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遺伝子に眠る記憶
最近世の中がちょっと変だなと思いませんか?
2020年から始まったコロナ騒動、その後の戦争から徐々にきな臭くなっていく世界。そして相次ぐ地震と豪雨災害。
僕はこれら一連の流れを地球規模の変化の予兆と捉えています。
大袈裟に言えば、ノアの大洪水の再来のような出来事が、近い将来起こりうるんじゃないかな?なんて。
まあ、大洪水の話は言い過ぎですが、あと数年先に僕たちは大きな変革を求められそう。
そんな予感は確信として持っています。
つまり、僕たちが生きている今、この瞬間はまさに人類史の分岐点なのだと。
僕たちが岐路に立たされているとするならば、それは選択を求められているのと同義です。
とにかく僕には311の震災後から
「今までのままじゃいけないんじゃないか?」という焦りのようなものがずっとあります。
かといってこうすればいいというような答えも見つからず、ただ月日は流れて行きました。
話は変わりますが、僕は小さい頃から神社が好きでした。
出身が東国三社のお膝元ということもあり、幼少期から神社がとても身近な存在でした。
鎮守の森に囲まれた神域という場所の持つあの独特な感じが好きで、何はなくとも通っていました。
特に有名な神社が好きというわけではありません。
どちらかと言えばあまり人気のなさそうな、静かで、かつきちんと手入れされている神社が好みです。
そんな神社通いが大人になっても続きました。
そしてある日、いつものように近所の神社に参拝のため訪れた際、あることに気がつきました。
それはお賽銭を入れ、鈴緒を握った瞬間でした。
目の前に垂れ下がる、太い縄でしっかりと編まれた綱を握った瞬間、
「遺伝子のらせん構造と同じだ」と
驚いて顔を上げると、釣り鈴の割れ目の端にはハートが見えます。
長年通い続けたさまざまな神社の情景が、その刹那、頭の中を駆け巡りました。
そして初めて、神社がなぜ建てられ、長い間大切にされてきたのか、
その本当の意味が理解できました。
神社とは遺伝子が紡いできた、人類の記憶の保存庫なんだ
かつて幾多の災厄を生き延びてきた僕たちの遠い祖先が、その記憶を保存し、守るために残されてきた場所なんだ。
繰り返す歴史のなかで、遠い未来に、また同じ境遇に立たされることになるであろう子孫に向けたモニュメント。
自分がなぜ神社に惹かれてきたのか、そしてこれから先の未来のことも。
僕はその時初めて、何か手掛かりを掴んだ気がしました。
この激動の時代生きていく上で、大切なことは自分の中にある。
この遺伝子の中に、まだ眠っているけどきちんと保存されている。
僕のnoteでは、そんな遺伝子に眠る記憶に焦点をあて、その記憶を呼び起こすような記事を書いていきたいと思います。
在野の一般人が調べた、妄想を多分に含む人類史ですから、学会の通説や今まで語られてきた歴史認識はすっとばします。
素人の戯言としてお楽しみください。