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まちこのGB 《第1章の5,6》 この瞬間、二人の関係性が変わった。

【1-5】 この瞬間、二人の関係性が変わった。

 面接を終えたその日の夕方、真知子は朝霞のアパートへ向かった。
 居住実態を確認することがミッションだが、真知子はもう一度、朝霞と話してみたいと考えていた。

 申込書に書かれた住所には年季の入った木造アパートが建っていた。一階の一番奥が朝霞の部屋のはずだ。
 真知子は周りを見渡したのち、澄ました顔で敷地内へ侵入した。

 集合ポストで朝霞の名前を確認した。郵便物で溢れかえっていなかったのが意外だった。
 部屋の前まで歩き、ドアの上にある電気メーターを確認する。動いていたので居住実態があることは推測できた。

 より確実に実態を確認する名目で呼び鈴を押してみる。だが応答はない。なんとなくドアノブを捻ってみると鍵がかかっていなかった。
 朝霞の携帯電話を鳴らしてみる。と同時に、部屋の中から着信音が鳴り響き始めた。部屋の鍵は開いていて中には携帯電話が残されている状態――。

「……まさか」

 背中を丸めて退室した朝霞の姿を思い出す。すると、真知子の頭に最悪の事態がよぎった。

 壁中にヌードポスターが貼られた部屋で、酒瓶とタバコの吸殻で埋め尽くされた真ん中で、手首から血を流して倒れている太っちょの男――。

「朝霞さん!」

 たまらずドアを開け中に入った。
 部屋の中に朝霞の姿はなく、真知子は猫の額ほどの三和土で立ちすくんだ。

 フローリング床の室内は丁寧にレイアウトされていて、壁際には六本のギターがきちんとスタンドに立てられて並んでいる。
 
 勝手な想像とのあまりのギャップに真知子は瞬きを繰り返していた。

「誰だ」

 突然、背後から声がして真知子の背筋がピンと伸びる。

「……イツコか?」

 おそるおそる振り返ると青い作業着姿の朝霞が驚いた顔で立っていた。

「……いえ、マチコです」

 そう言って真知子は強張り切った笑顔を見せた。

「脅かすなよ」とコンビニ袋をぶら下げた朝霞がしゃがみ込む。
「で、なによ」と見上げる朝霞は、長髪を解いていたせいか顔の輪郭が隠れ、痩せればイケメンじゃないかと真知子に思わせた。

 部屋に入るやいなや、真知子は勝手な侵入の経緯を述べた。

 居住実態を調べに来てちょっと話していこうかと思ったら鍵が開いていて電話も鳴ってるのに反応がないので絶対に自殺してると思って中に勝手に入ってしまった、と。

 コーヒーを淹れていた朝霞は「ハハハ」と背中で元気なく笑ったあと、テーブルにコーヒーを置いた。
 真知子は「いい香りですね」と取ってつけたお礼を述べたものの、その後に続く話が思いつかなかった。

 真知子はちびちびと舐めるようにコーヒーを口に運んでいる。朝霞はずっとギターを手放さずにいる。
 ぎこちない時間が流れるなか、真知子は言おうとしていることがうまく口にできず、朝霞は聞こうとしていることがうまく口にできずにいた。

 真知子は床に目を留めた。よく見ると畳の上に薄っぺらなフローリング柄のビニールシートが敷かれている。いくら洋室を気取ったところで壁は和風な砂壁なのに。
 
 砂壁には写真が何枚も貼られていることに気づいた。真知子は立ち上がり写真に近づいた。

「あの……、朝霞さんってゲイなんですか?」
「は? なんで?」と朝霞はギターを爪弾く手を止めた。
「だって、お化粧した長髪の男の人の写真ばっかりじゃないですか」

 真知子がそう言うと朝霞は笑って否定した。
 スウェットの上下に着替えて髪を結いたその姿は、気のいいクマさんみたいだった。

「その写真、全部俺だよ」

 真知子は驚いた。写真の男は鋭い眼光で大きく舌を出している。
 化粧の効果を差し引いても、確実に今より痩せていて、なにより目の前のクマさんよりもパワーが溢れ出ていた。

