凡庸”街写”雑記「ファム・ファタール」
長野の軽井沢に行ったのに、全く美しくもない山の上で仕事をして、おまけに石のような雪が降ってきて、写真どころじゃなかった。
軽井沢なんだから、美しいのは当たり前。きっと、生涯語り継がれる、美しい写真が残せるだろうと、期待していたのだけど、目の前にあるのは、灰色に埋め尽くされた、風景。
結局は、一枚も撮れずに、すごすごと山を降りた。軽井沢を去った。
そこで、次にどこに行ったのかというと、長野で泊まって、新宿に行った。全く別の世界に行くことになった。まるで、異世界に放り込まれた、勇者のようだ。
曲がりくねって、走りにくくてたまらない、大東京の下道を延々と走り、曲がり、曲がるところを案の定、間違いながら、新宿御苑近くにたどり着いた。
予定時間早くに着いたので、天気も良かったので、暇だったので、新宿の街を歩くとこに。もちろん、軽井沢で撮れなかった写真への思いを消化するために。
あたり前なことに、石の雪が降り荒ぶ軽井沢の山の上とは全く違い、天気の良い新宿は、人が軽井沢のあの時の雪のように、降り荒ぶ(人様に対して失礼な表現だけど、それを彷彿とさせるほどの、人の数と歩く速さ)
掻き分け掻き分け、ぶつからないように、立ち止まり、Nikon Z6 NIKKOR Z 40mm f/2を構えて、写真を撮る。撮る。そして、気の小さい僕は、敬愛するハービー山口氏のように、素敵な女性に声をかけて、素敵な笑顔を撮ることは考えもしない。
なるべく、人が写らないように、細心の注意を払いつつ、シャッターを押していく。
人が入れば、ググッと、写真の奥が深くなるのはわかっているけど、入ってもらうのは、入ってしまった後の面倒ごとやらを考えると、躊躇しかない。もちろん、スナップだから人が写ってなんぼは分かっている。ので、遠目で素早く見ず知らずの人を写す時もある。
人の数に気圧されながら歩いていると、突然、AirPodsProに電話がかかる。なんやろなぁと、クリックすると、仕事の電話。それも厄介な。話せないわけではないが、完全に気持ちが飛んでいる状態だったので、かなり呆けた対応をしてしまう。
人が飛ぶように流れる新宿のビル壁に固まって、呆けた顔で前方を歩く人々をぼんやり見ながら、これまた、ぼんやりとした対応をする。
その時、僕を見向きもせず遮二無二に歩く人の中、突然、二つの、輝く力強い、個性的な目が、僕へ向けられた。反応すると、虹色の鮮やかなヘアーに彩られた、美しくも愛らしい若い女性。
女性が、それも、若く、おまけに、七色のヘアーの。こんなことは、生きてきて初めて。
数秒だったと思う。だけど、永遠に感じるほどに、長く、強く。
放たれた目より、印象深く、意識が引かれたのが、彼女の表情。全く接点の無い、生きる世界が違う二人の間柄の中では、到底、交わらないであろう表情が、彼女の顔に浮かんでいた。
親しくもあり、訝しんでもあり、滑稽でもあり、ただ、総じて、嫌悪の色は浮かんでなかったと思う。(ここが不思議)素っ頓狂な呆け顔をしていた、陳腐な中年男に、いつもは若くて、イケイケの同年代の男友達しか知らない彼女が、ブラジルのジャングルで出会った、珍獣を発見したような、驚きと興奮と、複雑怪奇な喜びで見つめたのだろう。
その表情が、ここで白状すると、正直、あまりにも素敵だったので、一瞬、彼女の元に駆け寄り、写真撮影を懇願するか、「ベニスに死す」の老作曲家のごとく、ふらふらと熱に促されて、付け纏う欲望に駆られたが、仕事の会話を捨てることもできず、それ以上に、見事なまでの中年色ボケ犯罪者になることを恐れ、過ぎ去る幻のファム・ファタールを見送るのであった。
生きていれば、色々と愉快な出会いがあるものだ。
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