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まちこのGB 《第2章の5,6》 チャレンジ当日、潮風公園にて

【2-5】 真知子が用意したベーシスト、イマチ登場

 煤けた色の薄っぺらい窓枠がカタカタと音をたてている。
 一階の朝霞の部屋でこの風ということは、今日は風が強いのかもしれない。

 朝風呂上りの朝霞は全身素っ裸のまま、窓際に近寄っていく。
 カーテンを開けようとした時に、若い娘たちの声が聞こえたのでやめておいた。

 洗面所で自分の体を眺めてみる。顎周りは確実にシャープになった。下っ腹もかなりすっきりしたが、余った皮膚がたるんでいるのが気にかかる。
 息を吸い、腹をへこませてみると腹が鳴った。

 レザーのズボンを履いてみる。どれだけ腹をへこませてもボタンは留まらなかったが、これはジャケットで隠せるので気にしないことにする。
 ライダースジャケットに袖を通してみる。かなり窮屈ではあるものの、なんとかジッパーは上がった。

 久しぶりの全身コーディネート、あらためて見てもよく似合っている。なにせ自分のためのオーダーメイド品だ。眼には見えない作り手の気持ちがこもっている。

 二人は、いつの日かカリスマスタイリストとカリスマロッカーの夫婦になるはずだった。結局、付き合っている間に、朝霞はロッカーとして花咲くことはなく、イツコもスタイリストとして芽を出すことはなかった。

 このことに関しては朝霞の中で決着がついている。自分のせいで、イツコが自分の側にずっといてくれたせいで、彼女は陽の目を浴びることはなかったのだ。

 髪を結わいていたゴムを外し、スプレーを吹き付けて髪の毛を逆立たせていく。たっぷりとボリュームを持たせたその形はまるでツバメの大家族の巣のようだ。

 顔中に白粉を塗りたくり頬や鼻筋にシャドーを入れる。最後に漆黒の口紅を差す。歯に色がついてないことを確認し、これでカリスマロッカーのA-suckの完成だ。

 準備は終わり、スマホを手に立ちあがる。
 慣れた手つきで連絡帳を手繰り、「おらっ!」と発信ボタンを押した。

※                         ※                         ※

 潮風公園に到着すると、入り口に朝霞と同じような風貌の人間が立っていた。屋敷の代わりに真知子が用意したベーシスト、イマチである。
 朝霞よりもずいぶん華奢な体つきだがピッチリとレザーを身に纏ったその姿はパンクな印象を抱かせた。
 真っ黒なサングラスで両目を覆い、何本も針が飛び出したトゲトゲのマスクが鼻と口を覆っている。

 朝霞同様に白粉を塗りたくり、朝霞以上に膨らんだツバメの巣からはとにかく気合が入っていることは窺えた。

 二人は、ハイタッチをかわし公園の中へ消えていった。


 その日の潮風公園は、週末ということもあり家族連れやホームレスの親父、駆け回る少年たちで賑わっていた。

 岸壁沿いのベンチには親父たちが寝転がり、遊具が充実したエリアは家族連れの笑顔で溢れている。
 しっかりと棲み分けができているようで、お互いに嫌な空気は流れていない。
 バンジー台は封鎖されており、その麓には看板がかかったステージが置いてあった。 

 看板の周りにサッカーボールを持った少年たちが集まっている。
「なにこれ、芸人でも来んの?」
「英語読めないけど、世界一のバンドってなんだ?」
 少年たちはそれぞれにいつもと違うこの雰囲気に推測を立てている。

 そのうちの一人の少年が、隣の体格のいいスポーツ刈りの肩を叩く。促されるままスポーツ刈りが後ろを振り返ると表情が固まった。
 スポーツ刈りの視線の先には、バズーカ砲のようなものを持った全身黒ずくめの二人組がいた。

 少年たちはスポーツ刈りの陰に隠れるように、スポーツ刈りは少年たちを匿うように、一様に身を固めている。
 黒ずくめの二人組は、少年たちの手前で進路を変え、バンジー台の傍らに設置されたテントへ姿を消した。

 ほっとした次の瞬間、少年たちをさらなる衝撃が襲う。轟音を立て地面を揺らしながら巨大なクレーン車がゆっくりと近づいてきた。
 そこら中の子どもたちが嬌声を上げる。

「逃げろ!」

 スポーツ刈りは近づいてくるクレーンを見据えながら、後ろの少年たちに指示を出す。
 自分が逃げるのはいちばん最後だ。だって自分は4月2日生まれのいちばん年上なんだから――。


【2-6】 海沿いを差し引いても今日は風が強い

 午前10時過ぎ、楽屋代わりに設営されたテントの中にGSJの面々がいた。

 川崎がなにやら業者と打ち合わせをしている。矢口はビデオカメラを前にスマホを耳にあてている。少し奥からは大森と昨日のシワクチャ親方が談笑している声が聞こえた。
 ただ、そこには真知子の姿がなかった。

「やっぱり出ませんね」

 矢口は面倒くさそうに電話を切ると、打ち合わせを終えた川崎に告げた。

「風邪ひいて寝込んでるのか」

 川崎はフウっと息をつくと、バタバタと風にあおられる頭上のテントを見据えた。その手には『有給休暇願い』と書かれた茶封筒が握られている。

「川崎さん、あれ見てください」
「ん?」

 矢口に促され、川崎が岸壁沿いに目を向ける。ホームレスの親父たちがたむろする中で、先ほど、真知子の代理人と称して『有給休暇願い』を持ってきた親父が誇らしげに一升瓶を掲げていた。

