声優の結婚を嘆くオタクに百合を見た
自分の人生の惨めさを噛みしめながら、他人の幸福に悪態を吐き、死にたいとさえ思う——エモーショナルとはそういうことなのだ
12月31日に声優の松嵜麗さんが結婚を発表した。他にもたくさんの方が発表していたが、ここでは省略する。申し訳ない。
松嵜さんはアイドルマスターシンデレラガールズの諸星きらりを演じており、ヤクルトファンとしても有名?な方である。
私もヤクルトファンだったので、シンデレラガールズも松嵜さんも全く知らなかったが、応援をはじめた。その後、ソシャゲをプレーし始め、ライブにも行ったりした。
そうやって、普通に応援をしていた。
普通にしていたつもりだった。
結婚の発表は、応援している身からしても本当にめでたい事だったし、心からおめでとうと思った。
けれど、心を支配するのは、そんな単純な感情ではなかった。
語彙力のない私には、この気持ちを巧く表現する言葉が見つけられないが、陳腐な言い方をすれば『絶望』というのが一番近いかもしれない。
仕事が始まったら、忙しさで忘れられるだろうか。
いや、ストレスでストレスを紛らわすとなどできない。積み上げられていくだけだ。
この記事が、前のおふざけ記事と違って本当の遺書になるかもしれない。
いやまあそれは無いと思う。
別にワンチャンあると思っていたわけではない。結婚を狙っていたわけではない。
幸福を願っていた。幸せな家庭を持って欲しいと思っていた。
感情は、頭で思い描いていたものにはならなかった。
この感情は、百合だ。
女の子同士の恋愛なんて気持ち悪いと、きっと彼女は言うだろうと、少女は口に糊をし続ける。
それでも、傍にいられさえすればいいと思い、感情を喉元に押さえ付けながら談笑をする、何気ない幸せな日常の一幕がある。
その幸せは、彼女からの彼氏が出来たという報告により打ち砕かれる。
ワンチャンなんて考えていなかった。
誰よりも彼女の幸せを願っていた。
はずだった。
何が許せないのだろう。
私より彼女の幸せを願う人が出来たことが許せないのか。
いや、今でも私が一番彼女の幸せを願っているはずだ。
エモーショナルとはこのことなのだ。
みたいな、やが君本をどっかで出したい、ワンチャン春コミでだすかもしれない。
この例え話に
「いや、オタクは傍にはいられてないだろwww」とか
「この子はまだワンチャンあっただろwww」とか言わないで欲しい。その術は俺に効く。
じゃなくて、この百合少女も同じようにそれについて後悔しているわけだし、オタクたちだって自分の惨めな人生を省みながら同じような後悔をしているに違いない。
(え?私はそんな事ないよ?私は単純にヤクルトが最下位の年にヤクルト婚をさせてしまって申し訳ないなと思っただけだよ?本当だよ??)
声優の結婚発表に絶望している人を見ても、嘲笑わないでやって欲しい。
彼らは百合の間に男に入られただけなのだ。
エモーショナルとは彼らの事なのだ。
P.S.
春コミをやが君で申し込むかカリムで申し込むか、いまだに悩んでおります。払い込み締め切り迫る!!!
1月7日(火)!!!!
よろしく!