まちこのGB 《第3章の1》 結果発表〜! 今度はアキバ!?
【3-1】 まちこのGB
ひと月後、秋葉原にある大型家電量販店。
その開店を待つ行列の中に真知子の姿があった。その横には迷彩服を着たつるんとした肌のポッチャリがいる。
「チコチン、中は戦場だからね。一応、三方向から攻め込む手はずにはなってるけど、我がチームが本命だから」
今日ここで、地下アイドルたちが集まるトークショーライブが行われる。それぞれのファンが最高の場所を確保するために朝も早よから並んでいるというわけだ。
真知子は今でも乗り気になれなかったが、仕事だから仕方がない。首を伸ばすと仲間のひとり、バンダナのポッチャリがヘッドセットを装着していた。
「そろそろ心を、チコチンの心を準備して!」
時計を見ると9時58分、お店の開店は10時である。
周りの男たちが殺気立っていくのがわかる。満員電車のように後ろからグイグイと圧力がかけられていく。
蒸せるような臭気に囲まれて、真知子が鼻をつまんでいると、スマホが鳴った。川崎からの連絡だった。
「ちょっと、チコチン!」
真知子はこれ幸いと列から離れた。ポッチャリたちに付き合うのも仕事だが、川崎からの連絡ももちろん仕事のうちだ。
「ホントですか! わかりました、すぐ戻ります!」
イギリスの『GB』本部から、朝霞のチャレンジの合否が届いた。
※ ※ ※
翌日、真知子は朝霞の仕事現場で落ち合う約束をしていた。
朝霞はあのあと、清掃の仕事に復帰したのだと聞いた。
お昼時、オフィス街の中にポツンとある公園で真知子は待っていた。大き目の紙封筒を大事そうに胸に抱えている。
真っ青なつなぎを着た男たちがコンビニ袋をぶらさげてやってきた。その中の一人が真知子に気づき腕を振る。
真知子は一瞬、その男が誰だかわからなかった。朝霞はきれいに髪を切りそろえ、体型も痩せたまま維持していた。
「で、どうだったの?」
お久しぶりの挨拶もそこそこに朝霞が切り出してきた。素直に笑っていた真知子の顔がわかりやすく曇る。
「どんな結果でも気にしないからスパッと言っちゃってよ」
「そうですよね。結果は、……ダメでした」
「そっか」
「……はい、余裕で」
「まあね」
「……一片の余地もなく」
「まあね」
「……お話にならないくらい満場一致で」
「もう、いいよ!」
二人で笑った。朝霞が明るく受け止めてくれたことはありがたかった。
しかし真知子はただ笑ってはいられない。朝霞の落選理由に自分も大きく関わっているからだ。
笑いが峠を越えたころ、真知子は直立し、腰を直角に折り曲げた。
「……朝霞さん、すいませんでした!」
「ど、どうした?」
「実はもともと『GB』は危険なチャレンジを対象外としているんです……」
「マジで!?」
「それを調べ切れなかったのは我々のミスです。ですから、これはお返しいたします」
紙封筒の中からさらに小さな紙封筒を取り出して朝霞に渡す。中には朝霞が『GSJ』に支払ったコンサルタント料金の16万5千円(税込)が入っていた。
真知子は朝霞の反応を待つことなく話を続ける。
「さらにですね、その代わりといってはなんですが、こちらの『GB』に朝霞さんを登録させていただきます」
「こちらの『GB』ってなによ」
真知子が朝霞に胸に抱く紙封筒を渡した。分厚い封筒の中を覗いてみると、なにやら重みのある本が入っている。
「なにこれ、出していい?」
照れくさそうに頷く真知子を待って、朝霞は『まちこのGB』と表紙に書かれた手作り感あふれるブックを取り出した。
黒を基調とした色やデザインは『ギュネスブック』とほぼ変わらないが質感が決定的に違う。
「あんまり価値も権威もないんですが、あたしなりの『GB』を作ってみました……」
