まちこのGB 《第2章の4》 こんな最高のコンサルタントチーム
【2-4】 こんな最高のコンサルタントチームがついてる
朝霞と別れ会社に戻ると、社内は活気づいていた。
皆が席に着きそれぞれの作業をこなしている。
川崎はカタカタと眼にも止まらぬ速さでキーボードを叩き、矢口は大きなビデオカメラを前に取扱説明書を広げている。
入り口の脇にある大きな看板には、
『~Challenge for change~ 世界で一番不安定な高所でライブをしたバンド』と綺麗にプリントされていた。
矢口がデザインしたというその看板は、勢いのある文字組みと心が燃え立つような色使いで見ているだけでテンションが上がってくる。
真知子は矢口の隣に移動し、立ったまま矢口が気づくのを待った。「あんた、なにしてんの?」という川崎の声に矢口が顔を上げる。
真知子は矢口と目が合うと、無言のまま看板を指差し矢口に向けて親指を立てた。矢口がすっとぼけた顔をしているので、ウィンクもしてやった。
川崎に「いいかげん目障りだ」と言われ席に着く。
社内を見回してみると、皆が皆、自分と朝霞のために動いてくれていた。
大森ですら誰かと電話で話している。仕事なのだから当然の光景だが、なんだかグッときた。
真知子はスチールデスクのラックから領収書の束を取り出し、パソコンに入力していく。
当日の段取り等の運営面は川崎と矢口が担当だ。真知子は朝霞のチャレンジに関する全般を補佐する立場なので、今は特にやることがない。
【電車賃 580円】と入力したところでくしゃみが出た。
やっぱり風邪をひいたのかもしれない。熱など出てしまったら厄介だ。
「こっちの準備は大丈夫だけど、明日は大丈夫?」
向かいから川崎が手を止めることなく声を上げる。
「大丈夫です。風邪なんて一晩眠れば治りますから」
「違うよ。あのバンドマンは逃げ出したりしない? 今日、公園に行ってきたんでしょ?」
川崎の心配ももっともだ。なにせ、朝霞には前科がある。
真知子は咳払いをして立ち上がる。咳払いには襟を正す意味と風邪をアピールする意味の二つが込められている。
「朝霞さんも絶対に大丈夫です。以前よりもずいぶん痩せたんで、きっとみなさん驚きますよ。糞だ豚だと散々な言い方だったじゃないですか」
「言ってないよ」「あんただけだよ」川崎と矢口が同時にツッコミをいれてきた。
真知子は苦笑いで腰を下ろす。まあ、なんとなく言いたいことは伝わっただろう。
「冷たい言い方かもしれないけど」
川崎が手を止め顔を上げた。
「成功しようが失敗しようがチャレンジだけは絶対に開催されなければならない。私たちだけじゃなくて色んな人たちがもう動いてるんだからね」
真知子の頭に、公園で会った顔面シワクチャな親方が浮かぶ。
「だから、朝霞さんが逃げ出すなんてもっての外だけど、事故や病気で来られなくても、あたしたちにとっては迷惑なだけだからね。もちろん、他のメンバーの人たちもよ」
真知子は川崎の迫力に圧倒された。人情味がないとも思ったが、言っていることは間違っていない。
「わかりました。ちなみにメンバーなんですけど、やっぱり二人じゃ駄目なんですよね?」
川崎がじろりと上目遣いに真知子を見据える。
「二人じゃバンドって言えないでしょ」
「でもシーナ&ロケッツは二人……」
「あれはフロントの二人が目立ってるだけで後ろもメンバー」
その後も、キンキキッズ、ホフディラン、テツ&トモ、山本譲二&小金沢昇治などあらゆる二人組を上げたが、ことごとく川崎に弾き返された。
それらはデュオでありユニットでありバンドとは言えないとのことだ。
「なんでそんなこと聞くわけ?」
「いや、深い意味はないんですけど、もしも三人分の情熱を秘めた二人組が、いや違う、死んだメンバーの霊魂が降臨して、あの、何と言うか――」
大きなくしゃみが出た。自分でもわけのわからないことを言っていたので、くしゃみで話を終わらせられて助かった。
「メンバーは三人で申請してるんだから、一人でも欠けたら資格無しになるからね。もしもビビってるメンバーがいるんだったらきつく言っておいて」
「はい、わかってます」
真知子は無理やりに笑ったが、実際のところベーシストは確保できたもののドラマーの目処が立っていなかった。
これから明日までになんとか頭をひねらなければならない。
「で、大丈夫なの?」
川崎の視線はパソコンモニターへと戻っている。
「大丈夫です。ドラマーが背後霊だったなんてことはないですから……」
「違うよ、あんたの風邪」
川崎の気遣いが嬉しくて、真知子は勢いよく立ち上がりひと際大きな声をあげた。
「ぜんぜん大丈夫です! あたしは昔から遠足の前日に楽しみすぎて眠れずに熱出すタイプだったんで!」
「だったら駄目じゃん」
矢口がうるさそうに顔をしかめつつ口を挟む。
「違いますよ。昔からそうだったんで傾向と対策はバッチリだって言うことですよ!」
矢口に向けてピースサインで笑う。矢口は真知子の指先に絆創膏が巻かれていることに気づく。それを見ていた矢口の顔に真知子のくしゃみが吹きかかった。
「なんにしろ今日はもう帰ったら?」と川崎。
「そうですね。別に明日のために今からやらなきゃいけないことが残ってるわけじゃないんですけど、先に帰らせていただきます」
「これ、使いなよ」
矢口が顔をハンカチで拭きながらマスクを真知子の机に置いた。
それは高級でも特別でもないコンビニでも買えるようなごく普通のものだ。
「いいんですか?」
「いいよ」
矢口の表情はぶっきら棒なままだが、その心遣いが嬉しかった。
病は気からというのならもう風邪なんてどこかに飛んでいってしまったような気にもなる。
「似合います?」
さっそくマスクを装着しポーズを決めると、矢口がマスクに何かを貼った。
何を貼られたのか真知子にはわからなかったが、まず川崎が大きな笑い声を上げた。
「あんたにピッタリだよ!」
大森も一見、普段どおりだが、よく見ると小鼻がぴくぴくと震えている。
マスクを外してみると、そこには真っ赤なビニールテープで×と貼られていた。
「ちょっと~、どういう意味ですか、これ!」
矢口を睨みつけると、彼は大きく口を開けて笑っていた。こんなに楽しそうに笑えるんじゃないかと真知子は驚いた。
気づけば、みんなが笑っていた。社内が暖かい雰囲気で包まれていた。
真知子は明日の成功を確信した。朝霞にはこんな最高のコンサルタントチームがついているのだから。