![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/69044732/rectangle_large_type_2_68b9b2d8e51c95aa755e7ab605adc9cc.png?width=1200)
凡庸雑記「いくものくるもの」
いくものくるもの
2022年もとうとう始まり、鳴こうが喚こうがまた一つ歳をとり、人生が終わりに近付いている今日この頃。皆様、明けましておめでとうございます。
今年は一体どんな一年になるのか、不安はあるけど、期待は全くもってない、今のところそんな気分。もう、この歳になってしまうと、自己啓発系のビジネス書の著者からは後ろ指を刺されるかもしれないのだけど、一年の人生計画なんて、立てる気にもならない。
さて、年初めに一体何を書こうか?
ここで、新しく一年が始まり、「ゆく年、くる年」ではないけれど、いったものと、きたものを思い浮かべながら書いて見たいと思う。
消えてゆく
それなりに生きていると、ついこの間まで身近にあったものが、突如とは言わないけれど、それに近い形で消えていく。身の回りから無くなって、じわじわと痛みが突き上げてくるものもある。
思い浮かぶのは「書店」と「映画館」この二つは、人生の中から消えて、今、予想以上に悲しんでいる。
映画館
別に映画館は無くなっていないと言えばそうなのだけど、無くなって悲しんでいる「映画館」は、ついこの間まで商店街の中に、それも、一番人通りの多い目貫通りに、鎮座していた地元の個性的な「映画館」だ。
多少どころか、地元に根付きすぎ、土気色した外壁と香りのする、そして、押し並べて無愛想なモギリのおばさんと、ガムや何かわからない物体が床にこびりついた跡がある。
そんな「映画館」を、嫌悪しつつも、愛していた。
なんというか、お互いどこかに傷があり、薄汚れている存在で、同類愛あわれるみたいな、親近感と、安堵感を感じていた。
映画の目的
映画を観る、その目的と意味が、「逃避」と「希望」である自分にとって、満たされない心の闇そのものの館内で、映し出される光は唯一と言っていいほどの、「幸福」だった。
確かに、映画を観るのであれば、清潔に保たれ、極上の設備を用意された、華やかなショッピングモールの「映画館」シネコンが、適正な選択である。
もちろん、映画を好きだから、シネコンをよく活用するが、どうにも、こうにも、あそこは明るすぎ、快活すぎ、幸せすぎる。なんかこう、多くの娯楽と快楽のひとつまみとして、幸福な人々が集う場所なのだ。
映画の光の中に、ほんの僅かなかすかな「希望」みたいな、「幻想」を見出そうとしている、哀れな男には気恥ずかしくて仕方がない。
薄汚れたままで受け入れる
それに、第一、きらびやかなシネコンに、薄汚れた仕事着でふらふら映画を観に入る。そんな、空恐ろしいことなんて出来しない。
思いのほか仕事が早く終わり、それじゃ映画を観ようかと、小汚い仕事着で、何気なくふらふらと映画館に入ることができた。あの、街の風景の中、沈殿したような「映画館」が、ときどき発作的に思い出されて、心が痛痒くなる。
消えていく
近所の「書店」が最近バタバタと消えていった。
夜になると、思いつくと、街頭の灯火に群がる虫のように、仕事の終わりや、休日の手持ち無沙汰に、ふらりと書店に入っていた。
別に何を買うこともなく、ただひたすら書店をうろつき、気になった本があれば手に取って、パラパラと中身を確認し、また、うろつく。
これが、とても心地よくて、楽しくて、日常の一部だった。
とても田舎で生まれ育った僕は、家の近くに何軒も書店があることに、感動すら憶えた。さすが街中は文化的な部分が育まれているなあと。
共にあるはずが
永遠に書店は生活の中にあり、人生と共にあると信じていた。
それが、一件、二件、そして、三件と、なじみの書店が閉店し、気楽に行けるところがなくなってしまった。
もちろん、世の中で出版社の書籍販売数の激減、伴う書店の苦境が、声高に語られていたことは知っていた。
しかし、不思議に自分の周りのいつもある、そこそこ大きな書店が閉店するなんて、地球に「ドント・ルック・アップ」(Netflixでやっていてとても面白かった。)のように、彗星がぶつかるぐらいの、絵空事だと思っていた。
気がついたら、あれほど当たり前にあった「書店」が、消えてしまったのだから、世の中に永遠はないのだと、呆然と立ち尽くしている。気持ち的に。
今では、車で駅前まで行かないと、満足する「書店」はないから、かなり、覚悟していかねばならなくなった。
卑怯な告白
こんなことを書きつつ、さも、読書家で月々何冊も”紙”の本を書店で購入し、かわいい書店員と、笑顔で語り合えるほどの常連になっていたかというと、全くもってそんなことはなく。
立ち読みは楽しむが、恥ずかしながら、購入には至らず。自己満足のみで書店を後にしていた。それどころか、先日も書いたように、最近は電子書籍で買うことが常となってしまった。
これでは身の回りから、「書店」が消えてしまうのも無理からぬこと。僕でこうなのだから、世の中その流れになってしまっているに違いない。何せ、世の中に流されやすいのが、その分世の中を軽率に反映してしまうのが、この僕の特質なのだから。
ゆくものばかりで終わる
ここまで書いて、すっかり疲れてしまった。
とりあえず、行ってしまったことで精一杯。これで終わりに。
来たことを書こうと思っていたけど、それは気が向いたらまた書いてみようと思っている。消えてしまったこともあれば、来たこともある。
カメラや、動画配信やなにやらかにやら。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。