凡庸雑記「暇」代休1日、暇な時間、憂鬱気分
なんだかかんだか、代休を取っている。1ヶ月しか猶予がないので、仕事があろうがなかろうが、エイャ!っと取らないと、どんどん消えて行く。
見事なまでの日本の社畜社会人だから、それでも良いのだけど、なんだか取らずにはおられない。もったいないし、癪にさわる。
だからこうして、たいしてやることがなくて、ぼんやりしながらも
自宅で時間を潰している。
と言っても、平日だから急な仕事がお構いなしに入って、数本のメールに、見積書2つ、書類確認と連絡がいくつか。
まあ、仕方がないし、普通の社会人が平日ゆったり休めるなんて、夢の夢だ。そんなこっちゃ、今の時代では化石的労働環境だと、言われちゃうかもしれないが、零細企業のお粗末さで無理な話。
こうして日がな一日、家の中で過ごしていると、なんだか、何でもかんでも興味が無くなってしまった。特別、これがやりたいとか、これを楽しみたいとか、心の中から湧いてこない。
いつもはこうじゃないのだけど、今日はなんだか特に。
映画も、ドラマも、アニメも、この時間を存分に使って見倒そうと気分が高まらないでいる。だいたい観たいものは、観てしまったのもあるのだけど。
良い加減、観るだけじゃない、何か、人生にプラスαとなるような、事を体験したいと、欲が出たのかもしれん。
いつもなら、外に広がる桜の日々を捨て置かない。
だけどだ、不安定な空模様。曇っていては、雨が降り注ぐ。時々、青い空が。濡れようが、なんだろうが、カメラを持ち出すのが、写真道だろうけれども、芳しくない空模様に似た我が心が、どうも、玄関のドアを開けようとはしない。
一つ言えるのは、もっと、心が豊かならば、グレングールドのバッハを聞きつつ、濃厚な小説でも読めば良いに違いない。知性的でカッコよく。なんだか、イケている。
こんな感じで、代休の限られた一日。結局は、暇つぶしに気になった仕事を処理し、乗り切らないドラマをかじり。もやもやした時間を過ごしているけれど、会社を定年退職した後の生活は一体どうなるのだろうかと、不安になる。
よほど、好きな何かを、他人からどうのこうの言われようが、何されようが、見つけなくては、辛いだろうなあと、思った。
これは、別に定年後の老人の話だけではなく、ぽっかりと人生に大穴が空いた人々。特に仕事や創作で、他人と擦り合いながら、強制的に期待されたり、責任を背負わされたりして、苦楽を送っていた人が、それから解放された時、本物の自由を手に入れた時、もれなく絶対的な絶望を退職金として、振り込まれる可能性がある。
芸術家が、創作の絶頂で、自死を選ぶのは、その絶望を冷徹な審美眼で見つめたからなのかもしれない。(意味わからずカッコよく書いてしまう)
なんだかこんなことを今日、あんまりにも暇だったから、ぼんやり考えて過ごしてしまった。大概、映画も、ドラマも、アニメも観て。追加で観ようてしても、全く気持ちが動かず、夢中になれず、気分がどんどん落ち込んできたので、こんな事を暇にまかせて書いてしまった。
さて、もう後10年も経てば死んでいるかしれない歳になったので、もうそろそろ、本気で暇な時に何をするかを考えなくては。
こうして駄文を書くか、それとも、フラフラ徘徊しながら森山大道気取りになるか、はたまた、小説でも書いてみるか。
とにかく、人様の創造品を飲み込むだけじゃ腹が膨れて、すぐに満杯となるから、自らも何か形にしないと身が持たないと、思ったりして。