「こんなにも変わるもんなんですね〜。時の経過って残酷だな」

 真知子は素直に本心を吐き出しつつ写真を眺めていた。朝霞は照れくさそうにギターで繊細な音色を奏でている。
 その流れるような指捌きは美しかった。

「なにか曲を弾いてみてくださいよ」
「かまわないけど……若い女の子が知ってるような曲は弾けないよ? イングヴェイマルムスティーンとか知らないでしょ?」
「知らないです。なんて言ったのか聞き取れもしませんでした」
「だよね。俺も流行りの曲はよくわからないんだよ」
「あたしもです。頑張ったんですけど、そういうの好きになれなくて。だから大学でも浮いちゃって……」

 無理してカラオケに付き合っていたあの頃を思い出し真知子の顔が曇る。一方、朝霞の顔はほんのりと和らいでいく。

「じゃあさ、韓流系とかジャニ系とかは?」
「ぜんぜんです。親の影響か、尾崎紀世彦とか高田渡とかが好きでして……」

 急に朝霞が笑い出した。

「いや~、あんたいいわ。あんたみたいな若者が増えてくれれば日本の音楽界の未来も明るいんだけどな」
「そうですか? あたしは流行りに乗れる女に生まれたかったけどな」
「んじゃ、もしかしたら気に入ってくれるかもしれない。ちょっと弾いてみようか」

 朝霞は押入れから膝丈くらいのアンプを取り出し、シールドでギターとつないだ。軽くピックで撫でるだけで、歪んだ轟音が響いた。

「すごい迫力!」
「よ~し、んじゃ行くぜ!」

 朝霞は目にも留まらぬ指捌きでギターを弾き始めた。真知子の素人目で見てもそのスピードはかなりのものだ。
 朝霞はだんだんと乗ってきたらしく、長髪をなびかせながら頭を激しく上下に振り始めた。

「オメーラ、蝋人形ニシテヤロウカー!」

 真知子は生まれて初めて目にする生のエレキギターに興奮した。
 カラオケで付き合えるようにポップスばかり聴いていたが、実はこういう音楽が好きだったのかもしれない。

 天井から踏みつけるような激しい音がした。騒音への苦情だろう。しかし、朝霞のテンションは天井知らずに上がっていく。

「どうやらオーディエンスも盛り上がってきたみたいだな!」

 天井からの苦情を歓声に見立てて朝霞はさらに弾きまくる。

「オメーラ、蝋ヲ垂ラシテヤロウカ!」
「たらして~!」

 つい真知子は声を上げていた。朝霞の真似をして頭を上下に振ってみる。すぐに頭がクラクラしたがなんだか楽しかった。

 目の前の朝霞は紛れもなく輝いている。努力の甲斐なくして、あれほどの演奏技術が身につくわけがない。
 真知子は確信した。朝霞は偽ったり嘘をついたりしていない。
 和室を洋室へと見せかけていたが、彼の情熱は嘘ではない。

「朝霞さん、合格です!」

 真知子の声は轟音にかき消されたが、この瞬間から二人の関係性は変わった。

 真知子の仕事は朝霞を『GB』へ載せるために全力でサポートすることへとシフトしたのだ。


【1-6】 わかりましたから、ナイフはしまってください 

『Lucky Inter Hospital(運国際病院)』

 ギターヴォーカル・A-suck、ベース・Y-ashiki、ドラム・上海ワタナベの三人からなるロックバンド。
 へヴィメタルを下地にした楽曲に、派手な化粧やパフォーマンスが特徴。  

 10年ほど前に高円寺のインディーズレーベルよりCD発売。発売当時はG-kenがベースであり、そこそこの人気はあったようだが、その後、G-kenが脱退したあたりから人気は下降していく。
 ここ二年ほど、目立った活動はなし。

川崎調べ

 翌朝、気合いの朝一番で出社した真知子がデスクで目を覚ますと、朝霞のバンドの詳細がプリントアウトされていた。

 よだれを拭い、顔を上げると首がギシギシと痛んだ。首が筋肉痛になることなど初めてだったが、その痛みはすぐに忘れた。
 目の前で大森を中心にGSJの面々が顔を突き合わせていたからだ。

 真知子は慌てて立ち上がり声をあげた。 

「昨日の調査報告をいたします。依頼主、朝霞和弘は間違いなく存在し、真面目に音楽と向き合っておりました。
 ギターの腕前は相当なもので、私の首はかつてない筋肉痛に襲われております!」

