文章テキストの限界
こんばんは。
長澤です。
今回は、
文章テキストの限界。
について。
いきなり、この話題を、議場に、出すのもあれですが、
女子大生、遺棄致死事件。
彼女は、文章のみのやり取りで、男と、やり取りしていなかったか?
Skypeなどの顔の見えるアプリを、使っていなかったのか?
本来、日本語は、context性(文脈性)の高い言語であり、短い言葉で、人となりが、わかる場合が、多かった。
しかし、インターネットなどの台頭により、日本語の高いcontext性が、失われつつある。
極端に、わかりやすい例は、
了解の「り」
これでは、簡素化し過ぎで、まるで、記号のやり取りだ。
また、文章にも、限界が、ある。
コミュニケーションは
「言語的コミュニケーション」
と
「非言語的コミュニケーション」
に、分けられる。
ネットは、ほぼ、言語的コミュニケーションで、音声や、映像が、付くと、非言語的コミュニケーションも、加わる。
実際、人と会話すれば、分かるが、
言語的コミュニケーション:非言語的コミュニケーション=1:3~1:9
で、圧倒的に、非言語的コミュニケーションの方が、重要なのである。
そういう意味で、ネットで、知り合った人とのセミナーがあったりするわけである。
ネットは、便利な一方、世知辛い一面も、多数ある。
今回の女子大生、遺棄致死事件で、たぶん、法も、変わるだろう。
18歳以上なら、誰でもOKは、ちょっと、甘いかもしれない。
まぁ、成人年齢が、18歳に下がるに、あたり、自己責任なのだから、どうしようもないが。
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