一緒に生きよう
聖書箇所
マルコによる福音書 8:27-38
イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
証:一緒に生きよう
この教会を作ったマルティン・ルターはとても優秀な人でした。彼は所属していた修道院、教会の一種みたいなものですが、その中でもトップクラスに優秀で、学問も出来たし宗教的素養も兼ね備えていました。しかし彼は1人で悩みます。"救われた気がしない"と。
知識を深め、霊的な訓練を積めば積むほど彼は自らの罪と向き合う事になり、良い事が出来ない自分と戦っていました。
そんなある日彼は聖書を読みながら気が付きます。"良いことをするから神様に認められるのではなく、良い神様を信じるから良いと認められるのだ"と。
"塔の体験"と呼ばれる話のザックリした説明でしたが何故こんなことを言ったのかと言うと今日の聖書と関連があると思ったからです。
今日の箇所でイエスはこう言います"サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている"
ボクは常々神は人間を学歴や年収や家柄や性別で判断せず、その人をその人として見ると言ってきたと思います。誰かを履歴書を見るように判断したらそれはサタンの様に悪い事です。
それでも悪い事はしてしまいますよね。人をジャッジするし、悪口も愚痴も言うし、ボクなんかは酒もタバコも女の子も追いかけてますし、散々色んな人に迷惑をかけてきました。
本当ならボクは神様から一番遠い存在だと言っても良いと思います。
それでもこうして教会に来て祈り神様を信じることが出来るのは、神様が良い事をしろとは言わずに、神様という良いものを受け取りなさいと言ってくださるからです。
イエスはこう続けます。"わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい"
かつてはこれは厳しい言葉の様に思っていました。お坊さんのように煩悩を捨てて神様に尽くさないといけないと思っていました。
でも今はイエスがこう言っているように聞こえます。"社会の圧力やエゴに縛られないで、私達と一緒に生きよう"
15歳で神を信じてから10年以上罪に生きる自分を許せず、自分を罰するかの様に息を潜めて生きてきました。そんなボクがこの教会に来るようになってこうして皆さんの前でお話をする機会を頂けているこの日々はボクにとっての"塔の体験"です。
神様となによりも教会の皆さんへの尽きぬ感謝とともに、お話を終わりしたいと思います。