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大切なものが目に見えるの、4月16日-4月22日

2024/04/16
今期最初の授業、先生が陽気だった。


「『生まれ』によって学力や大学進学期待など長期的の経験蓄積に基づく格差があるという『現状』と向き合わずに実施されたこれらの実践・政策・制度変更によって影響を受けてきた児童・生徒たちの中で、自身の可能性が失われたことー血が流れたことに自覚的である人は皆無に近いのではないだろうか。 (省略) 本人はそのような『あり得たかもしれない未来』について考えない。」 (教育格差/松岡亮二 ちくま新書)

17歳の時に、母校の小学校で小学校6年生の児童に講演する機会をいただいて、当時小学校6年生だった児童はわたしが小学校6年生のときに1年生で、お世話していた子たちで思い入れもあったから、彼らの担任をしている先生から「児童の中には『将来はコンビニ店員でいい』って言っている子もいて、、」という話を聞いたとき、言葉にならないショックを受けた。

そのときのわたしは、その子がなぜそう思ったのか、背景や家庭環境はわからない、そう言ったのが誰かさえも知らなかったけど、もしかしたら「生まれ」による教育格差が、そんな背景がその子にあったのかもしれない。

ただ、松岡さんの言うように、子どもたちが教育格差に自覚的になれるかと言われたら、その可能性はほぼゼロ。

『子どもたち自身が、「夢を見られない」ということに気がついていないことが何よりも残酷』
と当時のわたしは日記に残している。

教育格差を学んでいると、当時問題児扱いされていた友達とか、不登校で一回しか学校で会ったことがなくて、英語の授業中ににっこり笑ってくれたあの男の子とか、優しいくせにいつも悲しそうな顔をして、わたしには励ましの言葉をくれるくせに自分はダメな奴って言ってたあいつとか、わたしと勝手に比べられて親に怒られてた親友とか、毎年海外に家族旅行に行っていた友達とか、思い出してしまう「あの子」がたくさんいる。

わたしがわたしで、あの子があの子なのはどうしてなんだろう、もしかしたらわたしのものだったかもしれない人生を歩むのは、わたしではなく、あの子だ、ただ、あの子も、もしかしたらわたしの人生を歩んでいたのかもしれない。

もしわたしの、中学一年生のときの担任が違っていたら。
わたしのおばあちゃんが勉強よりも遊びを優先するような人だったら。
わたしのおじいちゃんが免許を持っていなくて習い事に通えていなかったら。
わたしのお母さんが冗談ではなく本気で「高校、アメリカ行っちゃう?」言っていたら。
もしかしたら違っていたかもしれないこの人生、もしかしたら「こうだったかもしれない人生」が誰の下にもあって、全てを社会的な価値の中で判断して良い悪いを決めるのではなく、その瞬間ひとつひとつの「よりよい」を考えて選択できる人でありたい、教育者として、あらゆる子どもに対峙する身として、そんな人でありたい。


2024/04/17
おやこどん。

親子丼ってどうしてこんなに安心するのだろう。

卵がふわふわ〜でとろ〜ってしてて美味しかった、最高、4杯くらいはいける。


2024/04/18
大学のゼミで卒論のテーマ発表会、先生に「難しいんじゃない〜」と言われた、そうかな、やってみなきゃわかんないじゃん、わたしって結構頑固だから、これをやると決めたら突っ走っちゃう。
しかもそういう後ろ向きな言葉が最大のエネルギー源だからもう、もともと小さく燃えていた火種に酸素が加わって、ボワっと大きな炎になったのを感じた。

難しいのはわかってるんだけど、だからって、難しいよ〜って言われた、それはテーマを変更するほどの理由にはならないんだよね、なぜか、わたしが頑固すぎるからだ。

幸い、ゼミの先生は、わたしはやるって言ったらやるの!という頑固さを、ゆるくゆるく受け入れてくれる人だから、反対はされない、けど力強いサポートがあるわけでもない、お尻は叩かれない、わたしが、しっかり、はっきり、堂々と、わたしの手によって、進めていかなければいけない!

頑張るぞ〜!


