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凡庸”撮影”雑記「リズム」
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2B channelを見ていたら。(写真家の渡部さとるさんがやっているYouTube)写真はリズムだと、言っていた。
撮影するリズム感が、写真の良し悪しを決める一つの基準のようだ。
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スナップや、ポートレートの時、もしかしたらそれ以外でも、シャッターを気持ちよく押せるリズムをつかんだなら、結果がどうあれ、気持ちが良いのは間違いない。
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ゾーンに入ると言うのか、写真を撮ることへ、純粋に集中している心地良さがある。
今、Nikon Z6 NIKKOR Z 50mm f/1.8Sでほとんど全て撮影しているが、出てくる写真が端正な美しさなのはもちろん。それだけでなく、単焦点の潔さ、簡潔さが、撮ることに集中させてくれるからだ。
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ズームを使いこなして、思いの通りの風景を切り取るのも悪くはないが、頭の中に明確な画角が無いと、戸惑いが生まれる。たとえそれが、1秒に満たなくても、その、停滞が撮影のリズムを不安定にさせてしまう。
単焦点ならば、画角は一つ。選択肢は限られている。その分、撮影への集中度が上がる。歩きつつ、50mmの目線で周辺を捕まえて、自分の画枠に入った瞬間に押す。
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カメラと、僕と、風景の中に、何かしらちゃんとした”リズム”が生まれているのではないかと、感じる。
思い出すのは、かなり昔。念願のRICOH GR digital IIを手に入れて、嬉しくて仕方がなく、年がら年中ポケットに入れて、街中をスナップしていた。
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とにかく、小さくて軽いから、街中でのスナップ撮影への抵抗が、上質の潤滑液を塗りつけたように皆無だった。首からぶら下げ、懐に隠し、おもろいものや人を見つけると、サッと取り出し、ピント固定でノーファインダー撮影し、サッと胸もとにかくして、何事もないように撮影していた。
構図も何もへったくれもなく、とにかく、リズムだけで撮影していた。
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頭の中で構図を捻り出してからではなく、撮りたいと思った瞬間、カメラを向けて、空っぽの頭で体が感じるまま撮影していた。妙にそれが心地よくて自分にあっていたような気がした。
やっぱり、今思うにGRって、すごい稀有なカメラだったんだなと、しみじみ感じる。
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Nikon Z6 NIKKOR Z 50mm f/1.8Sのコンビで、一応満足しながら日々撮影しているこれども、あの時のリズムからの快感を思い出すに、本当にこれで良いのだろうかと、Nikon生命と宣いながらも、考え込んでしまう。
時々、長年連れ添った糟糠の妻を捨てて、いろんな家事や育児は不適合だけど、遊んですこぶる楽しく心地よい女性に走る老境の男みたく、何にもできないくせに、レンズも変えられないくせに、噂ではセンサーがしょっちゅう汚れてダメになるくせに、べらぼうに金のかかるGRを買いに走りたくなる。Nikon Z6 NIKKOR Z 50mm f/1.8Sを捨てて。
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Nikonであの夢中にさせるリズムは到底無理だろう。ないよりもでかく重い、Z6だとしても。それじゃ、捨てるかと言えば、もう、この歳で行けやしないのは、分かっている。金もないしね。やれることが断然Z6の方が多い。いざとなればズームも使える。
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ただなぁ〜、あのGRとの夢見心地のアバンチュールを、どうしても忘れられないんだ。あの、リズムを。