凡庸雑記「悲壮」ゴジラ-1.0が大いに評価されている、それでもどこからか槍や刀が飛んでくる
国内外ですごい人気
ゴジラ-1.0がすごい人気。日本だけじゃなく、アメリカでもかなり高評価。純粋に怖くて、面白いからここまで高い評価を得たのだろう。
監督の話だと、シン・ゴジラから影響をかなり受けたようだ。ただ、トレースしたのではなく、全くひっくり返したよう。
官僚ではなく、民間。家族物語を徹底的に排除した物語作りに徹したシン・ゴジラと真逆の、ベタな家族愛情物語。(ただ、全く血縁とは関係のない普通の家族ではない)
陸でなく、海。現代でなく、戦後。色々弄って、シン・ゴジラの影響をテコの様に利用して、とても新鮮な物語にした。
個人的に、とても満足したのは間違いない。ただ、ドラマでは少し緩い感じがして、睡魔が背中に迫ってきたけど。でも、とても楽しめたのは間違いない。
シン・ゴジラの庵野は天才
実は、家族でシン・ゴジラを最近見直した。
Auを使っているので、その関係のサービスで映画や動画を見ることができる。(ようわからんけど)そこで、配信されていた。
息子が、ゴジラ-1.0をとても気に入り、妻に行くべきだと催促したら、シン・ゴジラの方がいいはずだと、頑なに言い張り(妙に頑固なのだ彼女は)それならばと、見る運びとなった。なぜかわからんけれど、面白さを再確認したかったのだろう。きっと。
シン・ゴジラ見て、やっぱり、庵野監督は天才だと改めて思い知らされた。
天才の範囲
特に、ドラマでの台詞回しや、物語の運び、演出の切れ具合は常人ではできない、唯我独尊の冷徹さがある。こんな、わがままで人を人とも思わぬような、作り方ができるのは、よほどの精神力と胆力が無いと、出来やしない。
ホンマすごいお人や。協調性のかけらもないんやろなあ。知らんけど。
だから、天才が創った作品だから万人から評価される訳でなく、それだからこそ、理解できる土壌の上では、花開き百花繚乱となるのだけど、押し並べて広いの至る所には大地では芽が出て、花が咲かない。すごく、限定された世界。
一口すれば誰もが笑える
じゃ、山崎監督のゴジラはあかんのかと言うと、天才的な切れ味は正直ないのだけど、だからこそ、普遍に理解できる懐の深さが、満ち満ちている。
普通に上手い、ラーメンやカレー、それに、牛丼カツ丼みたいに、日本人でも外国人でも一口食べれば、思わず笑みがこぼれる。そんな、ゴジラ映画。
確かに、品の良い懐石料理や、山奥の宿坊で出される通が絶賛する精進料理ではないけれど、一つの娯楽創作作品として、確固たる喜びを与えている。
山崎監督の良さ
ごめん、だからこの作品がすごい完璧とは言いません太郎。山崎監督は、すごくいい人で、腹の根底には人としての愛や良識が、分厚く層をなしている。そんな感じがする。悪くはないし、正しい社会なのだけど、庵野監督のあの非人間的な人間描写を見てしまうと、性格が徹底的に破綻している身としては、どうしてもコカコーラのように甘く感じてしまうのだ。
これは、完全な身勝手な意見で、あれがいい、あれこそがいい。そんな人が無尽蔵にいるだろうし、多数意見かも知れない。創作というものは、こんな、それぞれの性格と生活の背景を引っ張り出して、自信満々に好き勝手言われるのだから、そいつ生み出した親(創作者)というのは、日々、身を切られる思いをしているのだろうと、哀れに思ってしまう。それでも、人は想像を、創作を、やめられないのだけど。
どんなに素晴らしくとも
そう言えは、ラップグループの映画好きがゴジラ-1.0を批評していた。いい映画で十分楽しめた。と褒めてはいた。だけどどうも、奥歯に何かが挟まった、もどかしがが拭えない、何か含んで濁らせていた。
最後の最後。やはりと言うか、戦後の特攻隊や海軍の復員兵の悲劇だけを描いていて、彼らが行った反省を描いていない。これでは、片手落ちでではないか。
もちろん、すごく素晴らしく真っ当なことだし、戦争を描いてしまったならば、そこからは逃げられないだろう。だけど、それを物語に染み込ませるのは、非常に繊細な組み立てが必要となる。
これは、監督が知っていたのか、知っていても、扱いが難しく、そのことで物語の流れが複雑になってしまうため、あえて伏せたのかも知れない、(これは全くの推論)
それにしても、よくまとまった話で、ある種、戦後の復興の希望を感じる物語で個人的には、拍手喝采で終わったが、このことが心に影を落としている人もいるのか、そう、考えさせられた。
創作者というのは、どう転んでも、どう創っても、予想外の方向から、槍や刀やが飛んでくる存在なんだと、つくづく悲壮に思ってしまった。