 皆の反応が非常に薄い。サングラス越しに無言で見つめてくる大森の心境は今日も読めない。
 真知子は自分の醜態を取り繕うべく、身振り手振りを交えて昨日の感動を伝えた。

「ホントに凄いんですよ! なんか、指がバーってなって、音もズギューーンって感じで、見てると自然にキャーってなっちゃって、蝋人形になろうと頭を振ってたら――」

「わかった。落ち着け」

 矢口は真知子を受け流し、大森へと顔を戻した。

「それで、チャレンジ内容はどうしましょうか」
「うちの最初の案件だからね。派手に打ち上げて、いい宣伝にしたいところだけど」
「じゃあ、こんなのどうですか?」

 汚名返上とばかりに真知子は積極的に身を乗り出した。

「世界で一番ギターが上手なデブ、とか」
「基準が曖昧なのはダメ」

 川崎がピシャリと言い捨てる。

「それじゃあ……」

 真知子はすっかり朝霞の味方になっていた。どうにか簡単なチャレンジにしてあげたい。

「世界で一番、コレステロール値の高いデブってのは?」
「もはやバンドじゃなくデブ基準になってんじゃん」

 矢口の呆れ口調は、空回りした真知子のダメージを倍増させた。
 皆がそれぞれ頭を悩ませていると、決定権を握る社長の大森が口を開いた。

「依頼主の、誰にも負けない苦手なものは?」

 数分後、朝霞のチャレンジ内容が決定した。 

 ※                         ※                         ※

 約束した時間は午後の4時、場所は朝霞の仕事現場にほど近い喫茶店。
 個人経営と思しき店内は地元のご婦人たちで賑わっていた。

 15分前に到着した真知子はとりあえずホットコーヒーを頼んだ。
 スーツ姿で手には書類、そして「とりあえずホットで」という状況が、真知子が憧れた社会人の姿であった。

 朝霞の仕事はだいたいが夕方に終わるらしい。定時が午後7時の真知子は羨ましく感じたが、朝は毎日6時には家を出るのだそうだ。
 同じ八時間勤務であっても、朝が早いほうが辛く感じる。

 ちょうど水をお代わりした頃に朝霞が現れた。真っ青な上下つなぎの作業着は汗ばんで変色していた。
 見るからに臭いそうな風貌だが、肉体を駆使した上での汗臭さは嫌いではない。

 朝霞がアイスココアを注文したのを見届けると真知子は襟を正した。

「申し遅れましたが、私が今回、朝霞さんを担当いたします、コンサルタントの大井です」

 自分が発した言葉に、真知子の胸がゾクゾクする。

「知ってるよ。何だよ、いまさら」
「なんかいいじゃないですか、朝霞さんは私の助言がなければ何にもできない人ってことですもんね」
「……なんか引っかかるな」

「とにかく……」と言って真知子はふたたび姿勢を正した。

「私たちがご提案する『GB』へのチャレンジ内容が決まりましたので、お伝えにあがりました」
「……あのさ、昨日みたいにフランクに話さない?」
「駄目です。あくまで朝霞さんはビジネスパートナーですから」
「まあ、いいけどさ。あと【15日間コース】に決めたから」
「え? チャレンジ内容も聞かずに決めちゃっていいんですか?」
「いいよ。どんな内容だろうと俺は努力で乗り越えるだけだ」
「でも、努力してもできないことだってあるかも……」

 朝霞の目つきが鋭く変わった。

「ない。言ったと思うけど、俺は本気なんだ……」
「わかりましたから、ナイフはしまってください」

 チャレンジ発表を前に真知子は少し躊躇した。
 大森の決めたチャレンジ内容は、普通の人なら努力でなんとかなるかもしれない。
 ただ、それがダメな人にとってはほんの数週間で克服できることじゃないように思える。

そして、目の前の朝霞は、それがダメな人なのだ。

「なあ、大井さん、もったいぶらずにさっさと言ってくれないか?」

 朝霞はナルシスティックな言い振りでストローをすすった。
 真知子は意を決して告げることにした。これはあくまでビジネスの話なのだ。

「朝霞さんのチャレンジは……『世界で一番不安定な高所でライブをしたバンド』です」

 言い切った直後、破裂音と共に真知子に向けてストローが飛んできた。
 ギリギリのところでかろうじてかわし、視線を戻す。
 朝霞は目を見開いたままワナワナと震えていた。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門

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