2024/04/19
バイト終わり、友達と、パフェ!パフェ!パフェ!
ずっと行きたかった喫茶店のリンクを友達に送りつけ、行きませんか?と誘った、バイト中、ずっとニヤニヤしていたかもしれないというほど、浮かれていた。

ここのパフェは、フルーツやアイスが盛り盛りっとしているのだけど、最近のガツガツしたゴテゴテ感がなくて、昭和の懐かしい、あたたかい、クラシックなパフェなのだ、そこが好きなのだ。

大切な友達と、みんなで行けたことが最高に幸せだった。

1個食べたけど、あと3つは食べられそうだった。

そのあとは友達の家にみんなで帰って、金曜ロードショーでコナンの映画を観た。

大学1年生の時はよくこういうことをやってたなって懐かしくなって、CMがかかるたびに懐かしさを覚えて、ずいぶんテレビと疎遠になっていたのだと思い知る、気づけば大学4年生の4月、たくさんの時間が過ぎてしまって、なんだか寂しさを感じる。

大切なことは目に見えない、とはよくいうけど、わたし、むしろ大切なものがたくさんこの手に溢れている。
大学4年目、足早に過ぎつつもわたし自身ゆっくりと成長しながら過ごしたこの時間の中で、大切にしたいと言えるものが、この手の中にある、大切だよって大声で伝えたい人がいる、目に見える形で「大切」がわたしのそばにある。

”それ”が大切だと気がつかないうちは、きっと目に見えない、でも”それ”が自分にとって大切だと気づいたら、それは目に見える、きらきらと光り、私を照らす。


2024/04/20
新しいパソコンが届いた、ぴかぴか、液晶きれい、音質よい、キーボードさらさら。


2024/04/21
バイト先で新しい試みが始まり、今日の担当がわたしだった。
ただの大学生が1人で責任を負うのはちょっと重いな〜という仕事内容だけど、任されている気がして、実は人手不足なだけだけど、それを忘れて、わたし!しっかりやんなきゃ!と思うから、オーナーは大変大変助かっているのだ、そんなことは自分で言うことじゃない、冗談だよ、ごめんね。

実際は周りの大人の前後左右からの励ましがあって、自覚するほど向上心の薄いわたしでも、今日も頑張っちゃお〜とか言いながら、ここまで踏ん張ることができている、自分のためとかじゃなく、周りの人がいるから、今日も頑張りたい、と素直に思える、本当に良い職場。


2024/04/22
わたしってあんまり話す方ではなくて聞く方だな〜って思っていたけど、今日、先生が電車の都合で授業に40分ほど遅刻をしたのだけど、先生を待っている間、わたし、隣に座っていた友達にノンストップで喋りまくってた、喋りすぎなのさすがに自覚した、話すか聞くかは相手によるんだね。

たまたま朝から夜までずっと学校にいた、友達がいるだけで授業も楽しいし空きコマも楽しい、全部楽しい、全部煌めく。

4年生になって、卒論があって、就活があって、教採があって、院進があって、面接があって、試験があって、みんなの「頑張る」、「頑張ってね」、「頑張ろうね」が交錯する、現在と、過去と、未来の間を行き来して、大切なものは何かを探している。

わたしは、ただなんとなく、頑張るための理由づけのように学校にいて、みんなが頑張る姿を視界に入れながら、自分も、と背筋を伸ばしたい、願掛けのように机に向かうことで、自分が安心できるならそれでいいのだと思う、勉強した努力が報われてほしいのではなくて、頑張る姿勢を見せつけて、神様に情を起こさせる、きっと、大丈夫、大丈夫。

卒業したら、みんなと会えなくなったら、みんなの頑張っている姿を想像してみせる、そばにいなくても、どこかでみんなも頑張っている、それを信じたい、それできっと、わたしはまたにやにやして、また歩きだす。
とか言いながら、きっと、わたしもみんなも、新しい場所でともに手を取り、ともに笑い合う人を見つけるのだと思う。

それも少し寂しいんだ。

それが成長のような気もするんだ。

きっと、たまらなく寂しくなりながら、応援することをやめないのは、あなたがどう笑うかを知っているからだ。

みんながいてくれたから今日も頑張れた。
あと何回もないこの時間を、ハグしながら明日も、みんなの変わらない笑顔で、きっと。

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