誰がためにシャッターを切る
私が男子バレーをがっつり見るようになって、何だかんだで10年以上が経ちました。
その頃から、会場で写真を撮る人は当然おりましたが、当時はコンデジのハイエンド機が主流で、デジタル一眼レフを持つ人はまだ少数派でした。コンデジのハイエンド機自体も決して安いのものではなかった(今ならデジイチの入門機の本体が買えるくらい)ので、当時は「みんな、カネあるなー」なんて思った次第。
今は、会場を見回しても会場でデジタル一眼を構える人が増えたなぁ…と感じております。
バレーを見始めて少し経ったら、デジイチの入門機、キヤノンであればKissシリーズあたりを買って、選手の写真を撮って、Twitter上にアップする。
その流れが定着してきてるというか、「男子バレーファンあるある」になりつつある、否、完全にそうなってるなと。
私も、そういう人でした。
デジイチを導入したのは2008年のおおいた国体からでして、それ以前はコンデジの中位機で多少撮ってた程度。
もっと遡ると、本格的に男子バレーを見始めた頃は「写真よりも目に焼き付けたい!」と頑なに思っていたこともあります。
なので、実は手元に残っている堺時代のアイコンの氏のインプレー中の写真で、自分で撮ったものはほとんどありません。
今思うとなんてもったいないことをしたんだと思うけれども、過ぎ去ったものは仕方があるまい。
話が少しあぜ道に逸れましたが。
カテゴリーを問わず、デジイチに望遠レンズを付けてバレーボールの試合会場に足を運ぶ人は増えていて、ネット上、とりわけTwitter上ではその日の試合の写真がその日のうちに氾濫する現在の状況。
そんな状況下で、「自分は何のために写真を撮るのか」「誰のために撮ってるのか」を考える機会が増えました。
ぶっちゃけ、わざわざ自分で撮らんでもええんちゃう?と思うことすらありまして。
同じ会場で撮られた素敵な写真が、タイムリーにたくさん流れてくる。私も同じ事をしたところで、その亜流にしかならないし、それだったら写真を撮るのは他の人に任せて、もっと別のアプローチや表現の仕方があるのでは、と。
学童期、体育でバスケットボールやサッカーをしていても、どうせ運動神経良くないからと、皆が群がっているひとつのボールに向かっていくことはせず、人がいないところを敢えて陣取って、飛んできたボールをせっせとパス回ししたりシュートを打っていたちょっとこすいタイプの子どもがそのまま成長すると、こういう事を考えるものです。
でも、やっぱり自分で撮りたいんですよ。バレーの写真。
それで結局は、重いレンズとデジイチを引っさげて会場に足を運んでいる私の姿があります。
(つづく)
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