凡庸”レンズ”雑記「NIKKOR Z 50mm f/1.8 S」引き続き所感
買ったばっかりで、気分が高揚しているだけだろうけど、きっとそうのはずだけど、腰痛と腱鞘炎を従えて、Nikon Z6 NIKKOR Z 50mm f/1.8Sを持ち出して写真を撮っている。
街には、儚く終わろうとしている桜が広がり、完璧ではないが、残り少ない美しさが確かに残る。撮るには困らない。
弩級のレンズのおかげで、軽いとは言えなくなったカメラを肩にかけ、街をうろうろ歩きつつ、目に入る桜を片っ端から写していく。すでに桜の木々は緑が幅をきかせ、わびしくなっている。
周りをうろつきながら、しぶとく残る薄桃色の枝櫻を50mmの絶妙な画角で切り取っていく。
かろうじて残った、孤高の桜を、許される限り近づいて、画面全面に収める。
疲れも、痛みも、撮影の高揚感を鎮痛剤として忘れ、せっせと歩く。撮る。
巷では、絶対的に評判高いこのレンズ。正直、本当にこいつを存分に使いこなしているのだろうかと、戸惑っている。もっと、自然な感じで、そっけなく、微細に、装飾の無い(まったくと言っていいほどの)優等生の絵をなかなか得ることはできない。
これ、どんな馬鹿高いレンズでも、ライカの150万ぐらいするアポズミ50mmでも、同じことだから、安穏な気分で使っては行けない。そういう戒め。
どんないいものを手に入れたとしても、多数・無数に配慮と技量は必要。もっと磨いていかなくては。
撮る瞬間の光の具合や、影の状態。ハイライト飛びやシャドー潰れ、陰影をLightroomで庇えるのか否か。その後、RAW現像するときに、ハイライトをどれほど下げて、ブラックをそこそこ上げて、ハイライトはあまりあげず、空の色がえぐくなるから、そんでシャドーをそこそこ下げて締まりを追加。最後は、トーンカーブで味付けして、基本の色合いを造る。
その後、精細度やシャープをいじって、写真を立てる。個人的に、どうしてもパキパキが好きなので、ついつい多くしてしまい、後から見たら、下品なカリカリな絵になってしまう。これは、反省どころ。
このレンズを使った、名だたる諸先輩や写真家先生方の写真が、なんとも言えない、NikonのZらしい至極簡素で透明感のある絵なので、まだまだ僕のはエセZ描写。
こんな感じで、ちょっぴり真面目に向き合っているのは、きっと、NIKKOR Z 50mm f/1.8 Sのおかげ。それだけの、意味があるから。これからも、頑張って撮ってゆきたい。
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