。
そんなわたしの文章はどうだろうか、あなたは読めているだろうか。

結局誰かに届くも届かないもどうでもいいのだと思う、わたしが表現の方法として選んだ言葉、文章、それ自体が、わたしにとって、煌めいていればそれでいいのだと思う、初めて旭川のコーチャンフォーに行って買ってもらった、モンスターズインクの付箋のように、わたしの目に映るそれがキラキラしていればそれでいいの。

今思い出せば、青いから酸っぱい、それでも嬉しさやドキドキした興奮、祖母の優しさが胸にキュンと刺さってどういう顔したらいいのかわからなくてモジモジする。

わたしの表現としての言葉も、そんな感じなのかなあ。


写真を選んでいたら、ちょうどいいのがあるじゃないかー!
バイト先で行われた夜のちょっとしたパーティー、強制じゃないからほとんど人来なかったけど、わたしその日締めだったし、ちょうどいいから出席。

英語喋りまくって、不完全燃焼ながら、まあいいかと自分の出来に可もなく不可もなくという感じ。
教育格差についてオランダ人のアーティストと議論して、専門用語の力不足を痛感、こればっかりは論文読み漁りながら語彙増やしていくしかないね。

目標とするところには程遠いけど、辿り着けないわけじゃない、それがわかっていることこそがモチベーションになっているのかなあ、だから頑張れているのかなあ。
わたしは、英語がどんなレベルになっても、自分もっとできるって思えるような、そんな人でありたいと思う。

ネイティブに生まれたかった〜!

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