自分の信念~9/3 TMvs海南FCを通して~
今回の内容は、
特段noteに記す必要はないことかもしれない。
ただ、昨日のTMを通して改めて感じたチームの課題、自分の信念、曲げられないこと、そして不安なところ…。
そうした現状を今、一度振り返り言葉に表し、このnoteに残そうと思う。
思ってることをひたすらに書いていくので、文章構成や言葉遣いは整ったものではないと思います💦
昨日の試合で感じたことの一つ。
今の南紀オレンジサンライズFCが
〈闘った相手〉から
リスペクトされたり、
応援してもらえたり、
またやりたいと思ってもらえるチームか
と問われれば、
答えは「No」だろうなと思ってしまった。
相手に怪我をさせるようなラフプレー、
不必要な遅延行為、
相手を煽るような発言、
それを平気でしてしまう選手がいた。
別に昨日だけではないが。
ぼくにはそれを普通にしてしまう意味が理解できない。
そら、サッカーは騙し合いのスポーツといわれるぐらいだから相手の心理の逆をついたり、相手が嫌がるようなプレーをするのは当然。
ぼくもそうした駆け引きはめちゃくちゃ使うし、マッチアップのFWが、試合早々「こいつうざいわ💦」と言うこともしょっちゅう。
でもその駆け引きに、
不必要なラフさや言動はない。
(と自分では思っている)
あくまで駆け引き。心理戦。
本題に戻るが、
自分の信念からして
上記の、味方が相手にしたような行為は一切許容できない。
そこはチームメイトであってもボロクソに言わせてもらう。なんなら、監督に進言してさっさと退場してもらいたいとも思う。
なぜここまで拘るか。
おれは他のチームからも愛されるチームが最高の集団だと考えているから。
「あいつら上手いし、強いけど、
荒いしやりたないわ。
さっさと負けろよ。」
と嫌われるチームでは
本当に良いチームとは言えない。
「あいつら上手いし、強いけど、
常にチャレンジャー精神でくるし、
めっちゃ一生懸命やから、
対戦してても楽しいし、気持ちいい。
また試合したいわ。」
そう思われるチームであるべきではないか?
まして、
ぼくらみたいに、
新しくできたチームで地域と共に生き、
和歌山を変えるといっているチームなら尚更。
関西リーグに上がるための府県リーグ、
上がったあとの関西リーグ(1部、2部)、
そしてJFLに上がるための地域CL、
そこにチャレンジする時に、
同じ県で闘ってきた相手から
「がんばれ!勝ってこいよ!」
そう心から思ってもらえるチームでありたい。
ただ、今のチームはどうだろう?
正直、ほとんどの選手は意識して、かは分からないけど、礼儀やリスペクトをもってやってくれてるように思う。
ただ、チームって不思議なもんで、
集団の中に数人でも、極論言えば1人でも
そこに反する選手がいれば、
それがそのままチームの評価に繋がる。
つまり、1人でもおったらもう最高のチームにはなりえないというわけだ。
だからこそ、ぼくはそういう選手を1人たりとも許せはしないし、同じピッチでプレーしたいとも思わない。
平気で相手に嫌われるような行動、言動をする人は、違うチームでやれば?それこそ、サッカーだけで勝負するようなチームにいけば?
と極端にいえばそう思っている。
同じピッチ(空間)で闘う相手に
好意を寄せてもらえないチームが
最高のチームといえるだろうか?
本当の意味で地域に愛される、応援されるチームになるだろうか?
そういうとこまで考えて、チームというものはつくっていかないといけないとぼくは思う。
もう一つ昨日の試合で改めて感じたこと。
それは自分自身の考えの中心、
サッカー選手としてだけでなく、
一人の人間としての根幹の部分を担っている考えは、
『 責任感 』
であると改めて実感した。
昨日とあるプレーで
ぼくは味方にこれまでで一番怒鳴った。
そのプレーが、
自分の考えの中心ともいえる
《ディフェンダーとしての責任感》
が欠如しているものだったからだ。
どこのポジションもそうだけど、
DF陣は特に責任感が問われると思っている。
人のせいにする前に、
まずは自分に矢印を向ける。
味方がどんなミスをしようと、
どれだけ多くのミスをしようと、
それらをカバーし、ゴールを死守し、
再びチャンスが訪れるように耐え忍ぶ。
これが自分の中のDFが備えておくべき責任感だと思っている。
ここ最近もそうやし、
これまでもFWなりの前線でプレーすることが多々ある。
でも、後ろの選手が
人任せ、人のせい、にするような無責任な選手がいたら、正直気が気でないし、やったらCBやらせてくれよ、と思ってしまう。
試合後その怒鳴った選手とはゆっくり話をして、彼の考えは分かった。
ただ、
ぼくは自分の主張を一切曲げることはしなかった。
基本的に相手の意見に合わせる性格の自分だが、そこは譲れなかった。
その時に、
自分の中には太い太い幹があって、
そこは決して揺るがず、折れないものなのだと感じた。
誰がなんと言おうと
その考えが変わることはないのだと思う。
ただ、あくまでそれは竹川恭平の核の部分であるから、他者に求めることはあっても、強制はできないとも同時に実感した。
それでも、自分は間違ってないと断言できるから、それを許容するかしないかはもうその人次第やな、と割り切ることに決めた。
ともかく、
竹川恭平というサッカー選手、そして人間は、何においても『責任感』という軸を中心に物事を考えているということだ。
少し、熱の入った文章、
そして極論ともいえる内容だったかもしれないが、これがぼくの考えであり、基準である。
試合後、
有村コーチとこうした内容について長く話をした。
ただ、どうしていくべきかの完璧な答えは出なかった。
サッカー選手としての視点だけでなく、
そもそもの人間性の部分、
性格や価値観、そこを形成する生い立ち、環境…
考えれば考えるほど。
全員が理解し実行するなんてことは難しいのかもしれないと思ってしまった。
それでも、チームが良くなるようにしていかないといけない。
ここまで深い話をチームメイトとすることは少ないが、今回のように有村コーチであったり、峯上監督とはよく話をするし、そこで、自分1人の悩みではないことに気付ける。
そこが大きな救いだ。
サッカーって難しい。
チームスポーツって難しい。
人と人とが関わって作り上げていくことって難しい。
それでもやらないといけない。
自分に何ができるか。
自分の信念をもって、
ひたすらに仲間やチームのことを考えること。どうあるべき、そのために何をすべき。
そうしたことを考えていけば、
付いてきてくれる味方は絶対いると信じるしかない。
このnoteをたまたまでも読んでくれた仲間を信じるしかない。
難しいけど、
それでも一歩一歩進んでいくしかないし、
その先の明るい未来を目指して一生懸命やっていくしかない。
何を書いてるかさっぱり分からん、
何を言いたいかさっぱり分からん、
そんな方もいたかもしれません。
内容、言葉とも至らないものですみません。
ただ、ここに書いたことが今の思いであり、
竹川恭平という人間の信念ともいえます。
長い文章、最後まで読んでいただきありがとうございました。