表紙を手繰ってみると、あの時の三人がいた。あの日、ギュネスチャレンジの前に【Lucky Inter Hospital】のメンバーで撮った写真だ。
朝霞の脳裏にあの時の時間が甦る。
「……いいじゃん、いいじゃん」
朝霞は上海の如くぼそっと呟いた。
「ホントですか!」
一瞬にして真知子の顔が輝いた。
朝霞も微笑んだまま、『File No.1 Lucky Inter Hospital』と書かれたページを眺めている。
「朝霞さん、すごい頑張ってたから、あたしが主催する『GB』、正式名称『Ganbatta(頑張った)Book(ブック)』に登録されることが決まったんですよ。おめでとうございます!」
朝霞はつい吹き出した。この子は最後まで自分のことを考えてくれている。
「これ、もらっていいの?」
「もちろんですよ。そのために作ったんですから」
「違うよ、このお金」
「それももちろんです。社長から直々に頼まれたことですから」
「んじゃ、お金はもらっておくけどこの本は返すよ」
「なんでやねん! ふつう逆やろ!」
真知子の口から生まれて初めて自然な関西弁が出た。
「だって大井さん、この『まちこのGB』は一冊しか作ってないでしょ?」
「そりゃあ、そうですよ。これ作るのだって、すごい時間かかってるんですから」「だから、だよ。大井さんはこれからも、俺みたいな人をいっぱい救ってあげなきゃいけない。そのためにも、これは大井さんが持っておくべきだ」
「あたしが、救う……?」
真知子の胸がトクンと震えた。
「そうだよ。俺みたいな奴らで『まちこのGB』が埋め尽くされれば、間違いなくハッピーな世の中になっているような気がしない?」
それは確かにそうだろう。出会った時の朝霞の姿と、今目の前で爽やかに笑う男を比べてみれば、確実にハッピーに向かっていることがわかる。
「今日さ、仕事が終わったらみんなで焼肉にでも行こうと思うから大井さんもおいでよ。臨時収入が入ったんでね」
朝霞は封筒をひらひらさせて皆の元へ戻っていった。
人はここまで変われるものなのだな、と真知子は改めて感心していたが、今の朝霞にこそ聞いておきたい疑問を思い出した。
「朝霞さん!」
朝霞は足を止め、颯爽と振り返る。
「ひとつ質問です。バンドはいつまで続けるんですか?」
真知子はひげの硬そうな黒岩の顔を思い出す。朝霞も思い出したのか、大げさに目を見開いた。
「僕は、ギターが弾ける清掃員として死ぬまで続けます!」
「あなたは誰のために音楽を続けるんですか?」
朝霞は眉をしかめた。
しかし、すぐ次の瞬間に「他人。俺は他人のために音楽を続けます」と、きっぱり言い切った。
朝霞と真知子は三秒ほど見つめ合ったあと、同時に微笑んだ。
「オマエニ蝋ヲ垂ラシテヤルゾー!」
突然、真知子は激しく頭を振り始めた。次から次へと湧き出てくる充実感と満足感を抑えるにはこの方法しかわからなかった。
今なら自信を持って言える。やっぱりあたしは間違っていなかった!
「コレカラモ蝋ヲ垂ラシ続ケテヤルカラナ!」
真知子の気持ちに呼応した朝霞も、甲高い声を上げ、頭を振り始める。
「俺ニモ蝋ヲ垂ラシテクレー!」
朝霞の仕事仲間たちも駆け寄ってきた。
その先頭には上半身裸の上海がいた。
昼下がりの公園のど真ん中で、スーツの女と作業着の男たち(うち一人は裸)の集団が狂人のごとく頭を振っている。
そのうちの女が持つ封筒から重そうな音をたてて一冊の本が落ちた。
奇跡的な落ち方をしたその本はうまい具合に表紙を開いた状態で静止した。
終わり
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