「どう思います?」
「言わんとしてることはわかるよ。でも、署名も印鑑も本人のものだから、粛々と処理するしかないよね」

 矢口と川崎が顔を見合わせていると、テントの外で子供達の嬌声が響いた。何事かと二人が顔を上げると、遠くからクレーン車が近づいてくるのが見えた。
 その手前に黒ずくめの二人組がいた。

「おはようございます」

 ド派手な二人の男が並び立っている。どうやら大柄でシャドーの効いたメイクの男が朝霞のようだ。その後ろのトゲトゲマスクにサングラスの男はメンバーなのだろう。
 川崎はひとまず朝霞たちをテントの中に通し、控え室代わりの一角へと案内した

「ひとつお詫びしなければならないことがあります」

 朝霞がパイプ椅子に腰を下ろすと、早速その前に座った川崎が話し出した。

「担当の大井が本日は来られませんので、私、川崎が代わりにお世話をさせていただきます」
「え~! 大井さん、なんかあったんですか?」

 朝霞が素っ頓狂な声を出した。

「どうやら風邪をひいたようです」
「ホントかよ……。確かに昨日からグズグズしてたけど、まさかそんな大事だったなんて……」

 舞台役者さながらに嘆く朝霞の前で、川崎は隣の男を見ていた。
 この男は何が不満なのか、終始すねたようにそっぽを向いている。

「川崎さん、大井さんは本当によくやってくれました。だから何が原因だったとしても大井さんを責めないでやってください」
「わかりました。それでは簡単にいくつか確認したいんですが、あなたのお名前をいただいてもよろしいですか?」

 川崎は朝霞の横の男に尋ねるが、男は口を開かない。それどころか川崎を見ることもない。

「こいつが屋敷です。ロッカーって性質上、最初は愛想悪い風にするもんなんですよ。すいません」
「屋敷さんってことはベース担当ってことですね」

 トゲトゲマスクは声を出さずに頷いた。

「それでは、ドラムの渡辺さんは?」
「まだ来てませんが、本番までには間に合うと思います。ロッカーって性質上、遅刻するのがカッコいいみたいなところもあるんですよ、すいません」
「大井から聞いていると思いますが、メンバーが集まらなかった場合、チャレンジは中止、失格となります。そこのところはよく肝に銘じておいてください」
「わかってます」

 朝霞の表情が曇った。舞台役者っぽくない自然なその変化に、川崎は深刻さを感じた。昨日、真知子と交わしたバンドの定義のやり取りを思い出す。
 すると、川崎の中にある疑念が浮かんだ。
 もしかしたら真知子は、今この時間もドラマー探しに奔走しているのではないか――。

 川崎はもう一度朝霞の様子を確認した。朝霞は机を指でコンコンと叩きながら、所在なさげにブツブツと呟いている。せわしなく視線を動かしながらチラチラと川崎を盗み見ている。この男は間違いなく自分の視線に気づいている。

 でも、まあいいか。実際にまだ時間はある。 

 川崎は、本番までのタイムスケジュールを説明した。
 刷り出したプリント二枚を机に並べると、朝霞は安心したように身を乗り出してきた。トゲトゲも斜に構えながらもプリントを見ていた。

 チャレンジはおよそ2時間後の12時ピッタリに開始される。それまではリハーサルするなり、自由に過ごしてよい。
 ただ記録を開始するのが12時からのため、リハーサルで成功したとしてもそれはカウントされない。
 何曲演奏しようがそれも自由だ。それがライブであるかどうかは本国の『GB』本部が判断することになる。

 川崎の説明に、朝霞は小刻みに頷いていた。必要最低限の情報だけ伝えると、川崎は別のプリントを机に並べた。

「誓約書?」
 手にした朝霞が声を上げる。
「すべて目を通していただいてサインをお願いします」

 川崎は特に説明をすることなく、二人がそのプリントを読み終えるのを待った。
 朝霞の顔がみるみる険しくなっていく。

 その誓約書はバンジージャンプをやる者なら誰もが交わさなければならないものだった。万が一事故が起こったとしても責任は問わないと自ら誓うのである。

「こんなモノを書くってことは、やっぱり失敗することもあるんですかね……」「この誓約書はこちらの施設のものなので、正直なところはわかりかねます。ただ、死亡事故などあれば閉鎖されるでしょうから、まだそういった事例はないのでしょう」
「でも、今日が初めてってこともありますよね?」
「だから、誓約書を書くんでしょうね」

 朝霞の呼吸が浅くなっていることは、ピチピチのジャケットの膨らみからもわかった。無理もない。この男は高所恐怖症なのだ。

「それでは朝霞さん、11時半までにドラマーの方と合わせて三人分の誓約書を書いておいてください」
「え? 12時に開始じゃないんですか?」
「そうです。12時に開始なので30分前なんです。なにか不都合がありますか?」
「不都合はないんですけども、誓約書って本人じゃなくても、大丈夫ですか? もしもの話ですけども……」

「朝霞さん、30分前になるとあのクレーンでステージを吊り上げ始めます。そのあとで中止となると莫大な費用を無駄にすることになります」
「そう、です、よね……」

 川崎の視線の先に巨大なクレーンが見える。さらにその奥ではお揃いの黒いTシャツを着たスタッフたちが鉄骨で組み立てられたステージにアンプやドラムセットを設置している。

「我々はプロとして朝霞さんたちと向き合っています。朝霞さんたちもロッカーの常識とやらがあるのかもしれませんが、本気でこのチャレンジに向き合ってください」
「もち、ろん、です」

 川崎がプリントをもう一枚手渡して立ち上がると、テントが大きくはためいた。机の上のプリントが飛びそうになり、慌てて手を伸ばす。
 
 海沿いということもあるが、それを差し引いても今日は風が強い。

#創作大賞2024 #お仕事小説部門


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