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365日投稿を終えて

2018年5月1日から始めた365日投稿チャレンジが
2019年4月30日に無事365個目の投稿を終えた。

今、この記事を書いているのが早朝のせいもあるだろうが(現在5:59)、非常に晴れやかな気持ちである。

僕は2018年の3月いっぱいで前の職場を退職し、4月からフリーランスのイラストレーター・漫画家として活動し始めた。
それ以前はランサーズなどのクラウドワークや知り合いからもらったイラストの仕事のみで大した実績もなかった僕は、「何かを成し遂げた」という実績が自分の中で欲しかった。

その時ふと、僕のSNS周りの人たちがやっていた「365日投稿」が頭に浮かんだ。

副業でイラストを描いていたころとは違い、時間があった。
副業でイラストを描いていたころとは違い、頼める人がいなくなった。

だから、365日投稿をしようと思ったのである。
頼める人がいないということは、たとえ辛い状況でも、僕の代わりに仕事をしてくれる人はいない。食事や睡眠と同じくらい当たり前に、そしてどんな時でも絵を描けるように習慣づけなくてはいけないと考えた。
そして、描くだけの十分な時間をフリーランスになったことでできるようになった。これはやるしかないと思った。

けど、ほんとはやり遂げる自信はあまりなかった。
基本的に僕は注意散漫ですぐに別のことに興味が移る。子供の頃からそうだ。だから僕は「長く続く創作」は一度もしたことがない。
だから基本的には「続かなかったら仕方ない」のスタンスでなんとなくやってみるか!くらいの気持ちで、この「jump and」の投稿はスタートした。

原則として、1日1投稿なのだが、
●描ける時は描きためしてもいい
●どうしても描けない日は休んで、描ける日にまとめて描いてもいい
くらいの許容はあってもいいだろうと思って始めた。

初めてみたら、SNSで仲良くしてくれる人たちが、毎日いいねをしてくれたり、コメントをくれた。
僕はインフルエンサーでもなんでもないし、多くの人に認知されるような活動もしてないので、他の人たちに比べたら見てくれる人の絶対数でいったら「たいしたことない」のかもしれない。でも、確実に見てくれる人はいる。

この事実が正直ありがたかった。誰でもなく、自分のために初めた投稿だけど、それでも見てくれる人がいるというのは励みになったし、いい意味でのプレッシャーを感じることもできた。
多少のプレッシャーに動かされているという感覚は僕の場合、持続するために必要な「装置」のようなものだった。ちょっと気が向かない時も、このプレッシャーの一押しで描けることが何度もあった。
SNSに作品をあげることの意味を改めて感じることができたのだ。

そうしたらあれよあれよという間に月日は流れていった。
その間に「イラ農」が始まったりして、少しずつ仕事が増えていった。
あいにく、「365日投稿のおかげで仕事がきた!」ということはなかったが、それでもなお、描く習慣として、僕の中に確実に根付いてきていた。
途中、仕事が忙しくなり、描けない日が何日も続いたこともあったが、後日一気に描いてなんとかかんとか続けることができた。

そうやってばたついたままだが、365日を走り抜けることができた。
この投稿を通じて具体的に数字や成果として、何かを得たかと言われると、特に何もない。
得ることができたのは「飽きっぽい自分でも続けることができるんだ」という発見、そして「続けられた自信」という、いかにも綺麗事に聞こえそうな、目に見えないものだった。

僕はあまのじゃくなので、世の中をキレイに装飾してごまかすような言葉が嫌いだ。だから競争や受験で「結果が全てじゃありません」「むやみに対価を求めてはいけません」という言葉も嫌いだった。「結果にこだわること」「対価を求めること」は生きていく上で必要な本質なはずなのに(少なくとも僕はそう思う)。それをごまかすような言葉に違和感を覚え忌避していた。

その上で、僕が得たのは目に見えないものだった。お金にもならない、数字として目にも見えない。
「自分で綺麗事言ってるじゃん!」って話だが、僕も全ての綺麗事を忌避しているわけではない。僕が嫌いなのは「結果が全てじゃありません」「むやみに対価を求めてはいけません」といった言葉を何かを始める前や、結果が出る前の段階で言ってくる人たちだ。

事をし終えて、結果が出た後で振り返ったときに、これらの言葉が出てくるのは悪い事ではないと思う。それ以外の、結果が出る前に結果にこだわらなくてもいいようなことを言われることが嫌なのだ。
人は何をするにも、ベストの結果を得るために、全力で動くのが大前提だと思っている。「結果を出したい、欲しい」という欲求は行動のための大事な初期衝動だから、それを綺麗事で削ぐようなことがよくないと思っている。

しかし、得てしてベストの結果を得られるということはなかなかない。ほとんどが思い描いていた形とは違う結果になる。目に見える結果が何も得られない時もある。
それでも、最良に向かって進んで行った思いや、行動は必ず何か目に見えないものを残してくれている。それが次回の挑戦に活きてくる可能性にもつながる。
僕の人生は大学受験に失敗したり、就職できずフリーターの期間があったり、他人の人生に比べて目に見える形で回り道だらけだった。でも、その回り道があったから今やりたかった、漫画やイラストの仕事をしている。少なくとも「エッセイ漫画」というジャンルで仕事をもらえて描いている以上、これまでの人生の回り道を否定することは僕にはできない。

この365日投稿で得た、365点のイラストと、それを描ききったという自信もいつかどこかで、別の結果に繋がるのかもしれない。

今はまだ、それでいいと思った。

そんな思いの詰まった365点のイラストはnoteにまとめていますので、お時間あったら眺めていってください。

instagramのイラスト用アカウントでも一覧になっているのでインスタの方が見やすいという方はどうぞ。

5月1日からまた、2年目の365日投稿をはじめます。
テーマも絵柄も変えてやっていきますので、各SNSでお付き合いのある方、どうぞよろしくお願いいたします。数が溜まったらまた、noteの方にもまとめていきます。よろしくお願いいたします。

1年間、ありがとうございました。

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