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柔らかに揺れる火に誘われて。

屋根裏部屋にお気に入りの机とストーブがある生活。

先生のエッセイは、いつもこのフレーズから始まる。夢の田舎暮らし。山奥の小さなログハウスに引っ越した先生が書く文章は、夜中の屋根裏で紅茶を飲みながら物思いにふける姿が見えるようで、普段書いている推理小説とは違った雰囲気が魅力だった。ときに強く、ときにやんわりと、現代社会の問題に光を当てる連載は好評で、編集者の僕も鼻が高かった。

今週の締め切り日。来るはずの原稿が来ない。いつも決まって入稿日の午後3時に来るはずのメールが来ていなかった。妙な胸騒ぎ。電話をする。先生は出ない。上司に報告して僕は現地に向かうことにする。先生の笑顔が脳裏に浮かぶ。事故と違反に気をつけて、僕はアクセルを強く踏んだ。

発見された先生の死に顔は、ただただ眠っているように見えた。未だに生きているように、ほんのりと色付いていた。一酸化炭素中毒だった。

先生の遺言に則って、僕はエッセイの最終回を書き始める。書き出しはもちろん、いつものフレーズ。
「先生、換気してくださいって、あんなに言ったのに。」
涙で画面がにじむ。ごめんねと先生が笑いながら謝っているような気がする。思い出を手繰りながら、書いては消してを繰り返す。先生を隣に感じながら、最後の挨拶は明け方に完成した。

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