凡庸雑記「印画紙」
あるプロカメラマンの話
この間書いたプロカメラマンの話の続き。
この人が感動した写真は全て印画紙にプリントした写真だった。
ディスプレイはもちろん、インクジェトプリンターでプリントされた写真で、感動したものはなかった。
と、話していた。
変わらない力
レコードが今でも愛されて、それでないと音の柔らかさや豊かさが違うと言うマニアが根強くあるのと同じで、銀塩フィルムを使い、印画紙にブリントした写真には、写真としての強い磁力の様な表現力がが宿っているのだろう。
そう言えば、いつも見ているYouTubeの「2b channel」で、なんとか賞(何か有名な賞だったがすっかり忘れてしまった)では、一度もデジタルからのプリントは一等賞を取ったことがなく、銀塩からの印画紙のみであると言っていた。
最近は、印画紙で印刷された写真を見ることが少なくなったが、それほどまでに作品としての威力があるのだろうと改めて思う。
体で写真を創だす感覚
そんな僕も、時間と、場所と、お金が許されるならば、一度白黒写真にハマりたいと思っている。白黒フィルムで撮影し、暗室にこもり、現像し、印画紙に焼き付けをしたい。
Macで画面を見つつ、マウスを動かして、Lightroomのメモリをいじって、四苦八苦現像する日々なのだけど、
土を手で汚して畑を耕すように、鋸や、のみ、金槌を手に家を建てるように、体で写真を創り出す感覚を味わいたいと思う。
青年の思いは消えず
もちろん、そんな願いは僕にとっては、とてもとても贅沢で分不相応なことであって、NikonZ6を手にいれ、MacBook Proで現像できているだけでも、夢のようなことなのは重々わかっている。
だけど、素晴らしい写真家達の写真に出会い、濃密な白と黒との陰影に、憧れを持った青年の時のこの思いと願いは、なかなか消え去りそうにない。
現像機を購入し、銀塩カメラを手にし、年々希少価値が上がっているフィルムや印画紙を確保し、それを暗室で写真に変えるなんて、全てにおいて途方もないほど遠い世界の物語。
だけど、そう思っていても、一度は赤暗い暗室の中で、浮かび上がる写真を見たいと願うのだ。