「90日間の入院で学んだこと」#1
病室の窓から見える景色は、いつもと同じように見えても、ここにいると全く違うものに感じられました。入院生活は、日常のリズムを一変させ、心に様々な想いを呼び起こす時間です。悪性リンパ腫と向き合うことになったとき、私は何を感じ、何を考えたのか。日記を書きながら、その時々の心の揺れや希望、そして葛藤をつづりました。この記事は同じように病気や入院生活を送る方々に寄り添い、少しでも心の支えになれればという想いでお届けします。
入院する半年前の2月頃から体調が優れない日々が続きました。
周囲から「顔色が悪いよ」「痩せたね」と言われることが多くなりました。
確かに、階段を2階上がると息があがってしまう毎日、食欲が全くない毎日、夢でうなされ寝汗をかく毎日でした。
病院に行くまでに時間がかかりました。この仕事が終わったら…一段落したら…と月日は流れて、やっと人間ドックに4月25日に予約が取れて、その場で言われたことは血液の異常でした。LDという値が通常の10倍あり、精密検査します。また来てください。肝機能・血清検査、息が上がることから呼吸機能の異常も項目に入りました。
そのあとすぐ、4月29日に両親の交通事故があり、そこから手続きや付き添いで、仙台⇔山形との往復、地元の病院に転院した後は、仙台⇔福島との往復の日々でした。
精密検査は受けましたが、医師からは「なぜLDの数値が高いのかわからない」しか言われず、体調は戻らず…そんな日々が続きました。
6月27日に両親が退院し、その後から2日間咳が止まらなくなりました。疲れたからまた喘息の発作かなと思って、吸入などしていましたが改善されず、6月29日の深夜に救急病院に行き、肺炎と診断され1週間の入院と診断されました。
その後血液検査でやはり異常、運よく血液内科のドクターがいたことで、詳しく調べていただくことになり、皮膚生検(皮膚を採取)脊髄検査を行い、7月11日に妻同席で、「悪性リンパ腫で確定です」と告知されました。
病気の原因も病名もわからず、不安な日々を過ごしていましたが、病名がわかったときには少しほっとする自分がいました。もちろんショックもありましたが、それ以上に「早く治したい」という気持ちが強くなり、治療に専念することを決めました。
入院から最初の1か月間は、止まらない咳の苦しさに耐え、血液中の酸素濃度が低いため心電図を常に装着し、点滴も続ける生活でした。さらに、抗がん剤治療を始める前のステロイド投与による浮腫みも加わり、体中にたくさんの管がつながれている状態での闘いが続きました。
そんな毎日でしたが、振り返ると「やらなければならないこと」が次々とあり、ただひたすらに闘い続けた日々だったように思います。
入院して1か月が過ぎた頃から、「この先どうなるんだろう」と考えるようになりました。その後の出来事については次回以降に書こうと思いますが、ある方から「病気にはなっても病人にはなるな!」という言葉をいただきました。その言葉を自分なりに解釈し、「治す側に回ろう」と決意しました。
それからは、ただ言われるままに点滴を受けるのではなく、「この点滴は何のためにやっているのか」と医師に質問したり、「私にできることはありますか?」と聞いたりするようになりました。自分で病気を治すことはできないし、病気がどうなるかもわからない。副作用も人それぞれ違う。でも、結果がどうなるかよりも、「治す側」に立つことに一生懸命になっていました。
自分ではコントロールできないことも多い状況でしたが、「治す側にまわる」という意識が私の心の支えになりました。その姿勢が、日々の治療を前向きに受け止める力になり、不安に押しつぶされそうな気持ちを支えてくれたのだと思います。どんな状況でも、自分の意志を持って向き合うことの大切さを、改めて感じる日々でした。