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凡庸雑記「構図」
構図を愛する
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”構図”を愛している。
写真が好きなせいか、はたまた生来それに心を惹きつけられるのか、自分自身でもわからないが、何につけ構図の美醜を基準に、あらゆるものを見ている。
写真を撮影ているとき、構図が最適になるように、使用する画角をあらかじめ決め、レンズを合わせ、足を動かして、自分なりに美しいと信じられる瞬間に、シャッターを切る。
慌ただしいスナップでも、なるべく構図を美しくしたいと心がけている。ヘトヘトになってしまうのだけど。
動きものも構図で愛でる
自ずと、映画や、ドラマ、アニメなど動きものも、どうしても構図がしっかりして美しい作品に好感を持ちやすい。構図が美しい作品は、内容も美しい。そんな持論を持っている。
まず、映画では、構図の美しくしさ、もちろん内容の美しさも含め、今、この瞬間記憶に残っている作品はこんなものがあった。
構図が愛する作品「カポーティ」
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「カポーティ」が記憶に残っている。
「冷血」や「ティファニーで朝食を」の作者トルーマン・カポーティの半生を描いた作品。フィリップ・シーモア・ホフマンの超が付く名演に魅了されるが、その気品ある演技に最高最良の舞台を与えるのが、監督のベネット・ミラー。
物語の要所要所で、見せてくれる見事な構図に、息を呑んだ。
サンセット大通りの狂気を生む構図
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それから、言わずと知れた大監督ビリー・ワイルダー。
「サンセット大通り」と「昼下がりの情事」は特に記憶に残っている。
「サンセット大通り」は何と言ったって、最後、グロリア・スワンソン演じる女優が、完全に狂気に呑まれ、妄想の中、嬉々としながらゆっくりと大女優の誇りを纏い、階段を降りてくる場面。
この場面のしっかりした構図と、流れるように捉えるカメラ、その中での狂気。
いやはや、呆れ返るほどの素晴らしさ。正直、内容はすっかり忘れたけど、これだけは覚えている。
ヘップバーンの美しき構図
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もう一つの「昼下がりの情事」は、場面途中でオードリー・ヘップバーンの横顔が画面いっぱいに映し出される。漆黒の映画館(ここ重要なのが古き良き名画座)の中、暗闇に浮かび上がる整った真っ白な横顔に、監督の悪意とも思える、美しさを感じた。
残念ながら、これを居間でテレビで観たのじゃわからないだろう。
映画では、世の中に数多ある。書いていたらキリがない。指が疲れるし、腹が減る。ペコペコだから、もうすぐ夕食にありつかねばならない。だから、もうそろそろ切りの良いところで話をまとめなければ、読んでくださる方も、長いばかりの駄文では苦しいばかりで悲しいだろう。
てなことで、あと少しで終わるから、ご勘弁願いたい。
忘れてはいけない構図の神様
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映画と構図と言えば、忘れちゃいけない日本の大巨匠二人。
映画好きがこれを忘れたら、さては偉そうなことを言っているのにエセやろうか、はたまた少々健忘症にかかっているのかと、罵られてしまう。まさに構図の神様だ。
そう、小津安二郎と黒澤明。
この二人は捨てられない。小津安二郎の一目見れば忘れられない、低空からのキャメラ。涙無くしては観られない「東京物語」の、悲哀を悲劇を映し出せるのは、あの、厳格な構図なくてはいけません。
ちなみに、実のところ僕は、「東京物語」一作しか小津安二郎の作品を観ていないのであった。なぜかっと言うと、もう、あまりの恐ろしさで怖気付き、これ以降の作品を観る勇気がなくなったのだ。
それは、どうして?
悪行のかけらもない平凡で優しい市井の人々の関わりが、普通の人が、普通のことをして、こんな悲しみを諸行無常の哀れさを表してしまうのだから。
語る必要もない黒澤明の構図
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それから、黒澤明は語る必要もない。名場面名構図。
画家志望だったから、彼の作品には並々ならぬ構図への思い入れ、愛情、信念を感じて嬉しい。
「蜘蛛の巣城」の最後とか、「椿三十郎」の決闘。その他あれこれ大好き。
最近観た中、アニメが一番
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もう、お腹が減って限界が来ているので、最後の最後は。アニメ。
この間書いた「平家物語」これは、とんでもなく構図が素晴らしかった。監督が絵コンテを書いているから、彼女の構図への審美眼が並々ならぬことを知ってしまった。
とにかく、構図を楽しむために、二回観てしまった。できれば、もう一回二回観るつもりである。絵画のようにじっくりと堪能しながら、観るべきアニメである。事実、観るたびに発見があるのが、本当に嬉しい。忙しない今の世、よくもまあ作れたもんだと、小躍りしている。
俯瞰もよし、近づいて、振り向く仕草や、目の動き、手の動きすべのが画面の中で、絶妙な位置で捉えられ動く、お見事!としか言えない。
てな感じで、もう、体とお腹が限界に近づいてきているので、終わります。